どうかずっとこのままで

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 その後は、嶺亜が予約してくれた個室のレストランに向かった。そこがあまりにもおしゃれなお店だったので、澪はすっかり気後れしてしまった。 「だ、大丈夫? 私こんな格好だけど……」 「ドレスコードはないから問題ないよ」  それに、かわいいから大丈夫、といたずらに笑う嶺亜に、澪は赤面した。かわいいなんて言われ慣れていないから、すぐ真っ赤になってしまう。  澪の反応を見て、嶺亜は楽しんでいるような気がする。もしかして、からかわれているのだろうか。  そんなことを考えてちょっとむくれていると、嶺亜は澪の髪をくしゃりと撫でて、何拗ねてんの、と笑った。 「だって嶺亜くん、私のことからかってるでしょ」 「ん? そんなことないけど」 「だってすぐかわいいって言ってくる」 「自分の彼女にかわいいって言って何が悪いんだよ」  彼女。その響きが甘くて優しかったものだから、澪はまた頰が熱くなるのを感じた。  そう、澪は嶺亜の彼女なのだ。青春をやり直したいと言ってくれた、初恋の人。  同窓会のときは、「好きな人がいるのか分からない」と言ってしまったが、いざもう一度付き合ってみれば、答えはとても簡単だった。  忘れようともがいていたあの気持ち。胸の奥にしまったはずのそれは、嶺亜とほんの少し会話をして、笑い合っただけで、いとも簡単にまた花を咲かせた。  でもまだ澪は嶺亜にそのことを伝えていない。青春をやり直したいとは言ったものの、好きだとは言えていないのだ。  初デートである今日の目標は、彼に好きだと伝えること。簡単なようでいて、恥ずかしがり屋の澪には難しいかもしれない。それでも、ちゃんと嶺亜の気持ちに応えたいと、そう思った。 「何食べたい?」  メニューを差し出されて、ハッとする。デートの最中にぼんやりしていては彼に失礼だ。  個室に入ったからか、嶺亜はキャップとマスクを外していて、ようやく見られた彼の素顔にドキドキする。  テレビで見るよりもずっと顔立ちが整っていて、肌も綺麗。同窓会のときはまじまじと見られなかったので気が付かなかったけれど、まだあどけなさの残っていた昔と違って、男らしく成長している。そして何より、ぶっきらぼうだった中学生時代と打って変わって優しい表情を浮かべている。 「マネージャーとよく来るんだ、この店。この辺りのメニューは美味いよ」  開いたメニューの写真を指で示しながら、嶺亜が丁寧に教えてくれる。せっかくだから彼のおすすめのものを頼もう、と決めたときだった。  ふいに頭をよぎった疑問を、澪はおそるおそる口にする。 「その……マネージャーさんって、女の人……?」  芸能界のことはよく分からないが、スケジュール管理や送り迎えなどをしてくれるのがマネージャーのはずだ。俳優としての城戸嶺亜の一番そばにいるのは、きっとマネージャーなのだろう。そう考えると、少しだけ羨ましく思ってしまった。 「なに、ヤキモチ?」  意地悪な笑顔を浮かべ、嶺亜が澪を覗き込む。 「……うん、そうかもしれない」  これがヤキモチというのか。初めて抱いた感情に、少しだけ驚きながら頷く。  前に付き合っていたときも、今俳優として有名になった彼も、嶺亜は昔から変わらず女子に人気だ。それでも澪がヤキモチをやいたことはなかった。自分なんかが嶺亜に好きになってもらえただけでも奇跡のようなことだ。彼が女子にきゃあきゃあ言われているのを見て、申し訳ないと思うことはあっても、ひとりじめしたいと思ったことはなかったのに。  ずき、と胸の奥が痛む。独占欲だ、これは。  嶺亜も昔、同じ気持ちだったのだろうか。澪が嶺亜の兄であるカイトの話をするたびに、嫉妬に苦しんでいたのかもしれない。そう思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。  今さらかもしれないけど謝ろう。そう思って無意識に俯いていた顔を上げると、嶺亜が顔を真っ赤に染めて、口元を手で隠している。 「えっ…………どうしたの?」 「……だって、初めてじゃん」  澪がヤキモチやいてくれるの。と、嶺亜が呟く。それから「昔から俺ばっかりヤキモチやいてたから、澪はあんまり俺のこと好きじゃないかと思ってた」と彼は付け足した。 「そ、そんなことないよ! 私、嶺亜くんのことが大好きで……、でも自信がなくて。わざとカイトくんの話をして、嶺亜くんの気持ちを試していたんだよ」  だから、ごめんね。  ヤキモチをやいてくれるのが嬉しくて、意地悪なことばかりしてしまった中学生の頃。数年越しに謝ると、ようやく肩の荷が降りたような気がした。  嶺亜は少し黙っていたが、ふっと微笑んで呟いた。 「…………なんだ、同じだったんだな」 「え?」 「二人とも、相手の気持ちを疑って、不安になってたんだなって思ってさ」  案外俺たちお似合いなんじゃない?  そう言って笑う嶺亜に、澪は少しだけ泣きたくなる。 「それに、澪には感謝してるんだよ。きっかけはアレだったけど、澪のおかげで芝居に出会えた。こんなに人生が充実してるのは、澪と、芝居のおかげなんだよ」  澪のせいで、兄と同じ芸能界に進む道を選んだ嶺亜。彼の人生を変えてしまったことが、ずっと心に引っかかっていた。  それなのに、お礼を言われるなんて思ってもみなかった。じんわりと胸の奥が熱くなる。よかった、嶺亜が今の仕事を楽しんでくれていて。 「お似合いだね、私たち」  昔の澪だったら、きっと言えなかった言葉。大人になって、素直に愛情を示してくれる嶺亜がいるから、澪も少しだけ自信を持つことが出来たのかもしれない。  やわらかく微笑む澪に、嶺亜も笑ってみせた。  食事が届き、二人で歓談しながら美味しいご飯を食べる。その途中で、嶺亜が思い出したように声を上げた。 「あ、さっきの話だけどさ」 「え?」 「マネージャーの話」  ドキッと心臓が大きく音を立てる。話が流れてすっかり忘れてしまっていた。そうだ、嶺亜のマネージャーの性別をまだ聞いていなかった。  おそるおそる上目遣いに彼を見つめると、嶺亜はふはっと小さく吹き出して、男だよ、と言った。 「男の人なの?」 「そりゃあそうだよ。事務所からしたら、売り出し中の若手俳優がマネージャーと恋愛、なんてスキャンダルは避けたいだろ」 「す、スキャンダル……!」  それを言えば、今のこの状況はスキャンダルに当てはまるのではないか。  若手ナンバーワン、大人気俳優である城戸嶺亜の彼女、それが澪なのだから。  困った顔をした澪に気が付き、嶺亜が安心させるように優しく微笑む。 「ちゃんと言うから」 「えっ、何を?」 「社長にもマネージャーにも、ちゃんと報告する。ずっと好きだった人と付き合い始めました、ってさ」 「…………っ!」  ずっと、好きだった人。  その言葉に、いてもたってもいられなくて、澪は立ち上がる。  がた、と椅子が音を立てた。嶺亜が驚いたように目を見開くのも構わず、じわりと浮かんだ涙も無視して、言うと決めてきた言葉を口にする。 「私、私ねっ、嶺亜くんに言いたいことがあるの……!」 「澪?」 「嶺亜くんの優しさに甘えて、曖昧なまま付き合い始めちゃったけど……私、嶺亜くんのことが好き……!」  好きなの、ともう一度繰り返した言葉に、嶺亜が息を飲むのが分かる。  それから彼も立ち上がり、澪の肩をぽんと叩く。座れという意味かな、と思い、すとんと腰を下ろすと、嶺亜も倣って椅子に座った。 「……知ってるよ」  優しい声が、個室に響く。え? と首を傾げると、甘やかな笑みを浮かべた嶺亜が言葉を続ける。 「ほら、澪は昔から分かりやすいから」  ちゃんと澪の気持ちは伝わってたよ、と続いた言葉に、目頭が熱くなる。  優しいこの人が好きだ。好きでたまらない。  それなのに上手く言葉が出てこない。どうしたらこの気持ちが全部伝わるのだろう。頭の中を見せられたらいいのに。そうしたら全て、余すことなく伝えられるのに。  ぽろ、と涙がこぼれた。泣いたら困らせてしまう。そう分かっているのに、好きなのと泣きながら伝えることしか出来ない。  子どものように泣きじゃくる澪は、もう目の前が涙で滲んで見えなかった。がたん、と大きな音。それから手を引き寄せられて、嶺亜の腕の中に閉じ込められる。初めて抱き寄せられた彼の胸はあたたかくて、心臓が澪と同じくらい早鐘を打っていた。 「分かってるよ、澪」 「本当に……?」 「うん。澪が俺のこと、大好きだってことはちゃんと伝わってる」  ありがとな、と髪を撫でられて、また涙がこぼれた。
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