1/2
177人が本棚に入れています
本棚に追加
/29ページ

 ほんとに、どこにやっちまったんだろう。  利用頻度が低いと、ついこうなるんだよな。  土曜日の朝っぱらからアパートじゅうをガサガサしている俺を、秀司は半ば同情、半ば呆れた目で眺めて、ときどき手伝ってくれる。  その目はいかにも『だから言ったのに』といわんばかりだ。  ……ハイ、おっしゃるとおりです。  さすがにこれは俺も反論のしようがない。 「隆、もう車で出たら?」  俺がキッチンの棚を探しているあいだに見てくれ、と託したバッグ三個を、こたつ机の傍に座った秀司が遠慮がちに開けつつ提案してくる。 「うーん。まだ諦めたくない」 「ええ……」  声音に呆れの割合が倍増しても、俺は捜索を止めなかった。昼からの映画にはじゅうぶん間に合うんだ、諦めたら負けだ。  たかが徒歩十分足らずのドラッグストアに車で行くのは面倒だし、そもそもチャリの鍵なんて大したところに入れてないはず。こないだも乗ったし。あーこれ、ズボンのポケットを片端から探したほうが早いかも。今度こそ部屋を片付けなきゃ。 「最近乗ったって言ってたけど、いつ?」 「んー。先週……いや、先々週だったかな。そうだ、先々週の月曜だ。夜中に単三電池切れてコンビニに走ったんだ」  エアコンと照明のリモコンが同時に昇天、しかも新品乾電池の備蓄切れというありえない事態に、携帯電話と自転車の鍵を引っ掴んで家を飛び出したのを、壁掛けカレンダーの数字を遡って思い出した。  ほぼ三週間前の日時を語った俺に、秀司がボディバッグのファスナーを開けながらくすくす笑う。 「それ、最近って言う?」 「ビミョーだな」  もうバッグはいい、ズボンを探すよと言い掛けた俺の耳に、あった!という嬉しそうな大声が飛びこんだ。 「マジ!? 秀司、おまえ天才!」  すっ飛んで行って抱き付こうとしたけど、秀司が俺に向かって掲げている物を見て思い止まった。  チャリの鍵と一緒に、右手に垂れ下がっているのは――銀色の長いネックレス。  なぜバッグのそのポケットに鍵を入れたのかも含めて俺は全部を思い出し、額に右手を当てた。  あー、なんでこのタイミングでこれが出てくるかな。いや、そこに鍵を入れたのはちゃんと理由があるんだけど。 「……隆、これ……」  秀司は曰く言いがたい、ものすごく微妙な顔をしている。  男性用だろうから疑いたくないけど、でもアクセ使ってるの見たことないし、と迷う、不安気なまなざし。  気を取り直した俺はすぐにリビングに行き、秀司を胡坐の上に抱き取った。俺の左腕を背もたれにして横向きに座った秀司の視線が、伏し目がちに揺れている。  こういうときの秀司は、怒られる直前の子供よりも頼りない雰囲気になる。  ぐらつく薄氷の上にいるかのように怯え、でも助けを呼ぶこともできず、ただ立ち尽くすんだ。  普段はあんなに自信に溢れた、いかにも仕事のできるエリートですって顔つきで、あの一流会社を闊歩してるこいつが……  そんな姿を見ると胸が痛くなるほど可愛くて、庇ってやりたくて仕方がなくなる。      な。コレは誰のだって、問い詰めていいんだぞ?  ひょっとして前カノにもらったのかって、怒っていいんだぞ?  お前が言ってたじゃないか、俺たちは恋人だって。   もっと自信を持ってほしいんだけどな。    肩を抱いて秀司の額に頬を寄せる。  さらさらしたストレートの前髪がくすぐったいけど、俺はじっとしていた。  しばらくそうすることでやっと安心したのか、俺が右手指を椀の形にして差し出すと、鍵とネックレスの両方を乗せてきた。  いかにもお手頃価格の、太い鎖に尖った飾りのついたシルバーアクセ。  タイミングはともかく、本当に、マジで、このときほど自分のセンスのなさに感謝したことはない。  ダイヤなんかが付いてる華奢なネックレスだったなら女物と間違われてたろうし、オシャレなデザインなら女性からのプレゼントの確率が高くなって、これも修羅場の到来だったはずだし。  俺は掌のふたつを机に乗せながら説明した。 「これはな、大学卒業したてのときに出来心で買ったんだ。友達にこういうの好きな奴がいて、勧められてさ」 「……そうなんだ?」 「うん。しばらく使ってたけど、止めた」  ぜったい女子ウケするって磯村にそそのかされて、就職したばかりで金に余裕もあったし、ほいほい買っちまったんだよな。うちの大学の柔道部はこういうの一切禁止で、反動というか、ちょいとシャレっ気を出してみたくなったんだ。  俺の母親がやってるサロンには、見習いも含めて昔から男性の美容師さんもかなり雇われてて、男がアクセサリーをつける姿に抵抗がなかったのも良くなかった。今にして思えば、だけど。 「やめたのは、なんで?」  当時の彼女に不評だったのか、と遠回しに訊ねられる。  それなら少しはマシな言い訳になるかもしれないけどな。 「ん……いろいろあってさ。本気で参ったよ、あのときは」 「いろいろ?」 「そう」  なんでネックレスが自転車の鍵と揃ってここにあるのかも含めて、俺は秀司に順番に説明していった。  笑い話なのかなんなのかよく判らない、それ以来すっぱりとファッションなるものへの興味を断った、三年前の夏の出来事のことを。   ※ ※ ※  学生時代の部活仲間に誘われて日帰りのバーベキューに行ったのは、七月の半ば。  磯村、信濃、畑山、そして俺の四人で、都内から高速道路を使って片道一時間のバーベキュー場が目的地だった。  車を出したのは磯村だ。親父さんが車を買い替えるタイミングで四駆を譲ってもらえたってことで、野郎四人が乗っても余裕だろと手を挙げてくれたんだ。  ジュースや肉、炭、野菜を山ほど買いこんで意気揚々と出発して、昼前にバーベキュー場に到着した俺たちは、景気よく肉を焼きはじめた。美味い肉に美味い米、言うことはなんにもなくて四人でひたすら食いつづけていたその時に、悲劇が起きた。  信濃が俺のジーンズに、コーラの入ったコップを派手にぶちまけちまったんだ。 『悪い広嶋、手ぇ滑った、大丈夫か!?』 『うへっ、ちょっと勘弁してくれって、わっ、コーラくせえ!』  肉をハムスターのように頬張ってた他の二人は、このトラブルを面白がりながらも心配そうに俺のジーンズを覗きこんできた。夏だから冷たくはないけど、砂糖まみれの液体が腿から膝にかけてじっとりと纏わりつくのは気持ち悪くて仕方がなかった。 『パンツやばくね? 広嶋、替え持ってきてないよな?』 『ギリ大丈夫だけど、そもそも泊まりじゃないんだし、服も何も持ってきてねえって。うーわ、ジーンズ貼りついてら……』 『コンビニもショッピングモールも遠いしなあ。どうする?』  タオルで拭きながら四人で困っていたそのとき、磯村が両手を叩いた。エウレカと叫び出しそうな勢いで。 『広嶋! そういや親父の着替えがトランクにあったんだ、それ着ろ、貸してやる!』 『えっ――』  得意満面の磯村を尻目に、俺と信濃と畑山は顔を見合わせた。  エウレカなんて高尚な思いつきじゃないのは予想してたけど、予想外のレベルだった。  だって磯村父子のファッションと言えば、筋金入りのミリオタのそれで有名だったからだ。磯村が銀のアクセをじゃらじゃらさせながら今着てるのも迷彩服の上下で、親父さんがくれた四駆も、そもそもはサバゲー含むアウトドア仲間と遊びたいからって所有してた車だった。  そのお父さんが四駆に残してた着替えっていやあ、ソレしかない、よな。  三人で目配せして頷きあったとおり、トランクのボックスから出てきたのはゴリゴリの迷彩柄のズボンだった。 『ただのレプリカじゃないぜ、親父がアメ横で買ってきた米軍の中古だぞ』  磯村に胸を張られても、すまないがちっともテンションは上がらなかった。  が、悲しいことに親父さんと身長体重が似ていたのと、コーラで下肢がべたべたになった気持ち悪さの両方のせいで、俺は断り切れず穿くことになったんだ。  伸縮性の黒Tシャツにシルバーのネックレス、迷彩柄のボトムという格好の俺を見るなり、磯村はよく似合うと真顔で太鼓判を押してくれたものの、信濃と畑山は肉を焼くのも忘れてひいひいと笑い転げた。 『やっべー、本職の自衛官かヤカラだ!』 『俺の叔父さんが刑事なんだけどよ、ぜったいマル暴に勧誘されるって!』 『うるせー! お前らなあ、それ以上笑うと俺の買ってきた肉は焼いてやらねえからな!?』  賑やかに騒いで文句を垂れながらも、なんだかんだでこんなアクシデントを笑い飛ばせたのは、学生時代からずっと仲の良い友達同士ならでは。俺も一緒に笑いながら、またバーベキューに戻ったんだ。  腹一杯になったそのままで家に帰れたら、ズボンを洗って磯村に返してはい終わりで済んだんだけど。  帰り道に、高速道路が事故で一部通行止めという情報を携帯電話とカーナビの両方で知って、磯村は下道を選んだ。  長時間乗ってやっと都内に入ったぞって時に、大きめの駐車場があるコンビニに休憩に立ち寄ることにした。  もう夕方だったし、このままどっかで晩飯も食うかと話しながら車を停めて、磯村と信濃がコンビニに入って行った。俺はひとつ前のコンビニで用事を済ませてたから、煙草を吸う畑山に付き合って店外の灰皿前にいた。  そのとき、空いている場所に駐車しようとしていた白い軽自動車が磯村の車にぶつかったのを目撃してしまったんだ。 『おいっ、ヤバっ!』 『ぶつかったよな!?』  軽い擦過音とブレーキ音に、俺たちは二人同時に声を上げた。畑山は煙草を灰皿に放り捨てるなり白い車にダッシュし、俺は磯村の車を確かめに続いた。  中途半端に停車した軽自動車の運転手は中年の小柄な男性で、ひとりで乗っていた。いかにも気弱そうな、あわよくば逃げたそうな気配をこれでもかと醸し出してたが、畑山が運転席のドア前にスタンバイしているのに観念して、ついにおずおずと出てきた。  白いポロシャツとチノパンツ姿は少なくとも現在仕事中という感じではなく、両手を前でだらんと合わせて、今にも泣き出しそうにうつむいていた。    正直、そのとき相手の男性が少し気の毒になったのを今でも覚えている。  畑山は170cmそこそこで俺より階級はふたつ下だが、はっきり言って岩を組み上げたようなマッチョだ。  その男が太い首に据わったいかつい顎をぎりりと噛んで殺気立ち、腕組みして目の前で仁王立ちしてるんだ。誰だって車にお籠りしたくなるだろうって。服装こそTシャツにジーンズで普通だろうと、こっちのほうがよっぽど本職かマル暴っぽかった。これでも実は大手メーカーの営業で、紳士的な物腰はしようと思えばお手の物なんだけどな。 『ハタ、磯村の車はそこまで行ってねえ。ただフェンダーの塗装がやられてるから修理はいるな。放っておいたら錆びるレベルだ』  俺が状況を説明すると、畑山は眉をしかめて、磯村が戻るまで待っていようと返すと、男性に向きなおった。 『お聞きのとおり、これ、俺らの友達の車なんですよ。本人はコンビニに用足しに行ってるんで、ちょっと待っててもらえますか』 『す、すみません……あの、警察には……』  できれば警察を呼ばず穏便に済ませたかったのかもしれないが、あの塗装の具合だと逃げてもらっちゃ困る、と俺も退路の死角をさりげなく塞ぐよう立ち位置を変え、答えた。 『物損事故ですし、警察呼ばないとダメですよ。修理は本人次第でしょうけど、するってことになれば保険会社を通さなきゃならなくなりますよね』 『ええっ……そんな、修理だなんて、そこまでぶつかってないですよ? ね?』  狼狽した男性が磯村の車を振りかえり、大袈裟なと手を振った。  あそこまで傷行かせておいて、大したことはないという言い草もどうなんだ、これ。けっこう厚かましくないか?  さしもの俺もむかっ腹が立ち掛けていたとき、磯村と信濃がのんびりとコンビニから出てきた。 『おう、どした二人とも、顰めっツラしてさあ?』 『どうしたもこうしたもねえよ、お前の車、当て逃げされるところだったんだぜ』  苦々しそうに唇を曲げていた畑山も俺と同じ心境だったのだろう、吐き捨てるように応じたが、肝心の磯村は『へ? そうなんだ?』と呑気なもんだった。実家は工場経営一族で金持ちだし、もともと親父さんのお下がりだし、四駆にそこまで思い入れはなかったようだった。  ところが、磯村のこの反応なら『あ、もういいですよ、大したことないし』とぬるいことを言い出しかねない流れだったのに、俺たち四人が揃うことでナチュラルに筋肉の壁が完成した瞬間、男性の決意と声が翻った。 『けっ、警察を! 警察を、呼んで下さい――!!』
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!