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紫は昔から高貴な色だと言われているけれど、彼にはまさに紫が似合うと思った。
下がった眉尻には儚さが、栗を横向きにしたような小さく丸い目にはいとけなさが滲んでいた。
彼の話し方はゆっくりで、どんなに相手の話を否定する時でも「確かにそれも一理ある」と一旦は受け止めていた。けれどそれは相手の言いなりになることを意味するのではない。彼が己の主義主張を展開するのに、相手の不快感を最小限に抑えた配慮である。
彼の実家は裕福だと聞いた。それを目当てに彼に近寄る女は蛆のようにいた。が、私はそのような理由で近づいたのではなかった。
この世に自分の味方は誰一人いないと、本心ではそう思っている。だのに、それを押し殺して、誰にでも親しげな笑みを向けている。
初めは私も騙された。その笑みに。暮らしにも不自由なく誰からも必要とされている彼は、私とは全く異なる人種なのだと諦めていた。同時に諦めきれずにもいた。
その所為か、他の女たちと歓談している時には、彼女らに向ける彼の視線を盗み見るきらいがあった。
そこで私は気づいてしまったのだ。彼の目の、何と虚ろなことだろう。黒々としていて、穴も同然だった。眼窩にただ眼球がはめ込まれただけとしか言い様がなかった。
それは、私に向けられていたものと寸毫の差異もなかった。
私は違う──先んじてこぼれた一粒の葡萄のように。私は他の女とは、違う。そんな自惚れに近い感情は、見事なまでに彼に砕かれた。彼はどこまでも平等主義者であったのだ。幻滅のような苛立ちが、私の頭をもたげた。だがそれでも、この男を手放したくない思いが天秤で勝者となった。
彼の目には私はどう映っているのか。最初にもぎ取られる一粒になりたいと願っても、私には恐らく無謀なことだろう。夫にさえ、そんなふうに願ったことはなかった。
彼は私にもあの優しい目を向けてきた。上辺だけの、あの目を。
それでも私にしかできないことがあるはずなのだ。私にしか、できないこと──。
支払うものを支払ってくれたら、夫は大人しく私との縁を切ると言ってくれた。それなら私は、彼と二人で生きていくことができるのだ。
けれど彼が選んだのはこの場所だった。払っても払っても集る虫たちの毒に、これ以上侵されたくなかったのだろう。魔の手から逃げ続けることに疲弊してしまったのだろう。
たとえ彼にとっての私が毒虫の群れの一部だったとしても、最期まで、いやそれすら超えて寄り添い続けようと決めた。それが毒虫でなくなる、蛆でなくなる唯一の方法だ。
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