最終話 ようこそ校閲部へ!

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最終話 ようこそ校閲部へ!

 生徒会長選挙から一週間後。  帰りのホームルームが終わり、荷物をまとめていると優花がやってきた。  相変わらず、優花が背負っているエナメルバッグにはたくさんのアクリルキーホルダーがぶら下がっている。 「どう? そろそろバレー部に入る決心した?」  優花はバレーボールを私に向かってサーブするパントマイムをする。私も空想上のバレーボールをレシーブで受け止め、優花に向かってアタックで返す。 「実はさ、もう部活入ったんだ」 「嘘?!」 「しかも私、部長だよ!」 「えぇ?!」  優花はパントマイムも忘れ、私の机に手を置いて身を乗り出す。 「びっくり! 開いた口が塞がらないよ!」  ん? それって……。 「ちょっと待ってね」  私は胸に引っかかった小さな違和感を取り払うべく、カバンの中から慣用句辞典を取り出す。  あ、やっぱりそうだ。 「開いた口が塞がらない、はびっくりした時じゃなくて、呆れて物が言えないって時に使うんだよ」 「そ、そうなんだ……」  はースッキリした。  でもなんか、今の自分、冬木先輩に似てたかも……。  反省反省。 「それで、どこの部活に入ったの?」 「入ったんじゃなくて、作ったの」  私は慣用句辞典をカバンに直す。  カバンの中には国語辞典が二種類、漢字辞典、慣用句辞典、ことわざ辞典が入っており、持ち上げるとあまりの重さにふらついてしまう。  だけどしょうがない。  だって私は。 「私は清開中学校閲部部長、彩田香だよ!」 「こ……こうえつ、部?」  優花のリアクション、なんだか懐かしいな。  私も初めて校閲部の存在を知った時は、今の優花と全く同じ反応だった。  あの日からまだ二週間しか経っていないのか。  長かったような、あっという間だったような……。  不思議な気持ちのまま、黒板の上に架けられた時計を見ると部活開始時間ギリギリになっていた。  やばっ! 「じゃあね!」  私は慌てて、誰よりも早く教室を飛び出した。  急いで、校閲部の部室に行かなければっ!  それは生徒会選挙が行われて数日が経った日のことだった。  私たちは宇治先輩の実家である喫茶・朝日館で選挙の打ち上げをしていた。 「何だかよくわからねえけど、めでたいんだったらたくさん食べろよっ!」  そう言っておじさんは喫茶・朝日館自慢の焼きそばやフライドポテトなどを机に並べてくれる。 「ありがとうございますっ!」 「美味しぃ〜〜!!」  私と光輝先輩はガツガツとご飯を食べまくり、冬木先輩は黙ってジュースを飲んでいた。 「みんな、ちょっといいかな?」  宇治先輩はお皿を置いて立ち上がる。 「どうしたんすか? そんな改まって」 「これからの校閲部について、なんだけど」 「僕は、校閲部を引退するよ」 「引退?!」  うん、とうなずき、宇治先輩は優しくお腹を撫でる。 「サイコーちゃんの言葉を聞いて、思ったんだ。  ちゃんと話さないとわからないことがある。  だから僕は父さんと話し合った」 「私の言葉……?」  あぁ、柊先輩にお父さんと話し合ってください、と伝えた時のことか。 「僕はもう一度、小説家になりたいって伝えた。そしたら父さんははっきりと言ってくれた。  難しいんじゃないか。  叶わない夢を見るのは辛いぞって」 「なんだよそれ。そんなひどい言い方しなくてもいいのに」 「違うんだ。父さんは」  宇治先輩は、お父さんとの話し合いを思い出す。  宇治先輩のお父さんは少しだけ恥ずかしそうに話を始めた。 「俺も昔、役者に憧れたことがあってな。劇団に入ったり、オーディションを受けたりしたけど、てんでダメだった。  俺はひどく落ち込んだ。  もう何もかもどうでも良くなるくらいな。  そんな俺に、うちの親父がここ、喫茶・朝日館を継いでくれって言ってきてな。  そのおかげで俺は今日も生きて、満やお客さんにうまい飯を作れている。  だからもし、小説家の夢が叶わなくてもそれで満の人生が終わるわけじゃない。  俺が絶対、朝日館を守り続けるから」  宇治先輩は胸のあたりにそっと手を置く。 「父さんが役者志望だったなんて初めて知ったよ。  それに、夢が叶わなかった悲しみを知っていることも。  父さんは僕を応援していないわけでも、信じていないわけでもなかった。  ただ、心配してくれていただけだったんだ」  晴れやかな表情を浮かべる宇治先輩を見て、私も心が軽くなるようだった。  あの日、高台の上で見た悲しそうな表情の宇治先輩はもうどこにもいない。 「だけど。  それでも僕は、やっぱり将来小説家になりたい。  そのためにもたくさん勉強して、いろんな経験を積んで、自分の作品に、そして自分自身に自信が持てる小説家になりたいんだ!」  高校受験も始まるしね、と付け加え、宇治先輩は苦しそうに微笑んだ。 「えー宇治先輩が校閲部じゃなくなったらもうここ来れないじゃん」 「おい、宇治先輩に失礼だろ」  冬木先輩は光輝先輩の肩を軽く殴るが、光輝先輩は止まらない。 「いやでも実際、部長いないし部室ないし、ますます部活動への道は遠のいたな」 「その話なんだけど、部長を引き継ごうと思って」 「引き継ぐ? 誰に?」  宇治先輩からの視線を受け取り、私は宇治先輩の隣へ移動する。  光輝先輩と冬木先輩。  二人のはてなマークが浮かんだ目を眺めて、私は堂々とした態度で立つ。 「校閲部二代目部長、彩田香さんです!」 「よろしくお願いします!」 「「はぁ?!」」  お、二人のシンクロ。久しぶりに見たな。 「マジで? サイコーちゃん部長なの?!」 「こいつが部長って、どう言うことですか?!」  「こいつぅ?」  私は目を細め、冬木先輩にジリジリと歩み寄る。 「目上の人には敬語使うんじゃないの?」 「ぐっ……」  いつかのお返しだ。  だけど冬木先輩も折れずに腕を組んでふんとそっぽを向く。 「そもそも校閲部は部活じゃないだろ。部長って言ったってそんなものただの飾りだ」 「ただの飾り……」  私に対しての強がりが、流れ弾として宇治先輩にクリーンヒットしている。 「お前も結構失礼よ」  光輝先輩のツッコミも冬木先輩の耳には届いていないようだった。 「そう言うと思ってました」  私は宇治先輩とうなずき合い、ポケットから校閲部の部活申請書を取り出す。 「校閲部の部活申請書です」  私は生徒会選挙が終わった直後、宇治先輩から校閲部の部長を頼まれた時から、優斗くんに部活動申請についての正式な手続きを教えてもらい、申請書を手に入れた。 「あ、もう生徒会の印鑑押されてる」 「この顧問の印鑑……」  部活動代表者の欄に押された部長である私の『彩田』の印と生徒会長の欄に押された『小野』の印。  その間の顧問の欄には『重田』の印が押されている。 「重田? そんな先生いたっけ?」  首をひねる光輝先輩の横で、冬木先輩は思いついたように声を漏らす。 「重田って……お前」 「うん、校長先生だよ」  校閲部の顧問は重田徳則先生。  清開高校の学校長だ。  あっけにとられている冬木先輩の隣で、光輝先輩は盛大に笑い出す。 「校長が部活の顧問ってありなの?」 「わかんないけど、お願いしたらいつも世話になってるからってすぐにOKしてもらえました。  その代わり今後も校長先生の挨拶の校閲を頼むって」 「それ取引じゃね?」 「まぁ、多少の取引ぐらいはしますよ。正しいことのためならね」 「ぐっ……」  本日二度目の冬木先輩の「ぐっ……」が出た。  金森先生の不正の企みを伽耶先輩に教えた代わりに、伽耶先輩から優斗くんがタバコの吸殻を置いた証拠をもらう取引をした冬木先輩は何も言い返せないだろう。  苦虫を噛んだように顔を歪ませる冬木先輩の脇を突き、光輝先輩はぼそりと呟く。 「な、お前に似てるって言っただろ」 「うるさいっ」  私は改めて姿勢を正し、二人に対して頭を下げる。 「二人とも校閲部に入ってください。そして、部室に来てください!」 「部室……?」 「学校の空き教室を校閲部の部室として利用する許可も得ました。  今度からは朝日館じゃなくて学校で、校閲の作業をしてもらいます」 「学校で……」  光輝先輩はペンを走らせる。  部活動部員の欄に安達光輝の名前が入る。 「冬木」 「……俺は、校閲部には入れない」 「冬木!」 「俺は! 学校に居ていい存在じゃない。……だから」 「そんなの、正しくないでしょ!」  冬木先輩は騙されたとはいえ、一人の生徒を傷つけた。  その生徒は未だに学校に来られていない。  それは確かに、反省すべきことだし、その罪を償う必要があると思う。  だけどその方法が、本当はやりたい学校新聞づくりをやめて、本当は行きたい学校にも行かないことじゃないでしょ!  だってそれって、ただただ冬木先輩が辛いだけじゃん……。 「誰かを傷つけたから、間違ったからって、自分もずっと間違い続けて、傷つき続けるつもりですか?!  じゃあ冬木先輩はいつになったら、心から笑えるんですか?!」 「じゃあ俺は、どうすれば正しいんだよ!」 「そんなのわかんないですよ!」 「なっ……」  冬木先輩は驚いた様子で、言葉を詰まらせる。  まさか、こんなに威勢のいい人がわからないって言うとは思っていなかったのだろう。  だけどしょうがないじゃん。  だって本当に、わかんないんだもん。 「私だって、未だになにが正しいのかわかんない。  今もこうやって、冬木先輩の過去に土足で踏み入るような行為だって正しいのかわかんない。だけど、だから!」  私は冬木先輩、それから光輝先輩、そして宇治先輩を順番に見ていく。  これまでの体験入部を経験して、みんなと過ごして、これだけはわかった。 「私は、なによりも正しさを大切にする校閲部を通して、自分の正しさを見つけたいって思います」  校閲部は優花のいうように汗を流すような爽やかな部活じゃない。  何時間も辞書を引いたり、草の中にじっと隠れるだけの地味な部活だ。  それでもやっぱりこれが、私なりの正しい青春のあり方だと思う。 「冬木先輩も、正しさがわからないなら、私たちを頼ってください。  正しさは一つじゃない。人それぞれ違うんだから」  冬木先輩は拳をぎゅっと強く握る。  俯く冬木先輩の瞳が少しだけ潤んでいるのがわかった。 「俺は……」 「今すぐ決めなくていいよ」 「宇治先輩」 「じっくり考えて、自分が正しいと思う選択をすればいい」 「……はい」  よし! と宇治先輩はお腹をポンっと叩く。 「ありがとう、サイコーちゃん。  いや、これからも校閲部をよろしくね。部長!」 「部長って……」 「そうだな! よっ、部長!」 「呼び方はこれまで通りでいいですから!」  これまで通りって言っても、『サイコー』も元々はあんまりしっくりきていなかったけど、今では結構気に入っている。  なんだか本当に、自分が最高な気がしてくるから! 「サイコーちゃん!」 「はい!」 「よっ! サイコーちゃん!」 「はいよっ!」 「……サイコー」  私たちは驚いて、冬木先輩を見つめる。  今、冬木先輩が私のことを、サイコーって呼んだ?! 「は、はい?!」 「……ありがとう」  冬木先輩はふっと口元を緩ませる。  その笑顔は、柊先輩のものと似ている気がした。  冬木先輩も、少しだけ背負った荷物を下ろすことができたのかもしれない。    やった……! 「冬木先ぱ……」 「冬木ちゃんっ!!!」  私が喜ぶよりも先に、光輝先輩が涙を流しながら冬木先輩に飛びついていた。 「暑苦しい! 抱きつくな!」  相変わらずバタバタとじゃれあう二人を見て、私と宇治先輩は笑った。  私は階段を掛け上がる。  目的の階までたどり着き、廊下に出るとすぐに視界の端で光がパッとまたたいた。   「よぉ、校閲部部長さん」 「伽耶先輩……」  大きなカメラを首に下げた伽耶先輩は相変わらず、髪がボサボサで、猫背で、全体的に不気味だ。  だけど、ちょうど良かった。  私はスカートの端をぎゅっと掴む。 「私、伽耶先輩にどうしても言いたいことがあって……」 「なんだぁ? 冬木から嫌味の伝言でも、もらってるのかなぁ?」 「選挙のときは、ありがとうございました!」 「は?」  伽耶先輩は目をまん丸にしている。 「伽耶先輩の証拠がなかったら、優斗くんの暴走を止められなかったかもしれません。  また伽耶先輩の力を貸して欲しいときが来たら、その時はよろしくおねがいいたします!」  頭を下げると、くっくっく、と伽耶先輩は愉快そうに笑う。 「お礼なんて、久しぶりに言われたな」 「え?」 「いいやなんでもないよ。こちらこそぉ。これからも、どうぞご贔屓にぃ」  伽耶先輩はお嬢様のようにスカートを少しつまみ上げ、上品にお辞儀をした。  伽耶先輩なりのジョーク、かな?  私もふふっと笑うと、伽耶先輩はすぐにメモ帳と録音機器を取り出す。 「とりあえず、安達くんとの交際疑惑について特集を組ませてもらうよぉ。それとも、冬木も入れて三角関係ってことにしようかぁ? いや、いっそのこと小野会長も入れて四角関係なんて……」 「やっぱりあなたには頼みません!!」  録音機器を掴み取ろうと手を伸ばすと伽耶先輩はひらりとかわし、怪しげに笑った。 「やっぱり、安達くんとの交際疑惑はデマかぁ」 「デマもデマ! 真っ赤な嘘ですよ!」  必死になって否定すると伽耶先輩はカメラのデータを確認しながら「でもさ」と呟く。 「嘘が、真実に変わることだってあるかもよ?」 「それって、どういう……」  ひひひ……。  気がつけば、目の前から伽耶先輩の姿が消えていた。    やっぱりあの人、不気味すぎ!  夏だというのに急に寒気がして、私は腕をさすりながら廊下を進む。  特別棟の端の方にある小さな空き教室。  扉の上には『校閲部』と書かれた真新しいプレートが刺さっている。  ここが私たちの部室だ。  扉を開けると右の席で光輝先輩は退屈そうに原稿を読んでいる。  その反対側。  左の席では制服を着た冬木先輩が赤ペンを走らせている。  やっぱり、冬木先輩の制服姿はいいな。  学校に登校するようになった冬木先輩は校則に合わせて髪も少し短く整えており、より綺麗な顔立ちが見えるようになった。 『いっそ冬木も入れて三角関係ってことに……』  ふと、先ほどの伽耶先輩の言葉が脳裏によぎり、私はブンブンと頭を振る。  そんなこと、あるわけない!! 「なにやってるんだ。サイコー」 「いや、別になんでもないですけど?」 「どうでもいいが、これを見ろ」 「へ?」  冬木先輩は私の顔の前に原稿を突きつける。  それは文芸部から校閲の依頼を受けた創作小説だ。  なんでも私たち、校閲部からインスピレーションを受けて書いた小説だという。 「ここ最初のページの一行目、青天の『霹靂(へきれき)』の字が違う。  正しくは『霹』。  これは『霜』だ」  ん? 確かに……。  でもさ。  私は冬木先輩が持つ原稿を避けて部長席である真ん中の席に着く。 「だいたいわかるでしょ、これ読んでる人みんな気づいてないって」 「正しさが大切なんだろ、ほらやり直し」 「サイコーちゃんがんば」 「お前も、チェックが抜けてる」 「口うるさいねー」 「ねー」  光輝先輩と顔を見合わせ、首を傾けると冬木先輩の顔はみるみる不機嫌そうに変わっていく。 「お前らいい加減に……」    コンコン。  扉を叩く音が聞こえ、私は慌てて冬木先輩を押しのけて扉を開ける。 「はい!」 「あ、えっと……、その……」  勢いよく出てきた私に驚いたのか、部室の前に立つ女子生徒は口ごもっている。  だから私は、かつて宇治先輩に言われた言葉で迎える。 「ようこそ清開中学校閲部へ。あなたは入部希望者? それとも依頼人?」  終わり。
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