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二十一
ショウの非番とユキナの休みが重なったその日、前々から行こうと約束していた新宿二丁目の『イサオの店』に二人で顔を出した。午後七時。ユキナはキャップにサングラスをかけ、ミニスカートではなくジーンズ姿だった。客は疎らで、またいつものようにトドみたいな顔をした大男がカウンターの向こうでちょこんと座っている。誰もユキナに気づかないようだった。
「おう、イサオ、来てやったぞ!」
ユキナが店に入るなり声をかけた。イサオが目をパチパチさせた。
「ええっと、どちら様? あれ? ショウ君も一緒だ」
「おい、イサオ、お前失礼な奴だな、アタシだよ、アタシ」
ユキナがサングラスをスッとズラした。
「え? ウソ? ミウラユキナ? マジ、どうして?」
ショウが苦笑した。
「イサオ、前からユキナが来たいって言うから連れてきたぞ」
「何、ショウ君、凄いじゃないの、まあ座って座って、二人ともビールでいいかしら?」
三人で軽く乾杯した。ユキナが一気に飲み干した。
「おかわり!」
イサオがサーバーでビールを注ぎ、慌てて持ってきた。
「えっと何年ぶりかしら?」
「今年で十年になるな」
「ショウ君にはいつも贔屓にしてもらってるけどさ、ユキナちゃん、アンタ本当に久しぶり。それに相変わらず、お美しい!」
ユキナが顔をくしゃくしゃにして喜んでいる。
「それよりアンタさ、超有名人になっちゃって、まあ、アンタのことだからちょっとした女優さんくらいにはなるんじゃないかって思ってたけど、最近はテレビ出まくりじゃん」
「いやぁ、それほどでも」
「いやいや、大した活躍よね。うちの学校始まって以来の快挙じゃないかしら。アタシも友達として鼻が高いわ。今日はゆっくりしてってよね」
三人はしばらく昔話に花を咲かせた。
「ところでショウ君、アンタたちって学生時代に付き合っていたわよね? 今でも仲良いんだ? 実はまだ続いてたりして」
ショウが苦笑する。
「続いてたら何か悪りぃのかよ。なあ、ショウ?」
ショウは微笑んでいるだけで何も答えない。
「え? マジで、凄いじゃない二人とも。学生時代から十年経っても一緒にいるって凄くない? アンタたち早く結婚しちゃいなさいよ」
ユキナがショウの顔をチラリと覗き込んだ。
「うるせぇんだよ、イサオ! アタシたち、まだお互いにやりたいことがたくさんあんだよ。結婚は、その、まあ、そんなことまだどうだっていい。それよりお前のカミングアウトの方が驚いた」
「そうよね、そうよね、アタシって体大きいし、髭も濃かったし、誰にもアタシが乙女の心を持ってるなんて言えなかったのよね。でも、学校卒業したら思い切って二丁目で働こうって決めていたのよ」
ユキナが白い歯を覗かせる。
「なーにが乙女の心だよん。お前って見た目、柔道の黒帯みたいな感じだし、誰が見たってコテコテの男じゃん? 顔もカバに似てるし」
「シどい」
「ユキナ、人は見かけによらないということだ」
「ん? でもさ、ショウって見た目通りっちゃあ、見た目通りだよな」
「そう、そう、ショウ君はね」
「そんなことないだろ。俺が刑事になるなんて思ったか?」
「そりゃあ思わなかったけど、そういうんじゃなくてさ、人としての、何て言ったらいいのかな? 裏表が無いというかさ」
ショウが苦笑する。サングラス姿のユキナを見た。
「お前は、何か怪しい女に見えるぞ」
「うるせぇ、こうでもしねぇとバレるんだよ」
「よく芸能人が化粧落とすと、別人みたいで誰だかわかんねぇって言うけどな」
「アタシ、普段からそんなに化粧してねぇからさ」
ショウが苦笑する。
「何だそれ、ちょっとした自慢か?」
ユキナが頬を膨らませた。
「学校卒業してからもうすぐ十年経っちゃうよ。あっと言う間だな」
「ああ、そうだな」
「何だよ、それだけかよ。何か他に無えのかよ、つまんない奴」
「まあそう言うな、俺は俺なりに噛みしめてる」
ユキナが残ったビールを揺らした。
「アタシたちさ、出会ってからずっと一緒だったよな」
「まあな」
「やっぱこれって縁があるってことだよな? ショウ」
「ああ、そうだな」
「これからもずっと一緒だぞ、忘れるなよ」
ショウが微笑む。
「何だよ、ハッキリしない奴」
すると、店のドアが開いて聞き覚えのある声がした。T社長が立っていた。
「あ、社長」
「あら、Tちゃんいらっしゃい」
T社長はユキナをチラッと見て、また視線をショウに戻した。
「何だ、お前も来てたのか」
と言いつつも、ユキナのことが気になるらしい。
「ショウ、こちらの方、もしかして、もしかして?」
「ミウラユキナです。初めまして」
ペコリと頭を下げた。
「やっぱりな、やっぱりな。驚いたな、こんな汚い場所で」
「何よ、Tちゃん、その汚い場所って失礼しちゃう。こちらアタシの同級生で、ショウ君の彼女、どお、凄いでしょ!」
「ショウ、本当か! 何故今まで隠してたんだよ。もっと早く知ってたらお前に合コンのセッティング頼んだのに」
ショウが苦笑する。そしてユキナの耳元で囁いた。
「ユキナすまん、予想外だった。この人は前のバイト先の社長でTさんと言うんだ」
「ん? 別に構わないけど」
「ショウ、何だよ、てっきりこの前一緒に店に来たお嬢ちゃんと付き合ってんのかと思ったぞ!」
白い歯を見せて笑う。ユキナが目を吊り上げる。
「一緒に店に来たお嬢ちゃん?」
ショウが額に手をあてて顔を紅くする。ユキナが真顔になっている。
「誰、それ?」
「組対の同僚と言うか、上司だ。捜査上、今、ペアを組んでるんだ。妬くな」
「妬いてなんかねぇよ。へぇ、そうなんだ。アタシ、アンタから何も聞いてませんけど?」
するとT社長が、顔を見比べた。
「あれ? 俺、何かマズいこと言っちゃったかな?」
ショウが溜息をついた。
「いえ、大丈夫です。ちょっとした誤解ですから」
ショウは、ユキナが嫉妬深いことを知っている。以前も歌舞伎町のライムスターというキャバクラの女の名刺を見て嫉妬したことがあった。美しい容姿の裏側に、どこか自分への自信の無さがある。ショウからしてみればユキナにはもっと自分に自信を持って欲しい。女優になる夢を諦めた若い頃であればわからなくもないが、今や世間からは羨望の目で見られている彼女が、ショウのことになると急に自分を見失ってしまう。
「ユキナ、彼女は全く関係ないんだ。ただの仕事上のパートナーだ」
「わかったけど、ショウ、アタシに隠し事すんなよな」
「ああ、わかってる」
ショウは、やれやれと思う。
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