どこ吹く風

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 ヨガはしばらくのあいだ休みになると言っていたが……。  まあ、それはいい。気になるのは詩のほうだった。大学の講義はおそらく、年度が変わった今もリモートになっているところが多いはずで、そういう状況なのに公開講座が対面というのは何だか不自然だと思ったのだ。  私はS大学のホームページにアクセスし、公開講座のページを開いた。  なるほどね……。  SNSのアカウントをもうひとつ作ることにした。アカウント名は何となく浮かんできた言葉――「どこ吹く風」に決めてしまった。  次に母のアカウント探しに移る。母はヨガや詩の仲間と交流しているのを知っていたから、彼女のアカウントを探すのは比較的簡単だった。 「にしても、奏でるkanakoって……」  kanakoよ、お前はいったい、どこでどんなことを奏でているのやら、などと苦笑いしながら、このアカウントに関わりのあるメンツをチェックしているうちに、kanakoのフォロバ率が100パーセントだということがわかったので、とりあえずフォローボタンを押しておいた。  プロフィール画像を用意したり、文章を考えているうちに、通知が届いた。開くと「奏でるkanakoさんにフォローされました」という文字列が表示された。  これで準備は整った。  1階の自室で身支度をしている母の顔を想像しているうちに、ふと、大学2年生のときの、とある出来事について思い出していた。  私は無駄に真面目だった。いや、学費がもったいないという貧乏根性も働いていたのかもしれないし、あるいは、他に興味あることがなかったからかもしれない。  私は毎日の講義を欠かさず受けていた。もちろん、せっせとノートをとることも怠らなかった。私は母と違って、顔も服装も派手でもなく地味でもなく、いつでもたやすく雑踏の中に溶け込んでしまうタイプだったのだが……。  であるからこそ、そういう意味では目立ってしまったのかもしれず、特に仲がいいというわけでもない人にも、テストやレポート提出の前などにはノートを貸してほしいと声をかけられたのだ。  頼りになると言われて悪い気はしなかったはずなのに、何であんな細工をしようと思いついたのか、今だによくわからない。  法学部の刑法の講義を受け持っていた教授は、いわゆるその道の権威と言われる人だった。教科書はその教授が書いたものだったので、講義を聞かなくても教科書をある程度読んでいれば、教授がどんな説を支持しているのか、だいたい把握できるはずだった。  私としては、教授が推す説であろうが、反対派が推す説であろうが、正直言えばどちらとも真に理解したとは思えなかったし、また、仮に理解できたとしてもどちらを唱えてもいいと思った。その理由は単純だ。だってどちらを唱えようが私の実生活には少しも影響しないとわかったからだ。  でも、あるとき気づいてしまった。それをノートにどうしたためるかは、私の実生活にじかに影響してくるということを。  だから私はそれ以来、反対派の主張を軸にしたためるようになったのだった。  3年の前期の試験の頃には、刑法に限らず、ノートを貸して欲しいと言われることはほとんどなくなっていた。
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