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第一話「天から来るもの」3
終礼が終わり、緊張しっぱなしのまま放課後を迎えた。
もう、早くこの現場から逃げ出したいという気持ちいっぱいのまま、早く帰ろうと帰り支度をしているところに裕子(どうも二人は名前で呼び合う関係らしい)が私の席までやってきた。
「ちづる、今日は家に泊まりに来ない?」
突然の誘いに動揺してすぐに言葉が出てこない。親しい間柄だとは思ったがそこまでの関係だったとは・・・。
裕子は周りの視線を気にする様子もない、こうして軽く言ってのけるということは日常的にそういうことをしているということだろう。それは勝手な想像でしかないが、女同士の友情というのはなかなか難しい。この距離感を把握するのも実践するのもまだ困難を極めることは言うまでもない。
この子とは不審がられないようによそよそしい態度はとらないほうがよさそうだ。変なボロを出して余計に心配されて密着されたりでもしたら大変である。
「ごめん、今日はまだ体調もよくないから真っ直ぐ帰るよ」
ここは無難な言葉で乗り切るしかない。ただでさえ今の状況がわからないことだらけなのに、裕子の家に泊まるなんてイベントをこなせる余裕はない。
いや、元の身体だったら大歓迎なんだが・・・、男であったならこんなお誘いを断るはずないんだが・・・。なんとも涙ぐましい話しだ。
「そう・・・、顔色も悪そうだし、今日はそっとしておいた方がよさそうね」
心配そうにこちらをじっと見つめてから、裕子は引き下がった。
近づかれると緊張するからやめてくれ・・・、俺は心の中で思った。
「治りそうになかったら病院に行かないとだめよ」
「うん、そうする」
実際は病院に行って治りそうな症状ではないわけだが、そんなことを思いながら、未だまるで慣れない女言葉を使って裕子にさよならを告げると足早に教室を出た。
帰りに元の身体の新島俊貴がいるはずの教室に向かったが自分の姿は見つけることはできなかった。一体、本当の自分の身体はどこにいったのか、生きてどこかにいるのかもわからぬまま、とりあえず”進藤ちづる”の家へと向かうことにした。
自分は何してるんだろうと思いながら住所を頼りに自分の家へと向かう。
本当に一日このままなんだろうか、もしかして明日もか? と考えると状況の異常さにまるでついていけなくなる。でも心のどこかではこんな非日常的な展開を望んでいたのかもしれない。
夢にまで見た女の子の身体、心までも染まりそうなほどの本物の感触、本物であることが自分自身を大切にしなければという気持ちも次第に芽生えてくる。本当に元の身体の持ち主である進藤ちづるには面識もないから、今この状況をどう解釈すればいいのかわからないわけだが。
普段とは違う駅に降り、普段とは違う道を通って、まだ見ぬ知らない家へと向かう。
(せめて入れ替わるなら知り合いにしてくれればよかったのに・・・)
どうしようもないことだが、私は心の中で愚痴をついた。
進藤家に着いたが鍵がかかっている、私は手荷物からそれっぽいキーホルダーの付いた合鍵を見つけて鍵を開ける。家の中は真っ暗で電気はついておらず、誰もいないようだ。
とりあえず私は、間取りを確認してから、ちづるの自室らしき部屋で情報収集をすることにした。部屋を調べることで少しずつ自分のことが分かっていく。
この際、元の身体に戻れる保証もないので、今はなんとか情報を仕入れてこの”進藤ちづる”を続けるしかない。
一通り部屋を見て回るとすっかり日が暮れてしまっていて、ずっと緊張が続いていたのか、疲れとともに緊張が抜けると空腹感が襲ってきた。
きっと昼休みになってすぐに激突して意識を失ったから、この身体も昼食を食べてなかったのだろう、空腹になって当然だ。
私は家族が書いたと思われる置手紙と一緒に置かれていたお金を持って制服のまま夕食の買い出しに出かけた。
調べたところ家族構成は三人で、父と母がいるようだ。
買い出しから帰宅して部屋で一人、ベッドの上で体育座りのままファーストフードのハンバーガーを食べる。身体が柔らかいのかそうしているのが楽だったし、女性の身体になってしまった以上、だらしのない姿勢になるのには抵抗があった。
置手紙から分かったことだが母親は今日と明日は帰ってこないようだ。まだ身の振舞い方を把握できていないこの状況では好都合と言えるだろう。父親の方は今のところよくわからない。突然帰ってくるかもしれないから、それなりに覚悟はしておいた方がいいだろう。
不安も多々あるが、この悪いことをしているようなワクワク感も悪くない、こんなに近くに女性の身体がある、自分自身がというのは不思議なことではあるが、こんなにドキドキすることはない。
すべてが本物の感触がするこの状況を喜んでいいのか、それとも大変なことに巻き込まれているという危機的状況とみるのか、うまく整理はつかなかった。
テレビを眺めながら、疲れた脳を休めるように心の中を空っぽにして食事を摂ると、空腹が満たされて、少し安心したような心地よさに包まれて、ベッドに寝転んだままそのまま眠りについた。
*
気づけば日が昇って朝になっていた。
着替えることも忘れて眠っていたのか、まだ制服のままだった。
「俺・・・、気づいたら寝てたんだ・・・」
無意識に呟いた言葉の後に気が付いた、自分は今、進藤ちづるの身体になっているんだった。
「夢や幻じゃなかったんだ・・・、本当にこれが自分・・・」
部屋にあった鏡を見ながら幻ではないと再確認する。
私は時間を確認して、うだうだ考えている暇はないと思い、なんとか支度を済ませて学校へと向かった。
登校途中、小走りで駅まで向かい電車に飛び乗る。
電車の中に乗ってふと気づいた。今の私は学生服を着た女学生、周りからもそう見えるんだ。当たり前のことであるがそう考えると視線を感じたときの感覚もまるで今までと変わって感じられた。
何か視線を感じるときが多くて、本当に自分は大丈夫なのかと疑いたくなる。見られることに慣れていないのもあるが、嫌な気分だった。
乗車率100%以上(主観的感想だが)の満員電車の中でなんとか手すりに捕まって姿勢を維持する。元の身体より身長は少し下がったが、体格に大きな差はない。それでも長い髪や女子の制服姿といったまるで今まで経験のない要素が私を緊張させた。
息が詰まるような時間、早く目的地の駅に到着してくれないかとなと思っていた。
そんな時、急に誰かの手がそっと自分の身体に触れる。肩が当たるくらいは今更気にしても仕方がないがそれとはまったく違う感覚がする。自分のものではないごつごつとした大人の男の手、敏感な地肌越し感じる手の感触にどうしていいかわからなくなる。
これはやっぱりどう考えても、意図的に触れてきている。逃げ場のない満員電車の中で、今まで見掛けたことなんてなかったが本当にいるのだ。
痴漢に遭うというピンチに巻き込まれながら、声を抑える。大きな声を出したい気持ちと、出そうとしても出せない現実とが恐怖感を刺激する。一体自分は何をしているんだろうと思うほど、実際に被害に遭ってみると相手をどうにかすることも叫ぶこともできない。こんなのが自分なのかと思うほどに、ただされるがまま時間はゆっくりと過ぎていく。
なんとか学校のある目的の駅まで到着し、ぐったりとした気持ちのまま急ぎ足で学校へと走った。
追ってくるはずはないと分かっていても後ろを振り返って確認してしまう。実際相手の顔も見ていない、もはや気にしても仕方ないし、早く忘れてしまおう、私はそう決めて学校へと急いだ。
無事学校までたどり着いて息を整える、紅潮し、敏感になった身体にどうしてあげることもできず、ただ忘れようとするしかなかった。
恐怖感と身体に未だに残る未知なる感覚に動揺を抱えたまま、時は待ってくれるはずもなく授業が始まった。相変わらず裕子は心配そうに私のことを見つめていた。
知らない男に触られたあの感覚が忘れられずなかなか消えてくれない、気持ち悪いあの感覚を払拭したくて授業中にも関わらず自分の身体に手を伸ばす。
汚いものは綺麗なもので洗い流すしかない、そんな安直な思考に導かれるまま手を伸ばす。
すべすべの綺麗な手で触れると傷跡が消えるように甘美な感触が体中を伝い、満たされていくように癒されていく。夢見ていた同じ年頃の女性との接触、それをこんな形で経験することになるとはまるで想像もできないことだったが、始めると止めることのできない気持ちよさで、体中が性感帯になったように快楽が触れた手の先から広がっていく。
あぁ、胸がドキドキする、必死に閉じていた足が次第に開いていく、もう授業どころではなく、先生の声さえも遠くなってしまっていた。
授業が終わって、火照る身体を抑えて、お手洗いでも行こうかと思考していると、クラスメイトの秋葉士郎くんに話しかけられた。
「進藤さん、見てたよ」
いきなりの言葉に動揺が走る、彼の方を見ると、彼の目は真剣で、何か心の内を必死に抑えているように思えた、見ていたというのはやっぱりそういうことだろうか。
「えっ・・・、私、別に何も・・・」
言い訳のように言葉を放つが、先ほどの行為の後ではあまりに声に力がなかった。
「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだ、誰にも言わないから」
「本当?」
声は震えていた。彼が悪い人であったらどうしよう・・・、そんな心までも女性に成り代わったような恐怖感に襲われた。状況に飲み込まれて、望んでもいないものに支配されれば学校になんて来れなくなるであろう未来が見えた。
このまま何も考えず従ってしまえば、思いもよらぬ面倒事に巻き込まれて人と人との醜い言い争いの中に身を投じることになる、それだけは嫌だった。
「困っているなら、手助けになると思って」
彼は表情一つ変えなかった、それが信じるに足るものというわけではないが、彼の目をしっかりと見て悪意があるようには感じなかった。一体何が何だかわからなかったが、彼の言葉に押されるまま、付いてくるように言われる。私はロクなことにはならなそうだとは思いながらも、ここは彼の言葉に従うことにした。
彼の所属している部活である新聞部の部室まで連れられ、先ほどの授業中の行為の続きをすることとなった。それが取り返しのつかないことだと気づかぬままに。
*
捨てられたエロ本たちのことなど忘れるほどのカルチャーショックだった。今の自分にとってはあまりにも刺激の強い体験だった、今までの器とは全く違う器が突然満たされたかのような、でもこれが今の自分の満たされ方なのだ、あまりにそれは不純なものであるが、甘美で忘れられないものだった。
ぼんやりと授業を受けていると、気づけば放課後になった。
自分はどこに向かっていくんだろう、そんな気持ちが自分の中を支配していく。羽目を外し過ぎた自分に少し罪悪感を覚えた。
秋葉君にまた声を掛けられるのが今は怖くてすぐに教室を出た。
すぐにでも家に帰りたかったが、確かめたいことがあった、元の身体のことだ。これからのことを考えるためにもどうなったのか確かめなければならない、私は新島俊貴の在籍する教室へと向かった。
教室にはもうほとんど生徒はいなかったので、何食わぬ顔で教室に入った。口を閉ざしたまま、周りに不審に思われないよう、すぐに確かめて帰ろうと座席へと向かう。
もう帰ってしまったのか、元の身体はいない。しかし、机には何やらメッセージのようなものが残されていた。
「(私の身体をあなたに託しました。どうかあなたの思うように好きに生きてください)」
私は机にあるメッセージを暗唱した。ここに書かれている文字は偶然ではないだろう、きっと私に向けて書かれたものだ。
「(進藤ちづる・・・、学校に来ていたんだ・・・)」
あの時に入れ替わったのだとすれば、これを書いたのは本当の進藤ちづるということになる。
どんな意図があってのことかはわからないがそれだけは間違いなさそうだ。
筆跡鑑定など出来るわけではないが、見たところ何となくノートで見た文字の特徴とも一致する、これを書いたのはおそらく進藤ちづるで間違いない。でもどうしてこんな事を・・・。
ここに書かれている文章から意味を読み解くなら意図的にこの身体の交換は行われた?
ならどうして?
もしかして、何か曰くつきなのだろうか?
進藤ちづるにはこうしなければならない事情があった?
疑問は尽きない、でもこの二日間を苦労はありながらも意図せず、自分が楽しんでしまっているのも事実だ。だから細かいことは気にせず好きにこの新しい日々を楽しめというメッセージなのか、それとも過去に関して掘り下げられたくない事でもあるのか、考えれば考えるほどに謎だらけだ。
こんな不思議な力があったなら一度は興味本位で使いたくなる? そう考えることもできるが、何か違う気がする。
私は他に新しい情報を得られそうもなかったので、そのまま家に帰ることにした。
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