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9話 生徒会長選挙、本番!
いよいよ、いよいよだ……。
胸に手を当てなくても心臓がどくどくと動いているのがわかる。
ステージ上から見渡すと、体育館に集められた生徒たちはみんな暑さにやられ溶けるように座っている。
渡り廊下側の扉を解放しているが入ってくるのは生ぬるい風ばかりで、日が当たらない体育館裏側の扉は締め切られて熱気はこもるばかりだ。
制服のボタンを外し、滴る汗を肩にかけたタオルで拭う一見だらしない生徒たち。
ぼくも本当は汗を拭きたいが、ステージ上でぼくと反対側に座る柊霧子は汗の一粒もかかずに、涼しい顔をしている。
ここでぼくが汗を拭けば、だらしがないと思われるかもしれない。
それに、選挙に緊張して冷や汗をかいていると思われるかもしれない……。
彼女に少しでも隙を見せるわけにはいかない!
ぼくもまた、無理やり涼しい顔をして座る。
それにしても柊霧子め、こんな時でも余裕そうな顔をしやがって……。
そんな風にしていられるのも今のうちだ!
ぼくは胸を触り、服越しに内ポケットに隠した紙を撫でる。
「し、静かにしてください」
ステージ下で生徒会長選挙実行委員の女子生徒が慣れないマイクにまごつきながらも声を張る。
「ただいまより、生徒会長選挙を始めます。始めに、二年三組、小野優斗さんの演説です」
「はい!」
落ち着いて、立ち上がる。
ステージの上を静かに歩き、マイクの前に立つ。
頭をさげる。
さぁ、計画開始だ。
ぼくは丁寧な所作を心がけ、ズボンのポケットから演説原稿を取り出す。
そしてもう一枚。
内ポケットから小さな紙を取り出す。
これが、ぼくを生徒会長にする切り札。
柊霧子が校内で喫煙しているという内容の告発文だ。
『僕と同じ生徒会役員であり、立候補者である柊霧子さんは生徒会長にふさわしくない存在です。
柊霧子さんは、喫煙をしています。
それも人目につかない校内で、です。
今、私たちがいる体育館の裏でも彼女は以前、いそいそと喫煙をしていました。
嘘だと思うなら、その場所に行ってみてください。そこにタバコの吸殻が落ちていることでしょう。
生徒のみなさん、先生方。
この問題を許してもいいのでしょうか。
それだけではありません。
柊霧子さんの生徒会活動に対するやる気のなさにも、以前よりぼくは愕然としていました。
次期生徒会長は柊霧子さんではなく、私の方が相応しいと思います』
これを演説原稿の(未定)の箇所に読む。
ぼくの振る舞いや演説原稿は完璧。
かたや、柊霧子は校内でタバコを吸う悪人。
ぼくの支持率がぐんぐん上がり、たとえ柊霧子の喫煙の事実を先生たちがもみ消したり、選挙の結果を改ざんしようとしても、目の前に広がる生徒たちは黙っていないだろう。
これで、柊霧子はおしまいだ!
ぼくは、短く息を吐いた。
心臓がどくどくとさらに激しく暴れる。
けれどこれは緊張のせいじゃない。
これから始まるぼくの演説で、生徒一人一人の顔がどんな風に変わるのか。
そして、澄まし顔の柊霧子がどんなリアクションをするのか想像すると顔がにやけてしまいそうになるからだ。
ぼくは今一度顔と気を引き締め、演説原稿を広げる。
…………え?
原稿を開いた瞬間、ぼくは言葉を失った。
なんだこれ……。どういうことだ?
真っ白な頭の中で、ぼくの意識が五分前へとさかのぼる。
選挙が始まる直前、ぼくと柊霧子がステージ横でスタンバイしていると校閲部の宇治先輩と香ちゃんがやってきた。
「直前で申し訳ないんだけど、校閲の見落としがあって。これが最終稿だから」
宇治先輩はぼくと柊、それぞれに折りたたまれた原稿を差し出す。
校閲部からは二日前に原稿を受け取っており、なんども読み込んでいた。
「え、どこかに間違いが?」
ぼくは持っていた原稿と新しい原稿を取り替え、新しい原稿を開こうとするが、宇治先輩が「いやいや」とぼくの手を止める。
「語句の誤用や誤字じゃなくて、句点のつけどころだとよ」
「句点? それぐらいなら別に……」
「声に出して読むものだから多少は大丈夫かと思ったんだけど、うちの頑固者が校閲部の信用に関わるからって」
「わかりました。ありがとうございます」
柊の原稿も新しいものに取り替える宇治先輩。
「じゃあお互いに頑張ってね」
宇治先輩は安心したように微笑むと体育館に集まる生徒の群れに消えていった。
「優斗くん……」
「香ちゃん、ありがとう」
香ちゃんは浅く頭をさげ、すぐに去っていった。
この時ぼくは、香ちゃんと目が合わなかったことに気がつかなかった。
その小さな違和感に気づいてさえいれば。
いや、そもそも句点の違いなど、気にするほどではないと思い、原稿の中身を改めなかったのが間違いだった。
そして、ステージ上、マイクの前で新しい演説原稿を広げた、いまに至る。
「どうしたんだろ……」
「緊張してんのか?」
生徒たちのざわつきで我に帰り、ぼくはすぐに演説を開始する。
「……こ、この度、生徒会会長に立候補しました、二年三組、小野優斗です。
私は一年間、生徒会役員として様々な活動に取り組できました。
朝のあいさつ運動や、放課後の校内の見回りを毎日行い、また、学校行事の手伝いなど役員としての仕事を通して、清開中学校の生徒がより良い学校生活を送れるようにしたいと思うようになりました」
原稿は(未定)の箇所に差し掛かる。
「ここで、みなさんに伝えたいことがあります」
ぼくはゴクリと喉を鳴らす。
「それは……」
くそっ、ここで柊が喫煙していたっていうんだろ!
柊の支持率を下げて、ぼくが生徒会長になるんだろ!
ステージ上の柊霧子をちらりと見て、ぼくはマイクに向かって喋る。
「ぼくが生徒会長になった後のマニフェストについてです」
柊霧子の喫煙について書かれた小さな紙を握りつぶす。
ぼくはマニュフェストを語り、演説は終わりに近づく。
「僕なんかに生徒会長は力不足だと思う方もいるかもしれません。
しかし、生徒会長になったあかつきには、いっせ一代の覚悟で挑む所存です。
どうか僕にこの清開中学校を任せて欲しいです。
皆様の清き一票をよろしくおねがいいたします。』
頭を下げ、演説が終わると生徒たちから拍手が上がった。
くそっ!
今すぐこの原稿をぐしゃぐしゃに丸めてやりたい!
心の中で荒れながらも、丁寧に原稿を折りたたみ、自分の席に戻った。
「続いて、二年一組、柊霧子さんの演説です」
「はい」
柊は凛とした声で返事をすると、静かに立ち上がる。
演台の前に立ち、演説原稿を広げるといつも無表情な彼女の顔が一瞬だけ眉を上がったように見えた。
けれど、柊霧子はすぐに演説を始める。
「皆さんこんにちは。この度、生徒会会長に立候補しました、二年一組、柊霧子です。
私は一年間、生徒会役員として様々な活動を行ってきました。
生徒会役員として培った経験や知恵を元に、より良い学校づくりのために頑張りたいと思っています」
落ち着いた声でマイクに向かう柊はそのままマニュフェストを発表する。
しかし生徒たちは柊の演説を聞き流していた。
柊霧子の演説は聞くまでもない。
そもそもこんな選挙に意味はないじゃないか。
ぼくが立候補すると言った時、香ちゃんが思ったことは、ほとんどの生徒も同じだった。
当選が約束されている優秀な生徒の完璧な演説なんて、生徒たちにとって退屈そのものだった。
だからぼくは、この場所を選んだはずなのに。
ぼくは悔しさで、ギリギリと奥歯を鳴らす。
ステージ上から生徒の顔を見渡すが、どこにも校閲部の桐谷冬木がいない。
あいつだ。あいつのせいだ!
マニュフェストの発表を終え、「必ず実現したいと思っています」と続けると柊霧子は沈黙した。
不自然な静けさが体育館を包み込む。
「どうしたんだろ?」
「マイク切れた?」
と、今まで聞き流していた生徒たちが耳を傾け始める。
すると、柊霧子は選挙演説としてはありえない発言を、はっきりとした口調で言い切った。
「しかし、私には生徒会長を務める自信がありません」
……は?
「ならばなぜ立候補しているのか、そう思うでしょう?」
その通りだった。
気がつけば生徒たちは柊霧子の次の言葉を待っていた。
もう誰も、彼女の演説を聞き流していない。
柊霧子は覚悟を決めた眼差しで生徒たちを見渡す。
「私はある事情で自分という存在を認めてもらえる機会が少ない人生を歩んできました。
だからこそ、自分の実力を認めてもらいたくて、他者からの助けを許せず、いつも一人で生徒会活動もこなしてきました。
そして、わかったのです。
一人では何もできない。
みんなと力を合わせなければ何も変わらないことを。
私は生徒会だけではなく全校生徒みんなで、清開中学校をより良い学校にしたいと考えています。
そのためにもどうか、力を貸していただけないでしょうか?」
そう問いかけ、柊霧子は演説原稿をパタリと閉じる。
いつも完璧な柊霧子の、意外なお願いに生徒はみんな、驚いていた。
体育館にマイクを通してパタパタ、と紙が折りたたまれる音が静かに響く。
「ご静聴、ありがとうございました」
みんな、拍手をするのも忘れ、ただじっと柊霧子を見ていた。
柊霧子は一礼し、自分の席に戻る。
なんだ、今の演説は……?
なんだ、この選挙は……?
「それでは、投票に移ります。立候補者はそれぞれ控え室で待機してください」
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