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「えっ、お父さん……?」
「マイ……?」
私は今、出張先の会議室にいる。ついこの間、引き継いだばかりの取引先だ。住所から地元であると知ってはいたが、父の勤め先だとは知らなかった。まさか、こんな場所で遭遇するなんて。一瞬、夢を疑ったよ。
皺、増えたなぁ――なんて考えると同時に、同じところを見られてたら嫌だなとも思った。
不思議そうな同僚に関係性だけ告げる。簡単な『ちちです』の四文字が、こそばゆく胸を擽った。何食わぬ顔で後に続いた父だったが、一瞬だけ床へとはにかんでいた。
目的を果たすべく、私たちは仕事人として話をした。
因みに、初めて見る父の仕事ぶりは、ちょっと残念だった。
会議を終え、会社を出る。父は急ぎの案件があるようで、名残惜しそうに――見えるだけかもしれないが――次の舞台へ駆けていった。その背中は、あの頃と何も変わらなかった。
「このまま直帰して良いってことですよ。どうします?」
業務連絡を終えた同僚が、スマホを鞄に片付ける。一瞬、問いの意味を探してしまったが、恐らくは地元と聞いての配慮だろう。
この辺りは、不自由はないが面白味もない街だ。回るには些か退屈な場所である。だが、配慮を無下にもできず、ひとまず優しさを受け取った。
「あー……じゃあ私、ちょっとこの辺回って帰ります」
「分かりました。じゃあ私は帰ってます。お疲れ様でした」
軽く会釈した同僚は、駅方面へと向かっていく。私は、なんとなしに反対側へと踏み出した。
まぁ、行きたい所なんか思い付かないけどね。
宛もなく街を歩く。我が家が世界の全てだったのだ。ゆえに、新たな地を歩んでいる気分になる。それが無償に寂しく、また悲しくもあった。段々と視線まで下がり出す。
適当にお土産でも買って帰ろう――そう考え、顔を上げた瞬間、足が止まった。
意識を支配したのは、懐かしい光景だった。同じではない。我が家でもない。けれど、心を巻き戻すほどには似ている。
あったのは、生命を輝かせる極彩色の庭だった。そよ風に踊る花の中、母を探してしまいそうになる。
風に運ばれてか、芽の疑問が再び舞い降りた。同時に、今の庭がどうなっているのか気になった。もしかしたら、元に戻っているのではないか――なんて、小さな期待まで勝手に灯りだす。
気付けば、体は我が家を目指していた。茜色の日射しが、背景を作りはじめた。
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