二十二

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二十二

 ユキナの携帯電話に、トミタアキラからラインの着信があった。ショウには一応知らせてあるが、ショウだって職場の女性と楽しくやっているわけだし、という思いがどこかにあった。ショウはいつものように「別にいいんじゃないのか」と素っ気無い。そんなショウの言葉が寂しくて、どうして「他の男とラインなんかするな」と叱ってくれないのかなどと思ってみたりする。けれども冷静に考えればラインのやりとりくらいでどうなるものでもないし、そこまで束縛されたら自分も窮屈だろうと思い直したら心が楽になった。要するに自分が我がままなのだ。束縛されるのが嫌なくせに、束縛されなければ寂しさを感じてしまう。思わず苦笑した。互いに大人だし、もっと楽に付き合ってもいいのではないだろうか。自分だってたまには、ショウ以外の男の人と食事くらいしたってバチは当たらないはずだ。以前、番組で一緒になった俳優と、たまたま空いた時間に喫茶店でお茶をしている姿を週刊誌にとられたことがあった。その時でもショウは何も言わなかった。相手を信じることが大切だと、ユキナも身にしみている。しかし、やはりどこか不安で、そわそわして、ショウ以外のことを考えることができなくなる。信じるためには強い心を持たねばならない。決してネガティブな性格ではないのだけれど、考えれば考えるほど、気持ちが沈んでしまう。  トミタアキラから横浜中華街での食事に誘われている。ショウに話したら「ファンにバレないように行って来い」と言われてしまった。ショウが何を考えているのかわからない時がある。 「アタシ、他の男の人にデート誘われてんだけど?」 「トミタアキラって、お前の古いファンだろ? 飯くらいなら別にいいんじゃないか?」 「でもよ、一応、アイツも男だからよ」 「そんなに心配なら、行かなければいいじゃないか」 「ああ、もう、どっちなんだよ。イライラすんな」 「昼間だろ? ランチ食って、映画でも観て帰ってくればいいじゃないか、完全武装して」  ショウが笑うと、ユキナが口を尖らせた。 「わかったよ、アイツもしつこいかんな。飯くらい行ってやっか」 「でもアキラって奴もたいしたもんだ。お前をデートに誘うなんて、今時の男にしては度胸のある奴だな」 「ああ、アキラも一度、ショウに会ってみたいと言ってたぞ」 「俺に会ってどうするんだ?」 「知らねぇ、男同士の話がしたいんじゃねえの?」  ショウが苦笑した。 「お前も意外と古風なんだな」  何故かユキナの弟、ヒデユキのことを思い出した。 「そう言や、ヒデユキは元気か?」 「ん? 元気だよ。最近彼女できたとか言って浮かれてやがるけどな。それがどうした?」 「いや、昔な、ヒデユキから直接電話もらったことがある。姉さんを泣かせたら、僕が許さないとか何とか言ってたな」 「何だよ、それ」 「姉キ思いのいい弟じゃないか」 「で、ショウは何て答えたの?」 「ああ、わかったって答えた」 「そんだけ?」 「でも、お前の弟は納得したみたいだったぞ。俺に直接話したことで、自分の気持ちを伝えることができたと満足したんだろう」 「何となくわかるような、わからないような」 「だからお前が不安だったら、俺は一度、そのアキラという男に会ってもいいぞ。お前にバッサリ切られるより、その方が男のプライドを保ったまま、納得させることができるだろうからな」 「うん、わかった」  ユキナが頷いた。  ユキナの予定が空いた土曜の午後、アキラは江東区大島の実家から、車でユキナの住む調布まで迎えに来てくれた。 「免許とりたてなんで、道間違ったらごめんなさい」  カーナビに横浜中華街へのルートが表示される。 「少し遅いランチになっちゃいますけど、昼時は混むので、ユキナさんのことを考えたら少し時間をズラした方がいいかなって」 「おお、あんまり気を遣わなくていいぞ。アキラの家からここまで来るのだって大変なんだし、アタシは別に電車でもよかったんよ」 「いえ、ユキナさんが電車なんかで移動したら、大変なことになってしまいますから。おかげでユキナさんの実家の住所教えてもらえたし」  アキラが無邪気な笑顔を見せる。知り合った時は、アキラはまだ大学生だった。その時は単なる一ファンとしてだったが、今では個人的な友達として、今、一緒に車に乗り、食事に行こうとしている。縁とは不思議なものだ。しかし、ユキナはアキラの横顔を見ながら、自分が彼を振った時のことを思い出した。その頃のアキラはまだ弟のようで、勿論、恋人として見ることができなかったのだが、それ以上にユキナはショウに夢中だった。今、隣で車のハンドルを握るアキラは成長して、大人っぽく、弱々しさを感じさせない。公務員と高学歴でイケメンとくれば、きっと職場では女の子にモテるだろうに、とユキナは思った。ショウという存在がもしなかったとしたら、ひょっとして・・・・・・。 「ユキナさんとデートなんて夢みたいです。前に一度だけデートしてもらいましたけど、あの時は僕もまだ子供だったし」 「ん? ああ、懐かしいな。あん時はハンバーグか何か食べたよな」 「覚えていてくれたんですね、すっかり忘れられたかと思いました」 「そんなわけないじゃん、時々思い出すよ」  アキラが嬉しそうに微笑した。車は高速道路を降り、中華街近くのパーキングに入れた。 「ここから少し歩きますよ、僕の知っている店でいいですか?」 「ああ、アキラに任せるよ。アタシは完全武装してっから、絶対にバレないし」  中華街の通りは土曜の午後で混雑していた。けれどもアキラが思った通り、昼時を外したおかげで店内の混雑は解消されつつある。アキラは事前に予約を入れていた店に向かった。ユキナと並んで歩くのは鼻が高かった。今、自分は人気タレントのミウラユキナと一緒に並んで歩いていると大声で叫びたかった。人混みが激しかったので、はぐれてはいけないと、アキラは思い切ってユキナの手をとった。ユキナはハッとしたが、アキラの手に握られるままにした。アキラの鼓動は耳の中で鳴っていた。自分は今、ユキナと手を繋いでいる。信じられない。顔が熱を帯びた。 「どうしたアキラ? 顔が赤いぞ。風邪でもひいてるのか?」  すっとぼけた天然なところが好きだった。 「さあ、着きましたよ。ここは台湾料理の老舗なんです。前に一度、役所の同僚たちと来たことがあって、個室があるからデートにいいかなって」  二人で店内に入ると、一階は客で満席だった。 「アキラ混んでるぞ、どうする?」 「ユキナさん、ご心配なく。ちゃんと予約入れてあります」 「さっすが公務員、しっかりしてんね」  店員に話すと、エレベーターで二階の個室に案内された。 「結構高いんじゃねぇのか?」 「大丈夫ですよ、僕もこう見えてそこそこ稼いでますから。ユキナさんには負けちゃいますけどね」 「芸能界っていったって、アタシなんか給料制だし、言うほど稼いでないよ。いつ人気無くなるかわかんねぇし、不安定だしな。その点アキラは公務員だから安定してて、たいしたもんだよ」  アキラが微笑する。 「コースで頼んであります。僕はお酒飲めませんけど、ユキナさんはどうぞ召し上がって下さい。帰りはちゃんと送っていきますから」 「ああ、そういえばアキラは下戸だったっけ。アタシもウーロン茶でいいよ」  二人は次々に出てくる料理を平らげた。 「美味かったな、もうお腹いっぱい」 「それにしてもユキナさん、よく食べますね。男の僕が負けちゃいそうです」 「まあな、男の人って、女の子に遠慮されるより、ガツガツ食べてもらった方が嬉しいんだろ?」 「確かにそうですね。遠慮されると、美味しくなかったのかな? って心配になっちゃいますし、自分も遠慮しちゃって、結局満足しなかったりして」 「アタシもさ、それを見て喜んでる男子の姿見るのが好きなんだ」  ハッとした。顔が熱を帯びた。 「ユキナさんは、まだ前の彼氏さんと付き合っているんですか?」 「うん、ごめんな」 「そんな、ユキナさんが謝ることじゃないですよ。でも、その彼氏さん、本当に幸せな方ですね。ユキナさんにこんなにも愛されているなんて」 「アタシとショウは、もうずっと長いんよ。学生時代からの付き合いだから、かれこれ十年になる」 「ユキナさんの彼氏さん、ショウさんって言うんですね」 「そだよ。話したことなかったっけ?」 「前に少しだけお話を聞きましたけど、お名前を伺ったのは初めてです。何をされている方なんですか?」  ユキナは一瞬躊躇った。 「アキラと同じ公務員だよ。刑事だけどな」  手が止まった。 「刑事さん、ですか」 「そう、まだ新米刑事って感じ。学生の頃は彼が刑事になるなんて夢にも思わなかったよ。まあ、彼がどんな仕事に就こうが、アタシには全く関係なかったけどね。お金も、地位も、何にもいらないから、ただその人の傍にいたかった。ごめん、のろけちゃった」 「羨ましいです。そのショウさんって人。僕なんかじゃ到底追いつけないような人なのかなぁ? 嫉妬しちゃいます」 「まあ、そう言うなよアキラ」 「でも、そのショウさんって方に一度会ってみたいです」  ユキナが微笑した。それには答えなかった。 「美味かったな、今日はあんがとな。だらだらと中華街散歩しながら帰るとするか」  アキラが名残惜しそうに席を立った。店を出て駐車場まで歩いている時、ユキナは誰かにつけられているような気がしていたが、人通りも多いし、気のせいかな? と思った。しかし、通りの外れに出たところで、見知らぬ男に声をかけられた。 「ミウラユキナさんですよね?」  ユキナと同世代くらいの男で、金髪でピアス、香水のにおいを漂わせている。背は低いが、二枚目俳優にいそうな感じだった。 「人違いじゃないですか?」  男がニヤリと笑みを浮かべる。 「ファンにそういう態度はないでしょう?」  するとアキラが声を震わせながら割って入った。 「プライベートなんですから、遠慮してもらえませんか」 「は? 誰だお前? 声が小さ過ぎて聞こえねぇよ」  と語気を強められ、押し黙ってしまった。ユキナがアキラの手をとった。 「行こう、アキラ。こんな人ファンじゃない」  すると男がユキナではなく、アキラに因縁をつけ始めた。初めはその男一人だと思っていたのだが、気づけば周囲に数人の男たちに囲まれていて、通行人の介在を阻んでいる。ヤクザ風の男たちに睨まれた通行人は、目を合わさないように足早に通り過ぎて行く。アキラも必死に抵抗してくれてはいるが、大人と子供ほど威圧感に差があるのがわかる。ユキナはマズいと思った。以前、新宿歌舞伎町を一人で歩いていた時に路地裏に迷い込み、数人の不良に絡まれた時のことを思い出した。恐怖で今にもしゃがんでしまいそうだった。すると今までアキラに絡んでいた奴らの呻き声がして、辺りが騒がしくなった。ユキナが恐る恐る目を開けると、そう、あの時と同じように、ショウが男たちの間に入っていた。男たちがショウに殴りかかるのが見えたが、次の瞬間には男たちがアスファルトの上に転がっていた。 「ショウ!」  ユキナの声が響き渡る。 「ユキナ、ケガは無いか!」  金髪、ピアスの男の陰から、胸板の厚い短髪の男がショウの前に立ちはだかる。いきなり右ストレートを放ってきた。それをスウェイしてかわす。男が掴みかかってくる。ショウはそいつの首の上から拳で叩き落し、腕を取って捻り、ポケットから手錠を出して男の手首に打ち込んだ。 「クソッ、サツかよ!」  それを見て、金髪、ピアスの男が走り去る。それに続いて男たちも姿を消した。ユキナは呆然とショウの顔を見ながら、その場に座り込んだ。ショウは駆けつけた警官に男を渡し、その後、アキラのところに駆け寄った。 「アキラ君、よく頑張ったな! ユキナを守ってくれて有難う!」  アキラは込み上げてくるものを必死に堪えた。 「あなたが・・・・・・ショウさん」  ショウは頷くと、すぐにユキナに寄り添った。 「もう大丈夫だ。アキラも無事だ、心配ない」 「ショウ、どうして、どうしてここに?」 「あの男たちを、俺は追っていたんだ。まさか、お前たちに因縁つけるとは思わなかった。危険な目にあわせて済まない」  それを聞いて、ユキナがショウの胸に顔を埋めて泣いた。アキラはその姿を、じっと見つめていた。  その日、横浜港署での事情聴取を終えたユキナを、ショウは自分の車に乗せ神保町のマンションに戻った。すでに夜の十時を過ぎていた。ショウが「何か食うか?」と尋ねたが、ユキナは小さく首を横に振った。アキラには申し訳なかったが、一人で帰ってもらった。ユキナのスケジュールを確認すると、幸い急ぎの収録が無いことから、事務所に事情を説明し、ニ、三日休みをもらった。ショウも無理を言って休みを取った。こんな時だからこそ、ユキナの傍にいたかった。 「疲れたろう、今日はもう休んで、明日ゆっくり話そう」  ユキナが両手で顔を覆った。 「ショウ、ごめん、心配かけて」 「気にするなよ。お前が悪いわけじゃない」  珍しく押し黙ったまま、好物の大丸焼きにも手をつけない。 「温かいコーヒーでも飲むか?」  ユキナが小さく頷く。 「今日は眠れそうにないから」  ショウはキッチンで湯を沸かし、コーヒー豆をひき、ドリップしたコーヒーを淹れた。部屋に香ばしい香りがたちこめた。しばらく無言で過ごした。 「アタシ、何てことしちゃったのかな。アタシが芸能人だったために、アキラを危険な目にあわせてしまって、ショウが助けに来てくれなかったら、アタシたち・・・・・・」  ショウが肩を抱き寄せた。 「もう、何も言うな、ユキナ」  ユキナの目から、再び涙がこぼれた。ショウの胸は温かくて、ほんのりいい香りがする。ずっと恐怖で震えていた心が、ショウの香りと温もりを感じて、ようやく安心することができた。すると張り詰めた気持ちが急に緩んだためか、悲しいわけでもないのに涙が溢れ出し、ショウの胸を借りてひとしきり声を出して泣いた。 「寂しい思いをさせた俺に責任がある」  ユキナは真赤な目でショウを見上げた。 「ホントだぞ、寂しい思いさせやがって、コンニャロー」  と言って、泣き笑いした。ショウがユキナの髪にキスをした。ユキナが目を閉じる。 「俺が悪かった」  ユキナがゆっくりと目を開ける。 「ショウ、お前って、やっぱスーパーマンみたいな奴だな」  ショウが微笑する。 「ずっと待ってたんだぞ」 「遅くなってすまなかった」 「何があっても絶対、絶対、お前のこと離さないかんな」 「わかってる」  ユキナが再び目を瞑り、 「来て」  と言った。
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