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席が前後だったことも手伝って、それから二人はいつのまにか仲良くなっていた。澪は彼のことを嶺亜くんと呼ぶようになり、嶺亜は澪のことを呼び捨てするようになった。
大抵二人で話すときは澪が好きな話をして、嶺亜は頷いているだけだった。あまりにも興味がなさそうに相槌を打つものだから、話を聞いていたか確認するためにわざと後で同じ話をすると、それは前に聞いた、とぶっきらぼうに呟くので、いつもちゃんと話を聞いてくれているらしい。
たまに兄であるカイトの話をしてくれたり、澪のことを質問してくることもあった。そんなとき澪は決まって嬉しい気持ちになる。会話を楽しんでいるのは自分だけじゃない、と分かるからだ。
嶺亜は決まってつまらなそうにしていたけれど、それでも澪は二人で会話する時間が好きだった。ときおり見せる彼の笑顔をもっと見たいと思うようになっていた。それは、間違いなく恋だった。気がついたときにはもう恋に落ちているものだ、ということを知ったのは、そのときが初めてだった。
ある日澪が長かった髪をばっさり切った。胸のあたりまで伸ばしていた髪は、部活動をするのに邪魔だったし、当時好きだったアイドルと同じ髪型にしてみたいと思い立ち、思い切って切る決意をしたのだ。ショートヘアになった澪を、クラスメイトは驚きの目で見つめる。嶺亜も例外ではなかった。
「なに、失恋でもしたの」
意地悪な、それでいて優しい声が、澪に投げかけられる。
「失恋じゃないよ、失礼な!」
そもそも失恋したら私は学校休むもん! と澪が言うと、へぇ、と興味のなさそうな声が返ってくる。これは望み薄かな、と澪が俯きかけたときだった。
「好きな人、いるの」
そっけない声が質問を口にする。その問いは、興味のない異性に投げかけるものではないと、恋愛初心者の澪にも分かった。嬉しくなって、いるよ! と声を上げる。
「いるよ、私、好きな人!」
「ふはっ、分かりやすいなぁ、澪は」
恥ずかしくなって今度こそ俯く。すると嶺亜は、澪の顔を覗き込んで、低い声で呟いた。
「なぁ、付き合うか、俺たち」
「えっ」
大きな瞳に上目遣いで見つめられて、心臓が高鳴る。それ以上に、嶺亜の言葉に慌てて周りを見回す。よかった、誰も聞いていなかったみたいだ。
学校中の人気者である嶺亜が、クラスでもパッとしない女子である澪に付き合うか、なんて言ったと誰かに知られたら、居た堪れない。
「な、なんで?」
それは、どうして教室でそんなことを言うの? という意味と、なんで付き合うかって言ったの? という二つの意味を兼ね備えた質問だった。
しかし嶺亜は後者の意味に捉えたようで、何でって、と呟きながら小さく笑う。
「髪を切った澪がかわいかったから」
「えっ」
「ひとりじめしたいと思ったんだけど、ダメなわけ?」
半ば怒ったような口調でそう言うと、嶺亜はぷいと横を向いてしまった。その耳が赤く染まっていることに気が付き、この告白が本気のものだと理解する。同時に熱くなる頰。
好きな人が、自分のことを好きだと言ってくれている。そんな奇跡みたいなことが、あっていいのだろうか。
「ゆ、夢……?」
「現実だよ、ばーか」
意地悪なことを言うけれど、その耳はやっぱり赤い。ちょっと覗き込んでみると、頰も真っ赤に染まっていた。
横を向いていた嶺亜が、ふいに澪の目をじっと見つめる。心臓がドキッと高鳴った。
「返事は」
「は、はい!」
「そうじゃねぇよ、告白の返事」
告白。その響きに、身体中の熱が顔に集まるのを感じる。
でも、流されてはいけない。だって澪はまだ、肝心の言葉を聞いていないのだから。
「れ、嶺亜くんは……私のこと、好きなの?」
ひどく声が震えた。頰は熱いのに、指先は冷たい。こんなに緊張するのは、人生で初めてかもしれない。
「嫌いだったら付き合うかなんて言わねぇよ」
「そうかもしれないけど……ちゃんと聞きたい。ダメ?」
今度は澪が問いかける番だった。
嶺亜は頭をかいて、大きくため息をこぼす。それから、一回だけだからな、と呟いた。
「澪のことが好きだ」
「…………うん」
澪にしか聞こえない、小さな声だった。でも、それで充分だ。
真っ赤な頰を手で押さえながら頷き、澪は同じくらい小さな声を絞り出した。
「あのね、私も、嶺亜くんのことが好き」
「……知ってる」
「だからね、私を嶺亜くんの彼女にしてくれますか……?」
首を傾げて問いかけたその言葉に、嶺亜が息を飲む。それから初めて見る優しい顔で微笑み、もちろん、と答えた。
誰にも聞こえないように交わした静かなやり取り。でも、確かにその日は、二人にとっての記念日になったのだった。
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