十四

1/1
前へ
/25ページ
次へ

十四

 リュウの義理の妹であるサエキキョウコが、羽田空港で兄と別れてから四年が経っていた。当初は日本橋「サエキ」の若女将になるつもりでいたが、兄と別れてから気持ちが少し変化していた。時々母の手伝いで店に出ることはあるものの、通常は丸の内のOLとして忙しい毎日を送っていた。キョウコは現在二十五歳。母からは時々お見合いを押し付けられる。母のカズコとしては、日本橋のどこか老舗の息子と一緒になってもらうか、一人娘だし「サエキ」に来てくれる婿を探していたのだが、キョウコは中々首を縦に振ろうとはしなかった。 「キョウコ、あんたいつまでも我がまま言ってると、本当に行き遅れるわよ。お母さん、そうなったって知りませんからね」 「母さん、私、まだ二十五歳なのよ。結婚なんてごめんだわ」  キョウコだって早く母を安心させたいという気持ちがないわけではない。今のキョウコと同じ年齢で母はキョウコを出産し、サエキの暖簾を受け継いだのである。跡取りにと育てたリュウは、大学卒業と同時に家を出て、今では行方がわからなくなっている。それを思うと母が不憫だが、その犠牲になるのは御免だ。会社の同僚の男の子からデートに誘われることもある。たまには拘らずに付き合ってみるのだが、どうしても兄のリュウと比べてしまう。大抵はつまらなくて、その場で帰ってきてしまう。 「あんた、それって完全なブラコンよ。ブラザーコンプレックス」  呆れ顔されるのは嫌ではない。確かにその通りなのだから仕方がないのだ。キョウコは実は血の繋がっていない兄、リュウのことが好きだった。勿論、口にしたとこは一度もない。間違ってもそんなこと、誰にも知られてはならないことくらいわかっている。兄への感情は複雑だった。憧れと尊敬・・・・・・。いっそのこと本当に血の繋がった兄妹であれば諦めもついただろうに。兄に比べると会社の同期も先輩であっても、みな物足りなさを感じてしまう。好きでもない男と無理に結婚するくらいなら、一生独身で「サエキ」を継いでもいいと近頃思うようになった。  そんなある日、見知らぬ番号から携帯電話に着信があった。一度目は無視した。翌日も同じ番号から電話があった。キョウコは何となく兄リュウからの電話ではないかと思い、三度目に電話に出た。 「キョウコか?」  それはまさしく兄リュウの声だった。 「お兄ちゃん」  涙と膨れ上がった感情に押し潰されて話すことができなくなった。 「キョウコ、しばらくだったな。元気にしてたか?」  声は出ないが、何度も頷いた。大好きな兄の声を久しぶりに聞いて、頭の中が真っ白になった。少し落ち着いてくると、今度は無性に兄と話したくなった。話したいことは幾つもあった。けれども何から話してよいのかわからなかった。 「お兄ちゃん、今、どこにいるの?」 「台北だよ」 「ずっとどうしてたの? 元気だった?」 「ああ、元気だよ。キョウコは変わりないか?」 「うん、変わりない。母さんが結婚しろ結婚しろってうるさいけど、そんなこと私、知らないもん」  リュウが受話器の向こうで笑った。 「まぁ、お前の気持ちはよくわかるが、母さんも『サエキ』を守ろうとして必死なんだろう? あまり母さんに心配かけるなよ」  キョウコは心の中で「兄さんこそ、私の気持ちを全くわかってないじゃない!」と叫んだ。 「お兄ちゃんのほうはどうなの? 探し物は見つかった?」 「ああキョウコ、ようやく見つけた。俺の本当の親父が描いた絵画を見つけた」 「タザキノボルという人?」  キョウコもその名前をリュウから聞いて知っていた。 「良かったね、でも、これからどうするの? 日本には戻って来れないの?」 「まだやることがあるんだ。キョウコと母さんの様子がずっと気になってた。元気そうでよかった。それと、兄貴とは連絡を取っているのか?」 「ううん、取ってないわ」 「そうか、ならいいんだ。兄貴に俺の新しい携帯電話の番号を教えても構わないが、俺は兄貴からの電話に出るつもりはない。前にも話したが、俺は兄貴を巻き込みたくない」 「あの方、警察官になったそうよ」 「何? 兄貴が警察官に?」 「そう、お兄ちゃんが台湾に行ってしばらくは連絡があったの。その時にそう言ってたわ。お兄ちゃんの携帯は使えなくなってたから教えなかったけど、タザキショウさんの番号は私、知ってる。今から言うね」  リュウはその番号を無言で書き留めた。これまでは表の世界で生きている兄を、裏の世界に関わらせたくないと考えていた。しかし、兄が日本の警察の人間である以上、国は違えど取り締まる側と、取り締まられる側に別れてしまった。自分と関わることは、更に兄の立場を悪くする。関わるどころか、その存在さえ知られてはならないのだ。兄の姿が遠く霞むのを感じた。今、この場で連絡を入れることだって可能であるにも拘らず、実際は警察とマフィアという余りにも遠い存在になってしまった。リュウにとっても日本の警察に兄がいることを組織に知られてはならない。内通を疑われたら命取りになる。キョウコと話し終えた後、深い溜息が出た。両肩に鉛を載せているようだった。携帯電話のメモリーには登録できない兄の番号を記したメモ。それをジッと見つめながら、まだ見ぬ兄の顔を思い描いていた。
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!

20人が本棚に入れています
本棚に追加