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#1 密林
早くもむせ返るような、人口香料で無理矢理成分の構造を捻じ曲げたみたいにして造られた、甘ったるい香りがどこからか漂って来て嫌になる。
天気予報で雨だから、傘が必要なのは仕方がないみたいにして告げて、逃げるように教室から出て行った担任が憎らしい。
片丘真由華の席を見る。真由華は登校早々、昨日の放課後駅地下の路面店で買った、韓国コスメのリップの新色がラス1だったとはしゃいで周りの娘達に吹聴している。
真由華周りの女子が室内に入ると、香水だの、髪やら体やらに塗布されたあらゆる化粧品の、総じては『女子力高め』『男ウケ抜群』、だけど異種の甘さが練られたみたいに混ぜこぜになった、教室全体が女子の意識が過剰に溢れた密林さながらになり、息が詰まる。
ただでさえ男女比率で少数派にあたる男子は、彼女達の香りや声の甲高さに圧倒されているのを、隠すように端の方でささやかな小世界を営んでいる。
私だって本当は関わりたくない。でも手にしたこのプラスティック・トレイに該当の器具を入れなければ、先生から与えられた指令を達せられず、慣れてしまったこの密林にいるよりかは、それもまた心の負担になるのだ。
緊張を義務感と諦めで覆い被せて、私は席を立った。
「片丘さん、ちょっといいかな……?」
なるべく彼女達の会話が空いたタイミングを狙って、何気ない風を装って声を掛けたつもりだった。
新色のリップを指で弄んでいた真由華の目と唇が、無音で『はあ?』の形になる。
それでもそのまま目を合わせて顔を僅かにこちらへ傾けてくれた。
「え、何?」
「あのさ、その机の美顔ローラー、申し訳ないんだけど、今日一日、預からせて貰っていいかな……?」
「えっ、何で?」
「うん。仲田先生が……。それ、こないだの授業中、スイッチ入っちゃって、結構な音したでしょ……? それが良くなかったみたいで……」
「はあ!? 何で! もう鞄の中に入れとくし!」
「うん……。でもいつまた鳴っちゃわないか、保証出来ないでしょ。授業の妨げになり得る物は、駄目だって先生が……」
途端に真由華の周りの彩未と恋乃が、金属みたいな喚声を上げた。
「鳴っちゃうって何!? 動物みたい!」
「だから言ったじゃん! あれやばいって! てか結構鳴ったよね、あの時! ヴヴヴとか……、何かもう、バイブみたいな感じで!」
「知ってんのかよ恋乃!」
「ちょっ……、知ってんのかよって、どのやつをだよ!」
「阿笠さん、持ってる?」
手を叩いてまで笑いをはち切らせる二人に、鳴らした当人の真由華も苦笑を隠せていない。
呆れて「……持ってない」と一応返した私の答えは、ひゃははとか、意地の悪い魔女みたいな高音に掻き消された。
女子の品の悪さは、意外でもなく容易に男子のそれを追い抜かす。斜め後方の宮前君の、困惑したような視線を感じて、何故か私が申し訳なさを感じた。
「ねえ阿笠さん困ってるよ、早く渡してあげなよ」
ひとしきりの笑いが通り過ぎて、彩未が目尻の涙を指で押さえながら話を戻した。「やばい、化粧落ちる……」
話題の中心になって得意げにしていた真由華は、思い出したように私を見上げ、拗ねたような溜息を唇から漏らし、「……はい」と美顔ローラーを私が持っているトレイに乗せた。
ローラーがミラーボールみたいに幾辺ものキラキラとした光を放つ。金属の重力が、ずしりとトレイ越しに圧し掛けられた。
「有難う、ごめんね……。放課後になったら、また返すから」
「お願いしますうー」
指令の『回収』を達成でき、私はひとまずの安堵を覚えた。
だけど目の前の真由華がまだこちらを見上げていることに気づき、自席に翻そうとしていた私の脚は留まった。
「阿笠さんてさあー……」
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