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華々しくいろどられていたパーゴラは見る影もなく、雨水の染みた木の骸だけがさびしく佇んでいる。空は相変わらず灰色で、煙る雨は遠景を隠している。あれほど恐れていた青を、今頃になって恋しむとは。この後悔を予見していたら、美しい青色の絵の具を手に入れる手間さえ惜しまなかっただろう。たとえ他人のものを盗むことになるとしても。
窓に溜め息を吹きかけた。雨雲もろとも寂れた冬の雪色に染められる。瞬時にまたパーゴラの骸が戻ってきた。
屋敷内どころか世界中を探しても私と彼以外の生物はいないのではないか。そう豪語したくなる程、烈しく打ちつける雨は私の思考を鈍らせ、また鮮明にもさせた。
「もし今、ここで私たちが死んだら」
合言葉を口にするように、私の口から淀みなく言葉が出た。死という言葉を択びながらも、私にも彼にも、何の吃驚もない。まるで台本通りに進んでいると言わんばかりに。
窓を眺めていた彼はゆっくりと私と目を合わせた。全てがあらかじめ決められていて、こうなることを彼も知っているようだった。
口の端だけを微かに持ち上げて、彼は言った。
「見つからないだろうね。ひと月位は」
ひと月──大袈裟とも思えない期間だ。鬱々と降り続く雨は、地球上の隅々から巻き上げた雲を涸らしても尚、止みそうになかったのだ。
続けて彼は「こんな雨の中、誰が探しにくるだろうか」と静かに目を細めた。
ひと月も見つからなかったら、私たちはどうなってしまうだろう。二つの縊死体が崩れて影のようになる光景ばかりが浮かんだ。
私と彼の一挙一動も外へ漏れ出ることはないだろう。それどころか関心を持つ者すらいないに違いない。驟雨に隔てられた外界は、まるで異世界だった。そこには知り合いも家族も誰もいないのだと──。
私も彼も、確かにあの日、パーゴラの下を歩いた。庭の外とこの屋敷の入口を結ぶ道だ。が、もしその道の先が、どことも知れぬ闇へ続いていたら。奈落の底か、はたまた天空の園にでも辿り着けるとしたら。
踏みしめてきた過去のひとつひとつが、現在へと繋がる伏線だったと思えてならない。
こぼれた一粒の葡萄を彼が大事そうに抱えたことも、爽気に満ちた空の色を手に入れたいと思ったことも、あらゆる事象が今日に集約されているに違いない。そんな脈絡のない考えが浮かんだ。
秒針を刻む掛け時計に急かされ、私は立ち上がった。頬杖から顔を浮かせた彼も私を見て、小さく頷いた。その目に初めて、私の姿がくっきりと映った。漆のような黒い瞳が私を捉えて離さなかった。彼はこの時をずっと待ち望んでいたのだと、ようやく気づいた。
彼はずっと後ろめたさに苛まれていた。倫理にもとったことに。
世間との繋がりを完全に断ち切ることで、解放されると確信したのだ。
そんな彼の瞳をじっと見つめ返す。彼の黒い瞳の奥に、ペリドットと同じ色をした炎が見えた気がする。
部屋の隅には黒い影が、今か今かと潜んでいた。そしてそれは、成長期の枝葉のように恐ろしい早さで成長していく。
まさに今、決まりきったエンディングをなぞろうとしていた。
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