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神隠し、と呼ばれるものにあったことがある。
そう言うと大抵の人は興味深そうにするか、妄想癖のあるヤバい人間だと遠巻きにするか、そのどちらかである。
慎重に人を選んで、自分の中にある奇妙な思い出を語れる人だけに打ち明けるのだけれど、反応というのは大抵がその二つに分類される。
私の場合は高校二年生の終わりから高校三年生の間のごくわずかな期間だ。
学校からの帰宅途中でいきなり泥濘に足を取られるように沈み込み、気が付けばどこか別の場所に移転させられていた。
いきなりの事に動揺し、ぐるりと見渡すと古めかしいローブのようなものを着ている怪しい集団に、きらびやかな姿恰好をした者や美形の青年。
はっきりといって脳のキャパシティを越える展開に、酷くうろたえたことは覚えている。
魔法陣のような地面の上には私だけではなく、他の学校の制服を着た美少女が二人へたり込んでいた。
一人は肩までの髪の可愛らしい少女。
もう一人は長い髪の信じられないぐらい美しい少女。
魔法陣の周囲にいた朗らかな金髪美形の青年は、その中の可愛らしい少女に「神子よ」と話しかけていて、跪いていた。
どうやらこの広間に集まる人たちというのは彼女を召喚するために魔法陣を用いたらしい。
私と美少女はそれに巻き込まれてしまったらしいが、どうやらこの世界を救うまでは元の世界に戻ることはできないそうだ。
彼女たちは酷く混乱していたけれど、「小説で読んだやつだ……」と私の方は多少は理解ができ、他の二人はさめざめと泣くばかりだった。
神子と呼ばれた少女は陽だまりのような少女で、最初は戸惑った様子だったけれど、金髪美形の王子様とやらにこの世界の危機を救うのはあなたしかいないと懇願されて、健気にもその責務を果たそうとしていた。
髪の長い美少女は、神子に選ばれた少女と共に懸命に世界に馴染もうとして、これまた美形な騎士団長の青年と一緒に頑張っているらしい。
そんな私はどこにいるかというと、郊外の村に連れ去られていた。
王子と騎士団長、それぞれが異世界から招いた少女の後見人となったのだけれど、私も誰か権威のある人が面倒を見ないといけないということで、若き宰相が手を挙げてくれた。
「なんだこのヌタヌタキのような女は。世話をするならば神子様か絶世の美少女が良かった」
宰相は大層顔の整った銀髪の美青年だったけれど、性格と口が悪すぎて反吐がでそうだった。
そもそもヌタヌタキってなんだ。どんな生物だ。
世界の事を勉強中の二人に図鑑を見せてもらったら、ウナギのようなぬめりけのあるタヌキのような生物だった。解せぬ。
なぜそんな彼と一緒に郊外の村まで来ていたかというと、世界の危機とやらで魔物たちが暴れ、その救助のために彼の家が動いたそうなのだ。
なんで私がと聞くと、「神子は世界を救うために。美女はその支えとなっている。お前はなんだ。ただその身体を肥やすためだけに税金を使うのか。働け」
などと、至極真っ当そうで理不尽なことを吐き捨ててくださった。
村は酷い有様だった。
魔物たちが暴れたために家屋は倒壊し、死者や怪我人が多く、衛生環境が劣悪なその場所は、鼻どころか顔すべてを覆い隠したくなるような光景だった。
「神子様が言うには異世界は医療が発達しているのだろう?お前も異世界人の端くれ、治療してくれ」
なんて無茶振りをした性格の悪い宰相は、そのお高そうな服を血反吐と泥にそめて救助活動を行っていた。
共に物資を運んできた兵士たちは彼の家に仕える騎士たちだそうで、このような惨劇はよくあることなのか、酷く慣れた手つきで救助活動を行っていた。
現役の女子高生が、そんな場所で役に立つはずがない。
肉が腐るような臭いに吐き、目の前で命の灯が消えていく子どもに泣きじゃくり、乳飲み子を託して死んでいく女性に最期の水を飲ませることができたぐらいだった。
「ありがとうございます。異界の方。神子様が世界をお救いになられたら……」
「神子様が魔物を追い払ってくださるまで……私たちは耐えます……」
まったく頼りにならない私は、死にゆく人たちの想いを聞き取るだけで精いっぱいだった。
世界を救う。
そんな重責が、あの陽だまりのような少女の両肩に背負わされてしまうのか。
「想像以上に役に立たなかったな」
「……すみません」
「だが、連れてきた甲斐はあっただろう。覚えておけ、これがこの国の現状だ。こんなものを神子様や、神子様の心を慰めている少女には見せられたものではないからな。お前が世界を救う意味を彼女たちに伝えろ」
私だったらいいんですか。
じと目で彼を見返すと、鼻で笑って「貴様は心臓に毛が生えていそうだったからな」なんて酷い言葉を返された。
最低限の救助しかできなかったけれど、王宮に帰って私は伝えた。
彼女たちにショックを与えないように、どれだけ救済が求められているのか。私の必死な言葉を、二人は神妙な面持ちで話を聞いてくれた。
期待が怖いと怯えていた神子に選ばれた少女も、私の言葉に強くうなずき、救済を頑張ってくれる様子だった。
私がいない間に彼女たちはとても仲良くなり、二人で支え合って頑張っているようだった。
周りの人たちに大切にされていた様子も見て取れて、あぁ、私は本当に巻き込まれてしまっただけの脇役なんだなと強く自覚した。
そして数か月。
私はたびたび宰相の彼に連れまわされて外を巡り、彼女たちは神殿で救済を行った。
神子に選ばれた少女は王宮、美女は騎士団長の家でそれぞれ生活をしていた。
私の身元預かりは宰相の彼の家だったので、彼と同じぐらい性格の悪い爺様に「はずれを引いた。もっと可愛いのが来てくれたらうちの孫の嫁にできたのに」なんて嫌味を言われながら生活をしていた。
もちろん、囲碁と将棋を祖父から習っていた私はその遊びを教えながら徹底的に潰し、元宰相という爺様のプライドをへし折ってやったけれど。
私は蚊帳の外にいたからどうやってかはわからないけれど、どうやら神子の彼女は世界を救い、魔物たちの危機は去ったようだった。
これでこの世界の神様が、世界を救ったギフトとして元の世界に戻してくださるそうだ。
だけどそれも本人の自由意志に任せるということで、ここに留まることもできるようだ。
この数か月、性格と口は悪いが人のためにと働き続けていた宰相の青年に、どうしても心が傾くのを止めることができなかった。
元の世界に戻ることができるのは嬉しいけれど、この芽生えてしまいそうな心をどうすればいいのだろうか。
一大決心をしながら、夜遅くまで仕事をしている彼に「今までお世話になりました。拾ってくれて感謝している。ありがとう。あの……」と伝えた。
彼は鼻で笑いながら「ようやくか。清々する」なんて振り返らずに言われてしまった。
やめよう。この美形、仕事ができて財産もあるけれど、こいつの性格はクソより酷い。最後の言葉がそれか!?って思いながら、芽生えかけた双葉をむしり取り、土を掘り返し、根の先すら残さないようにして心に鍵をかけた。
べそべそ泣きながら廊下を歩いていると「おーそこのブサイクな孫嫁!必勝法を編み出したぞ!今度は負けぬ!!」なんて言っている爺様を地面に沈めながら、めそめそと荷物を片付け始めた。
次の日呼び出された私たちは、元の世界に戻るのか、それとも留まるのかと問われた。
一番最初に着ていた制服に着替えていたのは私だけで、他の二人はこの世界の服のままだった。
彼女たちの隣には、王子と騎士団長が満面の笑みを浮かべていて、私たちの世界を選んでくれたのだと嬉しそうに彼女たちの腰に手を当てている。
ギフトは神子に選ばれた彼女がいなくても適用されるらしく、私だけが元の世界に戻ることになった。
彼女たちはこの世界で生きることを決めたというので、向うの家族に宛てた手紙を私に託した。
……学生証と一緒にこれを私が彼女たちの家族に渡すのか。
それって相当に私の心的負担が……いや、やめよう。もう戻れない彼女たちの選択だものな。
そうして、巻き込まれた異世界人としての役割を終えて、私は元の世界に戻ったのだった。
さて、物語は大抵ここで終わるはずだけれど、私の人生は続いていく。
家出少女で失踪届が出されていた私、捜索届が出されたままの彼女たち。そして彼女たちから託された手紙を届ける過酷なミッション。
「なんでお前だけが戻ってきたんだ!!美玲を、美玲を返せ!!」
そりゃ異世界に行ってきて、なんて信じてもらえないですよね。
頭のおかしい女として処理されますよ。
二人の家族には相当恨まれた。わかっていたけれど、相当にきつい。
家族や友人たちにも腫れ物に触るような態度で接され、居心地が悪いにもほどがある。
そうして、もちろん。
受験シーズン真っただ中に帰ってきたものだから、大学にも行けなかった。
なんとか頑張って専門学校だ。
そこは最後の追い込みで希望するところに行けてよかったけれども、散々だった。
慌しい日々を過ごす中でたまに空を見上げる。
あの世界の空は高く、空気は澄んでいた。
私にはあの世界に何も影響を与えることはできなかったけれど、あの世界は私に相当な影響を与えた。
あれから十年。
私は何者かになることができたのだろうか。
久々に降り立った故郷の空を見上げて感傷に浸っていた時だった。
脳裏に声が聞こえる。
【……助けて……香織。この……声が……聞こえる?】
遠い昔に聞いた、陽だまりのような声。
【お願い……私たちの子どもを……助けて……】
途切れ途切れの言葉を繋ぎ合わせると、どうやら向うの世界で産まれた彼女たちの子どもが病に倒れたのだけれど、向うの世界の方法では救うことができなかったようだ。
だけど、私たちの世界の医療技術でもってすれば、治るかもしれない。
そんな藁にも縋る想いで世界を渡った私にコンタクトを取ったようだ。
どうやら、あの世界に一度行ったことで、縁が結ばれ私にだけ声が飛ばせるようだった。
世界を救った神子の力を持ってしても、世界を渡るほどの力を貯めるのに十年かかるそうだ。
ということは、向うに渡った私がこちらに戻してもらえるのは、十年かかるってことらしいんだけど、この世界で私に家族ができているとか思わないのかしら。ご都合よろしく使われているなって肩をすかしてしまう。
二十八、独身。
手に職を持っていて、生きるのには困らない。
あの世界の人間に未練はない……つもりだ。
けれども、今の私にできることがあるというのならば。
あの時救えなかった命を、救うことができるのかしら。
「美玲、待って。今すぐには無理よ。準備が必要だから一週間待ってちょうだい」
【香織……助けてくれるの……?】
「ついでにあなたたちの家族にも会って、あなたたちへの手紙でも受け取ってくるわ」
【ありがとう……ありがとう香織!!……一緒に世界を渡ったあなただけが頼りなの……どうか……どうか私たちの子どもを助けて!!】
脳裏に過る、医療の発達していないあの世界。
魔物の災害とはいえ、傷つき弱ってしまった人たち。
公衆衛生の概念もなく、衛生環境も整っていない。
だからこそ、あまりにも掌から零れ落ちてしまっていた命の事を想う。
この十年、看護師の資格を取り、海外協力隊として紛争地域で医療行為を続けてきた。
あの頃の私は無力だった。
零れ落ちていく命にただただ涙するだけだった。
けれど、今の私には知識と経験がある。
今の私にしかできないことがあるのなら。
あの時救えなかった命が救えるかもしれない。
『想像以上に役に立たなかったな』
あの言葉を撤回させてやろうじゃないの。
薬草の確認に使っていた植物見本と未開発地域で使える道具。
せっかく任務を終えて日本に一時帰国したっていうのに、落ち着く暇もない。手続していたマンスリーマンションも解約しないと。一週間でやらないといけないことは多いからリストを作って……。
やるべきことを脳裏に浮かべながら、私はにやっと笑った。
神子としての力も、傾国の美貌も持ちえない、ただの一般人だけど。
さぁ、世界を救うとしますか。
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