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上司との飲み会は嫌いだ。特に自慢話の多い上司だとうんざりする。
当時の社員から恐れられていた鬼上司に気に入られた話や、群馬のキャンプ場に連れていってもらった夜に星空の下で、仕事とはなんたるかを教えてもらった話。そんな興味のない話を延々と聞かされるぐらいなら、カピカピに乾いた刺身をつまみにぬるくなったビールを飲んでいた方がずっといい。
もっとうんざりするのは恋愛話だ。二十五歳から六年間付き合ったという、こちらが一ミリも知らない元カノについて「今ならお互い、もっとうまくやれたと思うんだ」としみじみ話をされても、部下であるこちらは「はあ」としか反応できないというのに。しかもこの話、何度目だ?
人の恋愛話ほど興味の湧かない話題はない。「あ、そういうの興味ないです」と言えればラクだが、成人してから六年、社会人も四年目になると、何も考えないで発言することの怖さはそれなりに知っている。
「よっぽど好きだったんですね。普通の『好き』だったら、きっとそんなに何度も思い出したりしませんよ」
とりあえず肯定しておくか……相づちを打つと、鼻の上を赤くした主任が俺の背中をバシッと叩く。思い出を噛み締めるようにウンウンと頭を倒しながら、「田口~、おまえはよくわかってるよォ」と酒臭い息をまき散らした。
五月いっぱいで契約が切れる派遣社員の女性のための送別会。子どもを保育園に迎えにいかなければならないらしく、飲み会の主役である派遣の女性は乾杯の挨拶をしたあと、グラスに注いでもらったビールを一口だけ飲んで帰った。そこから主任の独壇場となった飲み会は、つまらないもいいところだ。俺も早々に切り上げようと思った。
ジャケットを羽織ると、「おまえなに帰り支度してんだよ」と呂律の回っていない主任の声が届く。
「主任の話聞いてたら、なんか恋愛でもしたくなってきたんで帰ります」
「なんだよ。一人で飲みに行ってお姉ちゃん引っ掛けるってか? いいね~若いね~。さすが営業部からお呼びがかかるくらいのイケメンだね~」
たしかに先日、退勤時間が被った営業部長からエレベーターの前で「君って情シスの田口君だよね? 営業に来ない? 君みたいな硬派なイケメンがほしいんだよね」と冗談でスカウトされた。
美容師見習いの従兄弟に髪、眉毛を無償で定期的に揃えてもらっているおかげで清潔感があるように見えるのだろう。これまで「目つきが悪い」と親兄弟や友達から言われてきた限りなく一重に近い奥二重の目も、営業部長からしてみれば「切れ長でクールだと思うよ」とのことらしい。
俺が営業部長に声をかけられている様子を誰かが見ていたのか、翌日には俺の所属する情報システム部の主任の耳に届いていた。人事権のない営業部長にそんな力はないので誰も本気にしていないが、事あるごとにこうやっていじられるから面倒くさい。
俺は曖昧に笑いながら、居酒屋を予約してくれた同僚に二千円を渡す。踵を革靴に収めきる前に「お疲れさまでした」と挨拶し、店を後にしたのだった。
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