十八

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十八

 東京、秋葉原。JR高架下の北華貿易事務所に、ショウとサヤカが訪れていた。管理会社に頼んで室内に入ると、荷はそのまま放置され、パソコンや伝票類だけが無くなっていた。ハダケンゴに繋がるようなものがないか調べたが無駄だった。事件が発覚してから数週間、一体奴はどこに潜伏しているのだろうか? 事件発覚の直前、千葉の房総半島で出くわしたのは単なる偶然だろうか? 公開捜査には踏み切っていないが、空港では検問を強化している。すでに海外に逃亡した可能性はないのか? ハダケンゴほどの裏社会に通じた男ならば、偽造パスポートくらい簡単に手に入れられる。  ショウとサヤカは続いて六本木のマンションを訪ねた。オートロックの扉の前で、サヤカが何度も部屋番号を押すが応答は無い。 「先輩、いないようですけど」 ショウはそれには答えず、透明なガラス張りのエントランスの内側で、男女二人いるコンシェルジュが真剣な眼差しで話をしているのをジッと見ていた。チラと目が合った。 「あのコンシェルジュが何か知っているようだ」  サヤカが首を傾げた。 「どうしてわかるんですか?」 「とにかく聞いてみよう」 「そうですね、誰か不審な人物を見ているかもしれませんからね」  ショウが警察手帳をモニターにかざして、コンシェルジュを呼んだ。モニター画面越しに話しかける。 「最上階に住むハダケンゴという男について少し話しを聞きたいんだが・・・・・・最後に見たのはいつか調べられませんか?」 「規約で、理事会の承認なしに録画を再生することはできないことになっております」 「ああ、それはわかってる。あなたの記憶で構わない。最後に見かけたのはいつくらいかな?」 「一週間程前ですが、しばらく海外に行くとおっしゃっていました。それ以上は申し上げられません」 「わかった。有難う。他にハダを訪ねてきた者はいないか?」 「刑事さん、ハダさんが何か?」 「いや、別に」 「あのですね刑事さん、私らだって、このマンションの住人の方の行動を全て把握しているわけじゃないんですよ。それに例え知っていたとしても申し上げるわけには参りません。信用問題になりますから」  するとサヤカが割って入った。 「信用問題? 警察を信用していないと言うことかしら?」  サヤカが顔を紅くして語気を強めた。 「ちょっと、あの男はね、麻薬の密輸に関わっているかもしれないのよ。それでも信用問題と言うわけ? 規約の遵守と犯人逮捕とどちらが大切だと思ってんのかしら」 「警部補」  ショウが制止する。 「先輩、でも、この人たち警察をバカにしてるわ」 「警部補、また出直しましょう。今度は令状を持って」  コンシェルジュの男は、画面の向こうで何やら話している。 「そうしていただけますか」  インターフォンをブツリと切った。ショウがカメラに背を向ける。 「先輩、どうして引き下がるんですか? ねぇ、先輩」 「警部補、ハダケンゴはまだ国内にいます」 「どうしてそんなことわかるんですか? だってさっき彼らはハダがすでに海外に出国したって」 「あのコンシェルジュの男、後ろにいたもう一人に向かって話していたでしょう? 警察が来たら海外に行ったと言ってくれって。そう頼まれたって」  サヤカが首を捻る。 「つまりハダはまだ国内でやり残したことがある。国内の捜査の目を外に向けさせるために嘘を言わせたのさ」  サヤカが不思議そうな目でショウを見る。 「私、何も聞こえませんでした」  サヤカがそう呟くと、ショウが目を細めた。  次にショウとサヤカが向かったのは、千葉房総半島だった。湾岸道路をショウの車で走行中、サヤカが話しかけた。 「先輩、どうして房総半島なんですか?」 「今年、実は房総半島にある霊園で一度、ハダケンゴに会っている。俺は警察学校時代の同期の墓参りに、奴は誰の墓を見舞っていたのか知らないが、とにかく霊園内で奴と会った」 「先輩はハダと面識が?」  ショウがハンドル片手に頷いた。 「以前、まだ俺が警察官になる前、一時的だが新宿歌舞伎町にあるAVセル店で働いていたことがある。その時からハダのことは知っていた。奴は知っての通りフロントビジョンの専務として、俺はただのアルバイト店員として」 「先輩がAVセル店のアルバイトをしていたなんて意外でした」  ショウは前を向いたまま、黙っていた。 「房総の霊園で奴を見た時、すぐにわかった。むこうも俺のことを覚えていて、その時は互いに詮索せずにそれきりだったが、何というのかな、奴とは運命的なものを感じる」 「それはどういうことですか?」 「言葉では表現し難い。でも、奴が俺の人生に大きく関わってきそうで、時々、不思議な気持ちになるよ」  ショウが苦笑した。タザキノボルの絵画とハダケンゴが少なからず接点がある。この誰も知らない事実をサヤカに話すことができたなら、気持ちが楽になるだろうか。しかしサヤカは警察の人間であり、ショウの個人的な捜査に理解を示してくれるはずもなかった。 「房総の霊園で偶然会ってからですか? 霊園に誰のお墓があるのでしょうね?」  ショウが頷く。 「恐らく、奴の父親の墓がある。奴はまだ幼少の頃に父親を亡くしている。色々と奴のことは調べたが、その後、母親と夜逃げ同然で目黒の家を追われ、それから奴は努力して自力で大学まで行き、起業してフロントビジョンの専務にまで上り詰めている。想像しただけでも相当な苦労を重ねてきたはずだ」  ショウは一瞬、自分の人生とハダの人生を重ね合わせた。 「ハダケンゴの母親は生きているのかしら?」  ショウが首を横に振る。 「それが父親の死後、全くと言ってよいほど奴の人生に母親の影が見えない。母親と暮らしていたのは間違いないと思うが」 「ハダの父親は何をやっていた人なのかしら? 夜逃げって聞いたから大きな借金でもあったのかと思って」  ショウが頷く。 「目黒の自宅兼ギャラリーで画商をしていたらしい。何故、自宅を追われることになったのかは知らないが、父親が商売がらみで失敗して、それを苦に自殺。その借金の担保で家を追われたのだと想像がつく」 「何か悲しいわね。父親がどういう失敗をしたのかわからないけど、その家族まで犠牲になるんですものね。ハダは父を死に追いやった人たちを恨んでいるのかしら? それが今回の事件に繋がっているとは思えないけど、そのバックボーンが彼を裏社会に導いたのかもしれないわね」 「さあね、でも警部補、世の中には不遇な幼少時代を過ごした子供なんてたくさんいる。その全てが裏社会と関わって行くとは限らない。確かに貧困や虐待を受けた経験が、大人になってからの考え方に多少の影響を与えることはあるかもしれない。だが人生の選択肢は過去には無い。間違えても選び直すこともできる。全ては自らが選んだことだ。誰のせいでもない」 「はい。私もそう思います」  ショウは父の顔を思い出した。 「画商なんて、因果な商売だと思うよ。まるで株のディーラーみたいなものだ。あんな絵画一枚に大金出して、それをまた誰かに売り抜けて、その差額で儲けているんだからね。そんなこと言ったら世の中の商売の全てが金額の大小あれど、そうやって利益を追求しているには違いないけれど、世の中の金が永久に増え続けて行くわけはないし、やはりどこかで誰かが得をした分、同じだけ損をした人を生み出している。それがたまたまハダの父親だった」  サヤカが頷いた。 「私の父が銀行マンだからというわけじゃないけど、何か他人事じゃないのよね。お金を融資して人を助けている場合もあるけど、それと同時にハダの父親のような人を生む手助けもしてる。ハダの家族を直接追いやったのが黒い人たちだったとしても、その元を辿れば金融があったはずだから」  ショウがサヤカを見つめた。 「警部補が思い悩むことはありません。金融も我々警察官も皆一緒なんですから。生きていれば人は多かれ少なかれ消費をするでしょう? 食べなければ人間なんて死んでしまうわけだし、消費するということは消費するものを生み出さねばならないわけで、だから、人って、人と言ってしまうと人類の傲慢さを露呈するような発言になってしまうけど、生むことと死ぬこととは互いにフィフティフィフティなのかなって思う。人が増え過ぎた分、何か他の命を犠牲にしてきたのかもしれない。でもそれっていつかバランスが取れるんだと思うし、人が人の生き死を、まして世の中全ての生命の生き死をコントロールできるなんて、傲慢極まりないことだと思う。だから我々がそのことで思い悩む必要は無いと俺は思うことにしています」  サヤカが少し驚いた表情を見せた。 「そういう意味で、運命というものは肯定されるべきだと俺は思っています。それを人は偶然と呼ぶかもしれないけど、増えた分だけ減って、死んだ分だけ生まれて、物質の総体が仮に一緒なのだとしたら、それって予め定められたことの内で起こっていると言えなくもないでしょう?」  さらりとショウが笑う。サヤカがショウの横顔を見つめる。 「先輩、やっぱカッコ良すぎます!」 「だから、さっき俺がハダに運命的なものを感じると言ったけど、それはあながち間違っていないんじゃないかってね」 「先輩、運命ってありますよね、きっと!」  サヤカが何度も頷いた。
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