青い百合は咲き伸ばす

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 注文の紙を全て処理し終えて手持ち無沙汰になった蒼人はキッチンを出て、ホールの方を覗いた。終電の時間が過ぎると店内は先ほどまでの喧騒が嘘のように静かだった。 「鷹村さん、まかない頼んでもいいっすか?」  ホールとキッチンを行き来していた谷合が、腹減っちゃって、と胃のあたりをさすりながら言う。賄いはその日のキッチン担当が適当に作るのがこの店の決まりになっていて、今日の担当は蒼人だ。 「そうだね。お客さんいないしちょうどいいか。ちょっと待ってて」  人懐っこい谷合は、「やったー。鷹村さんのまかない美味いから楽しみっす」と言いながら二人分の烏龍茶をジョッキに注ぐ。  甘く味付けした親子丼にチーズをたっぷり乗せてやった。いかにも学生が喜びそうな丼だ。  いつも通りのシフトなら三人で回しているのだが、ホール係の女の子が急遽体調を崩して休んでいた。急過ぎて代わりを立てられず今日は谷合と二人だった。    店は二人でも十分に回るほど落ち着いては居たが、この春から大学生になったばかりの谷合とはほとんどプライベートな話をした事がないから、話題に困った。    それでも二人しか居ない空間で無言というわけにはいかず、何かないかと探していると谷合がこちらを見た。 「そういえば鷹村さんっておいくつなんですか?」  親子丼を美味しそうに頬張りながら訊いてくる。できればあまり訊かれたくない質問ではあったが、せっかく振ってくれた話題にノーコメントというわけにも、嘘をつくわけにもいかないから正直に答える。  谷合は一瞬、驚いた顔をしてすぐに取り繕った。普段の人懐っこい性格と、この辺りの気遣いを使い分けできるところは素直に羨ましかった。 「若いですね。僕より一個か二個くらいしか違わないのかと思ってたんすけど」  若いですね、の前に、見た目、とあえて付けなかったのは彼なりの気遣いだろう。  ははっ、という渇いた笑いしか返せない自分がどうしようもなく情けなかった。 「あのー。こんなこと聞いちゃっていいかわかんないんですけど」  あっ答えたくなかったら全然あの、と前置きして谷合が質問を投げかける。その前置きが、その気遣いがこちらをより不安定でいびつな気持ちにさせるということを彼はまだ知らない。 「このバイト以外ってなんかしてるんすか?」  俳優を目指してて、たくさんオーディション受けてるんだけど全然ダメでね。そう言ってあけすけに笑えたらどんなに楽だろうかと思う。 「ううん。何もしてないよ」  こちらの意図を察したのか、谷合は、そうっすか、と呟いてその先を聞く事なく、再び親子丼を口に運んだ。 「働くのがさ、嫌になってね。これくらいのペースで働いてゆっくり死んでくのが一番楽だと気付いたんだよ。クズ野郎だろ?」  そう言ってわざとらしく笑ってやった。谷合はどう返そうかあからさまに困っていて、ようやく出た言葉は、「最高っすね」という、肯定にも、嫌味にも、あるいはどうでもいいようにも取れる、こちらに委ねた曖昧さを含んだ優しさだった。
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