八.三が日の儀

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八.三が日の儀

 二十五年前。  バージ・アルクルスは、当時、白光騎士団の暗殺や諜報の専門部隊であるビーネパッカーの小隊長であった。その頃のこの国は、他国との関係も良好であり、暗殺任務はほとんどなかった。定期的な近隣の国や国内各地の現状視察と報告、それが任務の大半であった。  そんな平和で穏やかな中で産まれたのがひとりの男の子だった。カイザとオジェアの子、つまりエリアルの正統後継者となる王子の誕生である。 「三が日の儀(さんがにちのぎ)、って聞いたことあるだろう。王子の誕生についての発表は生後三日目に国民に向けて行われることになっている」 「王室のしきたりのひとつですね。ジャッシュでは王家の子は女神クルスより賜るもの。だから妃様のご懐妊の報は流さない。生後すぐの清らかな赤子には邪神が近寄りやすいから、王家では生後二日間その姿を隠すことで清らかな身を守り、三日目にお披露目をするってやつですよね」 「そのとおりだ」  三が日の儀は今でも行われており、また、懐妊の報せについても伝統に従って行われている。  当時、王子が生まれたことを当日に知り得たのはカイザとオジェア、側近であったジュオールの者、王室医師とその助手たち、ほんの数名であった。城内では各隊長クラスの者たちにその吉報が届けられ、小隊長であったバージはその時にはまだ王子誕生を知らなかった。 「俺たちはお披露目の儀式のある前日、つまりまぁ生まれて二日は経たないと教えちゃもらえないんだ。王子は三が日の儀を経て初めてこの国に生を受ける。城の者たちも前日に儀式の準備を命ぜられ、そこで初めて知ることになる」  出産に関わった者、そして隊長クラスの者たちはそれを口外しないよう、互いにその秘密を共有することで監視する役も兼ねていた。それがクルス教の、そしてジャッシュという国の古くからのしきたりであり、この〈三が日の儀〉を無事に迎えるまでは生まれた世継ぎの存在はなんとしても世に隠さねばならない。 「しかしこの王子は、どこからどう情報が漏れたのか、もしくは城内の上層部に裏切るような者がいたのか、産まれたその夜、誘拐された」  詳しくはわからないが、忽然と姿を消したということだった。  オジェアやカイザも常に近くにいたし、世話をする者も数名つけていた。しかし、ほんの少し、目を離したその隙に、その幼子は消えてしまった。  当然、当時世話係をしていた者、王子の誕生を知っていた者たちは疑いをかけられた。  カイザは激昂して首を刎ねるような暴君ではなかったから、疑いのかかった者たちをすぐに問い詰めたり解雇したりするようなことはせず、とにかくすぐに消えた王子の捜索に当たらせた。 「もちろんビーネパッカーにもすぐにお達しがきた。誘拐犯を探す、なんて俺らの専門分野だからな。だが、さらわれたのは王に近しい従者の子だと聞かされた。すぐに国内各地や近隣の国に小隊が派遣された、もちろん俺の小隊もだ」  三が日の儀が迫っていた。  捜索は急いで進められたが、しかし、ついに消えた王子は見つからなかった。 「俺もよくは知らないが、当時、王子の誕生を知っていた者や関わっていた者たちは、口止めの契約を先王と交わし、この話をタブーとした。先王と妃様の意向で、誰にも処罰は無かった。さらに城内での犯人探しはせず、ただこの事件はなかったこととするようにと、きつく命じたそうだ」  そこにカイザという男の器が見て取れる、と灰次はどこか的外れなことを思いながら黙ってバージの話を聞いた。恐らくは、本当に城内に犯人などいなかったのだろう。そして、心優しき当時の国王と妃はただ息子のことを悲しみ、そして関わった者たちも同じ想いだと信じ、そのような措置を決めたのだろう。    それが、二十五年前の誘拐事件。この国でタブーとされ、なかったことにされている事件のあらましである。 「それがどう関係しているかというのは、なんとなくお前らにもわかるだろう」  バージはそう言って話を一区切りさせると、アヤセの方を見遣った。 「俺はその後、いろいろあって偶然この事を知ってしまってな。これまで他言したことはないが」  アヤセはゆっくりと顔を上げ、バージに向かって頷いて見せた。 「気が付くと僕は一枚の写真を握りしめてこの城のすぐ裏側に立っていました。何も覚えていません。ただ、この城が懐かしくて、立ち尽くしたまま泣いていた、それが僕の一番最初の記憶です」  消えた王子、それはアヤセであった。  アヤセはあのキャボンの箱の中に入っていた写真を持って、そこに立っていた。  それを見つけたのは先代のジュオールで、彼にはすぐにこの少年があの王子だとわかった。 「この写真と、エリアル譲りの金の髪と、そしてこの、泣き黒子でしょうね。事件からは十年が経っていて、それでもジュオールは……僕の育ての父は、僕が消えた王子だとわかったのだそうです」  その頃、ジャッシュでは待望の世継ぎが生まれたとお祭り騒ぎになっていた。  誘拐事件の後、悲しみからなかなか立ち直れずに世継ぎを作らずにいたカイザとオジェアであったが、いつまでもこのままではいられないと決意し、そして授かったのがひとりの男の子であった。  名を、シーザ・エリアル。  三が日の儀も済ませ、正統なエリアルの後継者としてこの世に生を受けたばかりであった。  シーザ誕生の矢先に、ジュオールから知らされた消えた王子の帰還に先王たちは戸惑った。しかし、それよりも彼が生きていて、こうして戻ってきたことは何にも変えがたい喜びであった。 「シーザ様を正統後継者として正式に国民にお披露目したばかりでしたが、それを覆してでも世継ぎになる資格はお前にはある、先王はそうおっしゃいました。そして、僕にその意思があるか、と問われました」  しかし、アヤセは王家として生きることではなく、王を支え生きる道を選んだ。自分を見つけてくれたジュオールの家に入り、その使命を継いで生きていくことを選んだのだ。 「そのとき僕はもう十でしたから。何も記憶が無いとはいえ、さすがに僕がここで王子だと名乗り出ることがこの国にとって混乱を招くであろうことはわかっていました」  そこまで話して、アヤセは初めてシーザの方を向いた。シーザの表情は驚きと悲しみに満ちている。  十歳の少年が、髪の色を変え、名を変え、自分の生き方を大きく変えた。本来ならば王位を継ぎ、この国を治めていくべき立場にあったはずなのに、こうして国王を支える側近として生きてきた。 「御落胤どころか、あんたは真っ当な王家継承者だったってことか」  灰次の言葉に、アヤセは顔を向けないまま頷く。 「でも、どうして今頃になってクーデターなんて……王家を支えると決意したからこそ、この十数年間、側近として過ごしてきたんですよね? それをどうして……」  ロイの言葉は、その場にいた全員の疑問であった。  どうして裏切るようなことをしたのか。それでいて、ここまで追い詰めたシーザを殺さなかったのはなぜか。 「僕の目的は王座の奪還でも何でもない。ただ、陛下をお守りしたかった。手荒な真似をしたことは、本当にお詫びのしようもありません。でも、きっと藤堂さんならここまでたどり着いてくれると信じていました」 「あの箱よこしたのはアンタか」 「ええ。身元が割れては厄介ですので、密偵に商人の振りをさせて節気商にお願いしました」  アヤセがトウカに目配せする。トウカはただにっこりと笑ってそれに答えてみせた。 「城内で、僕が王の血を継ぐと知ってしまった者がいて、彼らが僕を担ぎ上げてこの若き王を追い出そうと画策していました。その話を持ちかけられたとき、ならばいっそ反乱分子を炙り出して消してしまおうと思った。だから、僕は彼らを先導する振りをして、クーデターを起こす前に、あるいは起きてしまったときに、あなたに掃除してもらえるよう少しだけ細工をした、そういうことです」 「本当に?」  戸惑った表情のままだったシーザが、不意に口を開いた。 「本当に? アヤセ、それでいいの? 僕みたいなのが国王でいるより、アヤセが王位に就いたほうがいいって、思ってないの?」   それは皮肉でも、自虐でもなかった。シーザは心からそう思い、アヤセに告げた。  自分が未熟であることは誰よりも自分自身が知っている。アヤセがいてくれるからこうして国王としていられることもわかっている。  ならばいっそ、この賢く聡明な男が王位に就くべきなのでは。先王の第一子なのならば、なおさら。 「何をおっしゃいますか。今回のことは、陛下を危険な目に合わせて本当に申し訳なかったと思っております。……どのような処罰でも、覚悟はできております。この命、陛下の作る国のために使えるのならば……」 「処罰なんて必要ない。これからもいちばんそばにいて、僕を支えて欲しい」  弱々しいアヤセの言葉に、迷いなくシーザは言い切った。 「陛下」 「アヤセがもしも僕のことを恨んでいるのなら、僕よりも自分が国王に相応しいと思うのなら、僕は王位を退く。でも、そうでないのなら、アヤセ、これからもずっと一緒にこの国を支えて欲しい」  顔を伏せたアヤセが肩を小刻みに震わせる。整った目元から涙がこぼれ、謁見の間の透き通った床に雫となって落ちる。  その肩をシーザが抱く。どうやら一件落着したようだ、と灰次は息をついた。  が、その瞬間、カラーがピクリと反応し、アヤセとシーザをかばうように駆け寄った。  矢が空を切る音がした。  天窓から飛んできたその矢をカラーが素手で叩き落す。  シーザか、アヤセか。どちらかを狙っているようで、天窓の隙間から男は再び弓を構えこちらを狙う。  黒いマントが揺れるのが見え、バージはすぐさま謁見の間を飛び出し、外側から天窓の上へと回り込んだ。その間にも矢が放たれる。どうやらひとりではないらしい。  城内の敵はほとんど掃討したはずだったが、高所からの遠距離攻撃部隊がまだ城の屋根の上に数名潜み、機をうかがっていたようだ。  トウカはすぐに付近にいたズー・ディアに指示を出し、それを食い止めよと命じた。    天窓の上にたどり着いたバージと騎士たちはシーザたちを狙う黒マントたちと交戦し始めた。その間にも、矢は下を狙って撃ち込まれる。カラーはそれを一撃一撃払い、いなし、シーザとアヤセを守った。  その数秒間が、スローモーションのように見えた。    バージたちが倒した敵の男が、天窓を破って謁見の間に落ちてきた。  格子が壊れ、天窓と天井の一部が崩れ落ちてくる。  カラーはシーザとアヤセを、灰次はトウカとロイをかばうように覆い被さる。  落ちてきた男は血を吐きながら、それでも文字通り一矢報いようと無理な体勢で弓を引いた。  「陛下!」  ほぼ真横からの攻撃に、カラーよりも素早く反応してみせたのは、アヤセだった。 「アヤセ!」  シーザの声が響き、カラーが男に止めを刺した瞬間、スローモーションが解けたように感じた。  矢は真っ直ぐにアヤセの胸を貫いていた。背から刺さった矢の先が、胸元に見えている。じわりと広がっていく真っ赤な血を見ながら、アヤセは自分の身体から力が抜けていくのを感じていた。  誰の目にも明らかだった。致命傷だ。 「ヴェルジェ! 救護を! 急いでください!」  それでもトウカはズー・ディアの救護部隊を呼ぶ。しかし彼らも城内に散ってしまっていて、声はなかなか届かない。謁見の間を飛び出そうとする彼女を、その腕をつかむことで灰次が引き止めた。  トウカははっとして灰次の方を見たが、サングラス越しのその表情を読み取ったのか、その場でアヤセの方へ向き直った。 「陛下。本当に申し訳ありません。血生臭いことに、巻き込んでしまった」 「大丈夫、平気だから。だからしっかりして」 「クーデターを率いた報い、でしょうか」 「アヤセは悪くないだろ? この国を、こんな未熟な国王を守るために命を懸けてくれた。こんな報いは違うよ。おかしいよ」  自分を抱き起こすシーザの手にそっと触れる。シーザは瞳から大粒の涙をボロボロとこぼしながらその手を強く強く握った。 「陛下、僕は」 「アヤセ、しっかりして」 「あの日、ここに帰ってきて、自分の居場所をあなたに奪われたのだと知りました。憎むべきなのか迷いました。でも、幼いあなたの姿を見て、一生をかけてお守りしたい、お支えしたいと、心から、思いました」  命が消えかけている。  そのことにアヤセは抗う素振りも見せず、ただ静かに笑う。  彼への報いなのか。救いなのか。大きな秘密を背負って生きてきたこの男に最後の時が訪れようとしている。  灰次はそんな姿を何人も見てきた。それでもやるせない思いがまとわりつく。  自分には何も言えない。何もできない。ここまでに何かできることがあったのかもしれないが、それは後悔であり今何を考えても仕方が無い。それはわかっている。  隣ではカラーが真っ赤な瞳でじっとアヤセを見つめている。 この少年も、いくつもの命を見てきた。今、アヤセの姿に何を思っているのか。灰次にはわからない。  ただ、カラーがアヤセを嫌っていた理由、それは彼がその良し悪しは別としても、つらい嘘と悲しみに包まれていたからではないかと、灰次は思う。  バージが交戦を終えヴェルジェの隊員を連れて謁見の間に戻ってきたとき、アヤセはシーザの腕の中でその呼吸を止めていた。 「兄上」  その身体を抱きしめて、シーザは一度だけ、そう呼んだ。  この世に正式に生を受けることなく消えた男が、この国に確かに生きた証を残す。  その真実がもし国民の誰に知られなかったとしても。彼は王と同じようにこの国を愛し、この国の王を愛した。  だから今、シーザは彼を兄と呼ぶ。  三が日の儀を迎えることが叶わなかった先王の嫡子は、今、初めてこの世に生を受ける。  そして同時に、その命を終わらせた。  彼が誰より愛した若き王の腕の中で。
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