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正面から目の前にずいっとジョッキが差し出され、私はジョッキの中の気泡を見つめたまま、一瞬だけ自分のジョッキをぶつけた。
どうして平気な顔、してられるの。
どんな顔をしているかはわからない。
見ていないから。
けれど、私を見ているのはわかる。
見られたくなかった。
若くて元気いっぱいで、卑屈になるなんて知らない私だけを憶えていてほしかった。
バツイチで、白髪染をして、肌はテカっていて。
彼にだけは、見られたくなかった。
「篠塚は東京にいたんだろ?」
ぼんやりしていたから、間近に簑島の声を聞いて、ハッと顔を上げた。
「あ、うん」
「離婚して帰ってきた?」
「そう」
「匡も東京じゃなかったか? 大学」と近藤が箸にザンギを刺し、小さく振った。
「ああ」と、匡が短く答える。
「親父さんが倒れなきゃ、東京で就職してたんだろーな?」
「え――?」
お父さんが倒れた……?
「どうかな。就活苦戦してたから、やっぱ帰ってきてたかもな」
ははは、と匡が笑う。
私は簑島に顔を向けたまま、視線だけ匡が持つジョッキに動く。
なんで、そんな嘘……。
『やっぱ、就職しようかな』
両手を組んで頭の上にのせ、んーっと上体を仰け反らせて身体をほぐしながら、匡は言った。
『彼氏が学生って、恥ずかしくない?』
私は小さなキッチンで、インスタントコーヒーが入ったカップ二つにお湯を注ぎながら、『どこが?』と聞く。
『ヒモみたいじゃん』
『養う気なんかないけど?』
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