バルコニー職人

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私の仕事はバルコニー職人です。今では「でした」というのが正しいのかもしれません。 仕事の細分化が進み、全世界に万とも億ともいわれる種類の仕事、職種がカテゴリー化され、整理されてから数十年。世界中に一人しかいない「バルコニー職人」である私は、住宅に限らず、バルコニーのデザインを提案し、着工、納品、アフターフォローまで対応するのが仕事です。知名度で言えば、調理師や運転手、警察官といったメジャーな仕事ではありませんが、生卵と茹で卵の仕分け職人や、網戸の目を整える職人ほどマイナーでもない職業です。 その仕事に遣り甲斐と誇りをもって取り組めていた着任してからの数年間は、様々なデザインのバルコニーを手掛けてきました。植木鉢を置き、テーブルとイスを用意し、バーベキューセットを使用した家族団らんパーティ用バルコニーや、天体望遠鏡を設置して星空観察までできるアストロゲイザー用バルコニーもありました。 大きい施設でいえば、新作映画の俳優舞台挨拶、賓客の歓迎挨拶などなど、大規模なバルコニーの作成まで手掛けてきました。 とはいえ、オゾン層が破壊され地球温暖化が進み、紫外線や寒暖差対策で住居の仕様が変わり、南極北極の氷が溶け海面の水位が上がり、世界中の地図が書き換わった事件とか、無線電波の影響で大気成分まで変わってしまったとか、世界中で20世紀の頃とは住環境が完全に変化していったのは記憶に新しいところです。 何が起こったかといえば、世界中のあらゆる都市で再開発が進み、区画整理されていきました。 主要都市から地方都市、山あいの集落に至るまで大気、陽ざし、飲料水まで完全にコンディショニングされた環境が提供される「ドーム」で覆われた閉鎖空間での生活が当たり前になりました。 ドームの中では、過去の一戸建て住宅やアパートのような住環境に代わって、大半の住民が政府の提供するメガマンションに住むようになりました。移動手段もドアトゥドアが当たり前になり、買い物に出る、といったことも各家庭の買い物端末からワンクリックで出来るようになった時代。 家の内部も変わりました。 まず、壁一面がテレビでもあり窓ガラスにも、カーテンを開けた窓を再現できるハイテクユニット化されました。洗濯も機械に入れれば、乾燥までされて折りたたまれた衣類が出てくる仕様が当たり前になり、また、バスタブにお湯をはり、お風呂に入るという習慣がなくなり、エアーシャワーで体の汚れを落とすのが普通になりました。 その結果、20世紀には「夢のマイホーム」とまで言われた一戸建て住宅が、ごく一部の層にしか提供されなくなってしまいました。 そんな時代に私の仕事はバルコニーを作ることを基本としつつ、とはいいながら、その機会や能力を発揮することも無く、メガマンションの管理から修理修繕、領収書の整理まで、日々の雑務を淡々とこなしていく日々が続いていました。 そんな退屈ともいえる日々が続く中、久しぶりに私たちの事務所にオリジナル物件の製作依頼が届きました。政府からの依頼で、「歴史民俗保存会館」のコーナーの中に、20世紀の「一戸建て住宅」を当時の住環境のままに再現してほしいという内容でした。 デザイナーたちで依頼資料を研究し、熱を帯びた会議を重ね、ようやく1つの住宅プランが完成しました。 私も完成したプランに目を通します。必要建築部材として、鉄筋、コンクリート、ガラス、アルミニウム、網戸など、製作に必要なものが記載されていましたが、窓面の寸法を見て愕然としました。横1800mm、これはガラス戸ならば2枚分のサイズなのでバルコニーを作るうえで最低限のサイズでした。 けれども、高さがたったの900mmしかありませんでした。これでは大人の人間一人、立ったままバルコニーに出たり入ったりできないサイズです。 いやまて、もしかしたら古い日本住宅のような、茶室のような作りをしていて、資料の中でしか見たことが無い「ニジリグチ」なのでは?とも思いましたが、今回の依頼で構造物を設置する場所の高さは、地上から900mmの高さだから、これも違います。 「久しぶりに本業の仕事ができるかも」と思いつつ最後まで仕様書を見て立ち尽くし、茫然とし、「あぁ」とため息をついたのは、仕方のない事だと思います。 結論、政府からの依頼で歴史的に構造物として残すことになったのは、「出窓」でした。 「出窓」とは、通常家屋から300mm程張り出し、調光及び、換気、そして部屋のデザイン性の向上を目的として作られるものです。換気以外は基本窓を開けなくても大抵の目的を果たせる構造物です。 バルコニーは「自宅と外界をつなぐ出入口の場所」でもあり、日常生活の上で洗濯物や布団を干したり、家庭菜園をしたりする場所だったわけでした。けれども温暖化、海面上昇、大気の組成変更によって陸上から切り離され、海中に住む場所を移し替えた人類にとって、ドームは海流から都市全体を守る防護壁として機能し、その内側の居住区であるメガマンションの壁の外側は「海」。玄関を出たらすぐムービングロードが目的まで住人を速やかに移動させ、そのムービングロードを活用した物資運搬システムによって、海水に満たされた外界に出ることも無く、物資が各家庭に届くようになり、仕事も勉強もリモートで出来るようになった時代。家屋から出て何かするということが無くなっていました。 そんな海水に囲まれた生活環境なのに、バルコニーのような入り口があったら、あっという間に住居に海水が浸水して水圧で押しつぶされて建物は壊れてしまうでしょう。 隣の席の「出窓デザイナー」が目をキラキラ輝かせながら久しぶりの仕事に、息を巻いて取り組んでいるのを見ながら、私は自分の仕事の必要性がもう歴史の中にも残せない事を感じました。もう、バルコニーを作る家は出来ないな、と。 私は、遠いまなざしで出窓デザイナーの生き生きした表情を見ながら、自分のこれからのやりがいを考えたうえで、私は転職を選択しました。その結果、バルコニー職人は私の引退をもって地球上から姿を消しました。 今の世界に、職種はたくさんあるのです。私にも合う仕事がきっと何かあるでしょう。
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