十七

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十七

 ニッタジュンコとは歌舞伎町『ライムスター』時代から付き合い始めてすでに五年になる。初めて出会ったのは彼女がまだ二十一歳、大学三年生の時だった。けれども今では六本木の高級クラブ『クリスタルエレメント』のナンバーワンホステスになっていた。 「ねぇ、ジュンコの彼氏って、超お金持ちなんでしょう?」  ジュンコはいつも、ハダの個人情報を話さない。 「どこの社長さんなの? ねぇジュンコ、教えてよ」  同僚のホステスがロッカールームで話しかけてくる。 「よく知らないんだぁ、彼のこと」 「またまたぁ、嘘おっしゃい。もう随分長いんでしょう? ジュンコがハダさんと付き合ってることくらい皆知ってるわよ。でもジュンコ、こんなこと言って悪いんだけど、ハダさんって表の人に見えないんだけど、大丈夫なの?」 「うん、大丈夫よ、心配ない」 「ならいいけど、ほら、噂をすれば。じゃあね、頑張ってね」  店にちょうどハダが入ってきたところだった。いつものように出迎えるが、今日はちょっと様子がおかしい。仕事で何かあったのだろうか? いつもなら店に来てすぐ笑みを浮かべたりしない。どんな時でも一定の緊張感を保っている。それが何故、ママに愛想を見せいつもより僅かに明るく振舞うのだろう? ハダがソファに座りボウモアのロックを頼むと、他愛もない話を始めた。ジュンコはしばらく黙ってその話を聞いていた。 「ケンゴさん、何かあったの?」 「いや、何もない。でもどうして?」 「何となく、そう思ったの」  ハダがジュンコの瞳の奥を覗き込んだ。 「気を遣わせてしまって済まない」 「いいのよ、そんなこと。でも顔に何かあったって、ちゃんと書いてありますもの」  この女はよくできた女だ。隠し事が上手く行ったためしがない。いつも先回りして気づいてくれる。それが彼女の良いところであり、悲しさでもある。 「ケンゴさん、わかりやすい。正直な人ね」  平静を装うが、ハダもヤクザな世界で生きてきた男である。先が見え過ぎる悲しさは身に染みている。悟られまいと表情に出さぬようにはしているが、ジュンコの言うようにどこかバカ正直なところがあるようだ。サングラスをかけるのもそんな自分をわかっているからである。ジュンコはその優れた頭脳で論理的に物事を考えるし、人の感情を読み取ることができる。自分とは住む世界が違うと思った時もある。俺さえいなければ自分の力だけで今からでも十分表の世界でやっていける。見かけだけではない、本物の男というものは、そういう男が集まる土俵にしかいないのだよと心の中で呟く。ジュンコもまた器用さ故に世間と馴染まなかった部分があったのだろう。 「店の調子はどうなんだ? ママに可愛がってもらえてるのか?」 「ええ、お店は順調よ。ママにも良くしてもらってる。でも何よ、今更どうしたの?」 「いや、順調ならそれでいいんだ」  グラスを空けた。代わりのグラスを受け取る。 「ジュンコ、今日はお前に二つ話がある」  グラスの氷が崩れて音をたてた。 「何よ、急に改まって」 「六本木のマンションだが、あれはお前にやる。名義はすでに変更しておいた。鍵はお前が持ってるだろう?」  ジュンコが驚いて声を出せずにいる。嬉しさと不安とが半々で入り混じっているような複雑な表情を浮かべた。 「え? どういうこと? 私のものって」 「もらって欲しいんだ、ジュンコに」  グラスを置いた。 「実はこの前、親父の墓参りに行った時、ある男に偶然出くわした。彼は知り合いの店にいた男だったんだが、当時生き別れた弟さんを探していると聞いて、何となく覚えていたんだよ。随分と立派になって見違えるようになっていた。確かタザキショウ君という名前だったと思う」  するとジュンコが目を瞑って、何かを思い出そうとしていた。 「彼の雰囲気が一般人と異なったものだから、まあ、俺のそのあたりの嗅覚は殆んど外さないが、念のため誰の墓を見舞ったのか後で調べさせたんだ。そしたら、それはある警察官のものだった」  ジュンコが珍しく口を挟む。 「思い出したわ、そのタザキショウって人。『タザキ』って濁るのよね?」  ハダが大きく目を開けた。 「何故、知ってる?」 「だって、歌舞伎町にいた頃のお客さんだもの。ちょっとイケメンで、それから弟を探してるって言ってた。その弟さんが私の大学の先輩だったんで、よく覚えてるわ」 「そうか、俺の勘だが、今、俺の周りで何かが動いている。後で調べさせたんだが、奴は今、万世橋署のマル暴の刑事だ。組の知り合いに特徴を確認した。間違いない。奴はいづれ母の施設にもやってくるだろうし、ジュンコのところにも」 「ケンゴさんのことを聞きに?」  ハダが頷いた。 「奴の弟はジュンコの先輩なのか?」 「そうよ、直接は知らないわ、飛び級するくらい優秀だったらしいんだけど、卒業して行方がわからなくなったそうなの」 「名前は?」 「確か、タザキリュウまたはサエキリュウって言ってた」 「サエキリュウ」  ハダの脳裏に台湾で出会った『キョウゴクシズカ』の顔が浮かんだ。 「似ている。しかし、まさかな」 「どうしたのよ、そんな難しい顔して」 「いや、何でもない」  ハダが表情を緩めた。 「ジュンコは、偶然を信じるかい?」 「偶然? 運命とかじゃなくて?」  ハダが頷いた。 「信じるわ。だって必然は偶然の積み重ねなんですもの」  するとハダが嬉しそうに笑った。 「ジュンコ、しばらく会えなくなるかもしれない」 「どうして?」 「俺は近々、台湾へ発つ」  ジュンコが首を傾けた。いつもなら理由を聞かずに送り出す彼女だったが、普段とは異なる刹那的なものを感じとったからかもしれない。ハダのサングラスの中の瞳をジッと見つめる。 「国内にいたら、俺はいずれ捕まる。恐らく明日にでも刑事がここに来る。お前は何も知らないと言えばいい」 「そんなの嫌、私も連れてって」  ハダがジュンコを見つめた。 「わがまま、言わないで。ジュンコにはジュンコの未来がある」 「ケンゴさんのいない未来なんて考えられないわ」  ハダが目を瞑った。 「お願いだから・・・・・・別れてほしい」
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