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雛同士
秋が近づいて涼しくなった季節は、中元と歳暮シーズンの狭間にあるちょっとした閑散期だ。
本格的な冬が来れば、歳暮とクリスマス商戦がスタート。そしてその勢いのまま年末年始になだれこむ。物流が凄まじくなって休みどころじゃなくなるけど、今はわりと余裕があるので助かる。
土曜日である今日は二人とも休みで、例によって例のごとく秀司のほうが俺のアパートに遊びに来ていた。
夕食は、買いこんだ惣菜と自前のおかずを半々にして済ませた。片付けも適当に終わらせてやれやれと一息吐いたはいいが、秀司がテレビの画面をしみじみと眺めながらいきなり呟いた科白に、俺は飲んでいたウーロン茶を吹き出しそうになった。
「なあ、隆。ペンギンって欲しいよな」
外袋を剥いだばかりのアイスを右手に持ったまま、続きを口に入れることも忘れて真剣に見入っている画面には、お茶の間向けの動物特集番組。ペンギン一家が登場して、雛が短い脚で氷の上をたどたどしく歩いているシーンが大写しで紹介されている。字幕に『コウテイペンギン、別名エンペラーペンギン』とあった。
ははあ、皇帝ペンギンですか。
両親っぽい成鳥が雛の両隣を固めていて、様子を確かめるように、ときどき頭を屈めている。
ふわふわの毛を持つ雛が羽根を広げると、秀司の仏頂面がこれ以上ないほどに綻んだ。よっぽど気に入っているらしい。
そういや、こいつはペンギンが好きだって話してたっけか。
『ペンギン運輸』のネーミングセンスは絶無ときっぱり言い放つわりには、ペンギン自体は嫌いでないってのがな。この理屈が俺にはよく判らないが、当人なりに筋は通っているんだろう。
まあそれはそれとして、こいつがここまで動物好きとは知らなかった。
動物に興味のある人ってのは、道端で出会う猫や犬を目で追ったりするもんだろ? でもこいつは犬の散歩に出くわしても平坦な態度でスルーしてたし、あんまり生き物に興味のない奴なんだとばかり思ってたんだ。
だからこのはっきりした反応は正直驚いたというか、意外な一面を見た気分になった。
普段は動物に冷たいようでも、世話させてみれば実は面倒見が良いという人がいるけど、こいつもその類に入るのかも。
あんまり画面に夢中になっているせいで、アイスのチョココーティングがヤバくなってるじゃないか、まったく。
俺は秀司を引き寄せ、後ろから抱きかかえてやりながら促した。
「早く食わないと溶けるぞ」
「んー……」
逆らいもせず俺の腕に納まった秀司は上の空で答え、ちらっと視線を手元に戻すと、あわてて数口で食べた。
残った棒を捨てて、満足そうに俺にもたれて足を伸ばす。
姿勢を安定させるために俺もベッドに背を預けて、目の前にある細い肩に顎を乗せた。シャツの襟足から剥き出しになっている首筋に頬を寄せると、くすぐったそうに身じろぎする。
灰色の毛並みで周囲に愛らしさをふりまく雛鳥は、たしかに可愛い。
するりとした体格の親ペンギンですら生まれ持っての愛嬌があるんだし、それが幼鳥ならなおさらで、こいつが好きになるのも無理はない。
可愛いだの、触ってみたいだの、とりとめもなく語られる感想に相槌を打ってやりながら、でもな、と俺は胸の奥で微笑んでいた。
俺にとっては、秀司もあのペンギンの子供と同じだ。
可愛さも、その性質も。
いっときも目が離せなくて、ちょっととぼけていて、でも本人だけは一生懸命で。
一人前に歩こうとしているのは認めるけれど、すぐに何処かにけつまずきそうで、だから親ペンギンと同様、いつも見張っていないと安心できないんだよな。
考えれば考えるほどそっくりで、可愛くてどうしようもなくなった俺は、TVにばかり釘付けの顔をこちらに向かせてキスを落とした。啄ばんだだけなのにアイスやチョコの甘さが濃く伝わってきて、俺の腰に響く。
この不意打ちに秀司は抗議したそうだったけど、じきに唇を柔らかく開いて、素直に続きを求めてくる。
重ねるだけでは足りないという想いは、俺ばかりではなくて。
舌を差し出して、絡めて、互いに腕を伸ばしてひたすらキスに没頭して。
どちらの息も持たなくなったころ、秀司は名残惜しそうに顔を離した。
濡れたくちびるを舌先で舐めあう音と、染まった目元――聴覚と視覚から入る刺激に、理性が持たなくなりつつあるのが自覚できる。
俺は秀司の頭を撫でて、肩を抱いた。ふんわりとした、いい匂いのする髪が俺の頬をくすぐる。
子鴨のくせに、当人だけは大人のつもりでペンギンを可愛いなんてのたまう、俺だけのちいさなちいさな雛鳥。
氷の大地で生きるあの灰色の子供もお前も、さして大差はないのに。
「お前、そんなにペンギンが好きなんだな」
「だって、すごく可愛いじゃないか。見に行きたいよ」
「俺じゃダメか? いちおうペンギン運輸に入ってるんだけどな。ちゃんと白黒の制服着てるだろ」
他愛もない軽口を叩くと、秀司はまじまじと俺を見上げてから口を尖らせ、大仰に眉をしかめた。
「お前みたいにでかいペンギンはペンギンじゃない」
お気に入りの本物たちと一緒にするなと言わんばかりだ。
重々しく下された宣託に、聞いているこちらの方がつい笑いそうになる。
ペンギンじゃないとあっけなく拒絶された面白くなさよりも、そんな答えを真面目に考えつくこいつの気性が愛おしくて、どこかちょっとずれている性格に、自由気ままに歩いては道を真っ直ぐ外れてしまう子鴨の後を追い掛けなければ、という気にさせられる。
「そうか、俺では大きすぎて可愛くないからお気に召しませんか」
わざとがっかりした顔をしてやったら、それを本気と取ったか秀司が困ったような表情になり、『でもな』と付け加えてきた。
「制服着てるお前はいいと思うよ。ペンギンには似てないけど」
「それじゃ、制服を着てない俺は却下ってことか」
追いうちを掛けられ、こいつはますます困り切った顔になった。
秀司のさっきの返答が、単なる言葉のあやなのは俺だって理解している。けど、返ってくる反応がいちいち面白いから、こうやってからかわずにはいられない。
ちいさく発された答えは、不承不承の口調とはいえ、明らかに本音が見え隠れしたものだった。
「……どんな格好の隆でも、別にいい」
「本当か? たとえばさ、服着てない俺でも?」
“服を着ていない”という物言いに秀司は小首を傾げ、さり気なく腰を撫で回す俺の手つきでやっとそのニュアンスを察すると、あっという間に真っ赤になって立ち上がった。
そう簡単に逃すわけがないだろ?
腕を捕らえると同時にベッドに押し倒して動きを縫い止めた。柔道三段の運動神経を舐めてもらっちゃいけない。
「嫌いだぞ! 服着てないお前なんか大嫌いだからな!」
本音を必死に裏返して主張してくる、正反対の答え。
シャツの裾から忍びこむ俺の掌を、首を左右にして拒絶はしても、それでも語尾には艶が混じりはじめている。
吸いつくような素肌の感触をじっくり味わいながら、俺はにんまり笑った。
「そりゃ残念だな。俺は服着てないお前も大好きなんだけどな」
「ばか、……もう、離せってば……」
震える声でなおも止めようとした秀司も、俺が襟足に唇を押しあてると一瞬身体を跳ねさせて、押し殺した息を漏らした。
喉を遡ってもう一度キスすると、手がこちらの肩に回った。
もう音の鳴るただの物体でしかなくなったテレビを切るために、リモコンをいい加減にたぐり寄せて電源を落としても、秀司は文句を言わない。服を脱がせあう動作にもためらいはない。
お互いまだ慣れていないせいか、こういうときに曖昧な照れみたいなものが紛れて挟まることがあるけれど、それでも俺たちは止まれないし、止まる気もない。好きだという気持ちが照れなんて簡単に飛び越えちまうから。
甘く乱れてゆく秀司の色っぽい姿を楽しみながらも、俺の頭の中では次の休日の計画が出来あがりつつあった。
むろん、目的地は動物園か水族館だ。
大の男二人が動物園だなんて、傍から見たらこっちこそ珍獣かもしれないけどさ。テレビを見ていた時の秀司の表情を目にしてしまったが最後というやつだ。こいつを連れて行って喜ばせてやりたくなったんだ。
本物のペンギンを前にしたら、偽者で図体がでかいだけの俺なんかほっぽり出されてしまうに違いないが、まあ、秀司のかわいい笑顔を見られると思えば腹も立たないってもんだ。
こいつがペンギンを好きなのと同じくらい、俺も秀司という存在に夢中だからだ。
まったく、こいつのペンギン好きをからかえない。都内にはいくつか水族館もあるし、とりあえずどこがいいのか次までに調べておかなきゃな。
顔を赤くして俺にきゅっと縋りついてくる秀司を同じ強さで抱き締めながら、俺は心の中で決めたのだった。
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