二十

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二十

 西新宿の雑居ビルの二階で、ショウが李俊明と会っていた。この個室すき焼き店は、前に一度ユキナと来たことがあるが、李俊明と会う時に使うのはこれが初めてだった。ショウが先に来てビールを一杯やっていた。少し遅れて李がやってきた。 「タザキノダンナ、オ久シブリデス。出世サレタヨウデ」  相変わらず品の無い男だが、憎めない。 「ああ、刑事になった。今、組対にいる」 「ソレハ、ソレハ、危ナイオ立場デ」  この男もショウを完全に信用しきっている。以前は半分疑いながら低姿勢を崩さなかったが、近頃では自分が情報屋であることを、やりがいにしているような口ぶりである。 「誰にもつけられてないだろうな。狙われて、こんな個室で襲撃されたらひとたまりもないぞ」 「マタマタ、ダンナガココヲ指定シタンジャナイデスカ」 「お前が人前で金を数えるから、あえて個室にしたんだよ。池袋の時のようなことは御免だ。相変わらず金が好きなんだろう?」  李俊明が黄色い歯を覗かせる。 「それよりどうだ、洪英春について何かわかったか?」 「ダンナ、セッカクダカラ、スキ焼キ、食ベサセテクダサイナ」 「ああ、勿論だ。すまん、すまん」  ショウがすき焼きのセットを三人前頼んだ。 「コースだと仲居が来てうるさいだろ。まとめて頼んだから好きなだけ食え。三人前あれば気が済むだろ?」  李が苦笑する。 「相変ワラズ豪勢ナダンナダヨ」  料理が運ばれ、李が肉を箸でつまむ。 「一ツ聞イテモイイデスカ? イツモダンナガ支払ッテクレル金ハ、日本ノ警察カラ出テル経費?」  ショウが微笑する。 「税金じゃないよ。だから安心して食っていい」  李が笑う。 「日本ノ税金ノ使イ道ナンテ心配シマセンヨ。ソウジャナクテ、日本ノ警察官ッテ、ソンナニ高給取リダッタカナ? ッテ」  今度はショウが笑う。 「そんな訳ないだろ。他の公務員よりは多少はましかもしれないが、危険で忙しい割りにはそんなでもない。あの金は俺のポケットマネーだ。心配するな、今後も払ってやる」 「ダンナ、モシカシテオ金持チトカ?」 「だったらどうする? でもお前、俺と付き合ってるのって、俺が金持ちだからじゃないんだろう?」 「マアネ、初メハソレモアッタケド、今ハ全ク気ニシテナイ」  李が牛肉を溶いた卵にくぐらせる。 「中国本国の牛肉の消費量が凄いんだってな」  李が頷いた。 「何ダカ恥ズカシイ話ダケド、中国程貧富ノ差ガ激シイ国ハ無イヨ。牛肉ヤ黒マグロヲ大量ニ食ベルヨウニナッタノハ、一部ノ僅カナ富裕層ダケ。国民ノ九割ハ口ニデキルモノジャナイ」 「お前らの国は資本主義国家なのか?」 ショウが笑う。 「マタマタ、ゴ冗談ヲ。社会主義国家トイウノハ名バカリデシテ、経済ハ正真正銘ノ資本主義経済デスヨ」 「そうだな、今の中国は思想や体制だけは社会主義で、経済は資本主義、それも上流階級だけみたいなところがある。だから貧しいものに一生貧しいままで我慢しろという国の勝手な共産主義を押し付けつつ、一部の特権を利用したものたちだけが資本主義のうわずみを掠め取っている。貧富の差が資本主義より圧倒的なのは、こうした組み合わせによるものだ。そしてこれが偽りのアメリカンドリーム的なものを抱かせる。それが海外への進出に繋がっている。初めは純粋なものだった夢が次第に腐って行く。でも悪いのは自分じゃない。そうさせた世の中が悪いのだと本気で思うようになって行く。まあ、他国民である俺が言うことでもないが、正直、腐ってる」  李俊明が目を瞑って聞いていた。 「ソウ、特ニ中国警察ハソノ象徴ミタイナモノダ。権力ヲ持ツト人ハ変ワル。日本ノ警察ガ真面目ナノデ初メハ驚イタヨ」 「真面目ね」  ショウが苦笑する。 「ダッテ、ソウデショウ? 賄賂ハ受ケ取ラナイシ、チャント悪イ奴ヲ逮捕シテイル。政治家ト癒着シナイシ。市民ヲ虐メタリシナイ」 「イジメたりしない、か、そうだといいがな、現実はお前が思っているほど美しくないかもしれない。世間体を気にして一般市民には強く正しい権力を見せようとする。だが人は見えない部分を如何に生きるかでその価値が決まるのさ。ところで中国の警察は犯人を捕まえないのか?」 「捕マルノハ貧シイ奴バカリ。金デ買収サレタ警察官ガ、役人、マフィアヲ逮捕スルコトハナイ」  李は再び牛肉を溶き卵にたっぷりくぐらせて頬張った。 「美味そうに食うんだな」 「御陰様デ、日本ニ来テ私モ牛肉ノ味ヲ知リマシタ」 「家族に仕送りは、ちゃんとしてるのか?」  すると李は曖昧な笑みを浮かべた。そして話題を変えた。 「洪英春ハ今、横浜ニイルヨ」 「中華街」 「何という店かわかるか?」 「万華楼」  その店には少し前に足を運んでいる。ハダケンゴを調べているうちに幾度となく辿りついた店である。ショウの中で二つの名前が交差した。しかしまだ、ハダケンゴと洪英春が繋がっているという証拠があるわけではない。 「万華楼と言ったら台湾料理の老舗じゃないか。何故、奴がそんなところにいる?」 「万華楼、日本ト台湾ノ裏社会結ブ窓口ネ。元々ハ、アル華僑ガ日本ニイタ頃ニ作ッタ店。歌舞伎町デハ知ラヌ者ガナイ程権力ヲ持ッツテイタ人物」 「名前は?」  李俊明が首を横に振った。 「まあいい、奴は今はどこにいる?」 「台湾。洪英春ハ、アノ男ノ舎弟」 「洪英春とは、どういう人物なんだ?」 「中々ノ二枚目ヨ、背ハ低イガ、俳優ミタイナイイ男ダヨ」  李が含んだような笑みを浮かべる。 「なぜ笑う?」 「アノ男ハ、若クテ可愛イ男子ヲ傍ニ置クノガ好キダカラ」 「ホモセクシャルということか?」 「ダンナモ気ヲツケタ方ガイイヨ。アノ男、イケメンニ目ガナイトイウ噂ダ」  李が笑う。 「トコロデ、ダンナガ最近連レテル若イ女ノ子、アレハ誰?」 「お前、俺を見張ってたのか?」  李が首を横に振る。 「イヤイヤ、マサカ、タマタマダンナト一緒ニ歩イテイルノヲ見カケタモノデ」  ショウが鼻を鳴らす。 「たまたま、ね、あれは同じ万世橋署の組対の刑事だ。ああ見えて俺の上司だ。それに本庁のキャリアでもある」 「キャリア?」 「そう、日本のお役所ってのは面倒な場所なんだよ。将来の幹部は一般職員とは別に、高学歴の人間を採用する。その選ばれし者をキャリアと呼ぶんだ。日本の警察の未来を背負う金の卵なんだよ彼女は」 「俺ノコト話シテナイヨネ?」 「勿論だ。俺はお前と警察官として付き合っているわけじゃない。俺個人として会っているつもりだが」 「ダヨネ、ダンナ、俺ハ警察ヲ信ジチャイナイ」 「でも俺のことは信じてるんだろう?」 「マアネ、ダンナハ警察ノ臭イガシナイカラ」  黄色い歯を覗かせた。
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