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二はないけれど
秀司の髪は俺より細めで、癖がない。
カラーは茶が混じっていても染めていると間違われるほどじゃなく、陽に当たるとほんのり明るくなる綺麗な色だ。
一ヶ月に一度、青山のサロンに行ってると前に話してたが、一流どころのはずなのに俺でさえ違和感を覚えるくらい、いつも“清潔だけどフツーの髪型”だった。髪をただ流して、伸びたら伸びた分を切ってるという感じで。
社会人の男なら仕方ない面もそれはある。理解はできる。
だけどせっかくスタイルも顔もいいんだし、俺みたいに汗を掻く仕事でもないんだし、銀行員みたいに厳重なマナーが要求されるわけじゃなし、もう少しオシャレな髪のほうがいいんじゃないか、とはずっと思ってた。
このまったく構わない、平凡で目立たない髪型が本人の希望だと知ったのは、付き合って半年くらい過ぎてからかな。
私服はいつもセンスがあるだけに、聞いたときはしばらく絶句した。驚きすぎて。
『マジかよ秀司……お前、意外と髪型気にしないのな』
『んー。伸びたら切るけど』
駅前のスタバで新作のチョコフラペチーノを熱心に飲みながら、秀司はさほど興味もなさそうに返した。
いや、それは当たり前だし俺も基本はそうだけどと内心ツッコみつつ、なぜそこまで気にしないのか重ねて訊ねてみた。
『中高は髪型も服も自由な学校だったし、あんまり思い入れないんだよ。水泳部のわりに先輩もうるさくなかったし』
あーなるほどな。それはけっこう大きいかも。
俺は部活と校則に縛られて高校までは三分刈り、大学は五分刈りだった。
今は汗を掻く仕事で、若干癖もあるしで、トップは少しボリュームを出してもサイドは刈っている。って、これお袋と、理容師の資格持ってる親父が帰省のときに話してた受け売りで、正確に理解できてるわけじゃない。ただ、お前の通ってる店は腕がいいと感心してるから悪くはないんだろう。近所の小さな理髪店だけどな。
専門用語もよく判ってないのに人様の髪がやたら気になるのは、やっぱ家の稼業なワケで。
小さいころから家族でテレビを見るたびに『あのタレント、いつまで前髪上げてるのかしら』『薄毛を隠すためだ、仕方がない』だの『若い娘がこの結い方しても老けるわね』だの『最近の外務大臣、切りすぎよね?』『もう少しサイドを伸ばさないとかえって下品になるな』だの両親が議論垂れてるのを聞いてりゃ、嫌でも目が行くってば。門前の小僧ナントヤラってやつだ。
『もったいないな。お前、パーマとか掛けたら似合いそうなのに』
フラペチーノを熱心に啜っていた唇がストローから離れ、丸くなった目がこちらを向いた。
意表を突かれた、ってカオだった。
どうやら選択肢の項目にさえ入ってなかったらしい。
『パーマって、女性なら判るよ。でも俺が?』
『最近はビジネスマンでも普通にやってるぞ。芸能人もそうだろ』
担当の美容師さんにいっぺん丸投げして任せてみたらどうだ、と俺は軽く提案してみた。
『俺の親がさ、よく言ってたんだ。一髪、二化粧、三衣装、って』
『ふうん?』
『女性をきれいに見せるためのコツらしいんだけどさ。男も髪と服で印象ががらっと変わるから、同じようなもんだってよ』
『そうなんだ』
ちょっと食いついたか……も?
相槌の力加減からしてそういう手ごたえはあったけど、次なる注視と興味は明らかに新作スイーツのテイクアウトに向いてそうだったから、あまり期待はしてなかった。
だから二週間後の昼過ぎにアパートに現れた秀司を目にした瞬間、俺は別の意味で絶句することになったんだ。
※ ※ ※
鍵が回って、玄関が開く音。
さっきメッセージが来たばかりなのに、早かったな。
シリンダー錠と内鍵を閉める音がして、次に聞き慣れた足音が廊下を近づいてくる。
「隆? 入るよ」
「おう。いまメシの準備してんだ、待っててくれ」
ちょうどタマネギの皮を剥いて切りはじめたところで、手が離せないんだ。
「あ、パスタだ」
廊下からキッチンに入るドアを開けた秀司が、袋に入った乾燥パスタを目ざとく見つけたか声を弾ませる。
「そう、パスタ。和風にするからな」
手元の包丁に集中しながら俺は答えた。
秀司が後ろを通りすぎるときに整髪料の匂いがいつもと違う感じがしたけど、タマネギか気のせいかな。
なんでパスタかっていうと、今朝、テレビのバラエティ番組で料理がいくつか紹介されてて、無性に食いたくなったんだよな。ちょうどツナ缶もあるし、あっさり目のほうがこいつも食べてくれるし。
それにしても切れば切るほど目に沁みるなあ、タマネギってやつは。
何度もまばたきして涙を逃がしながらやっと切り終えて、ボウルに入れた。まな板と包丁をいったんシンクに突っ込んで、道具も手も念入りに洗ってから、リビングにバッグを置いて座ろうとしている秀司を振りかえった。
「……ちょ、ウソだろ」
今日はじめて秀司を目にした俺の第一声は、なんとも間抜けなものだった。
ビッグシルエットの白Tシャツに紺のチノパンツという、いつものこいつよりカジュアルな格好もさることながら。
髪型が。
その髪には細かいウェーブじゃなく、ふわっと全体が膨らむマッシュになるように目立たないパーマが掛かってて、髪の色もほんのわずか灰色が入ったブラウンになっていたんだ。窓から入る陽の光に、そのアッシュブラウンが淡く映えている。
色白だからすごく似合ってて、文句のつけどころがない。
これ、タマネギの涙目の幻覚じゃないよな?
なんなんだ。なんなんだよもう、この不意打ち!
今朝美容院に行くなんて、ひとことも言ってなかったじゃないかよ。
「……やっぱり、似合わない?」
こちらを振りむいて気恥かしそうにほんのり俯く仕草に、ついに俺は撃沈。
膝の力が抜けて、床にしゃがみこんで額を掌で覆った。
可愛すぎて。
「はー、泣ける、ムリ……」
つい吉本ばりのリアクションしちまったのは、大阪出身の知人たちと従兄の影響だ。
が、これが生真面目なこいつに通じるなら世話はない。秀司はあわてて俺に駆け寄った。
「隆、ごめん、そんなに変だった!?」
「や……ちがう、そうじゃない」
俺は手を上げて制した。可愛いから涙が出そうなだけです。
誤解させてすまん。
「え、じゃあ、タマネギのせい?」
残念ながらそれもバツ。当然影響はあるけど、メインじゃない。
ショックはショックでも、嬉しいほうのショックだ。
とにかく落ち着け。焦るな。俺がいま、やるべきことはなんだ?
腑抜けになった自分に活を入れて立ち上がった俺は、ひとまずタマネギのボウルにラップして冷蔵庫に突っこむと、リビングに移動してドアを閉めた。
※ ※ ※
床に座って経緯を聞くと、なんでも俺とスタバでコーヒー飲んでから、行きつけのサロンに予約入れてたらしい。
今日の朝イチなら何とか枠が開いていて、早起きして行ってきたということだった。
朝がとても苦手なのに、寝坊できる貴重な休みの日なのに、俺があんなこと話したからってお前、わざわざ行ってくれたんだな。
俺だってもちろんいい事だと考えて促したわけだけど、それをすぐに実行してくれた健気な行動が何より嬉しかった。
まあしかし、上から下まで何度観察しても、完璧だ。
ほうっと息をひとつ吐き出した。
感動の溜息って、こういう時に自然に胸から出るものなんだろうなあ。
親の口癖だったことわざは本当だった。昔の人ってすごいや。
「いやあ……いい意味で予想を裏切られたっつうか、すごくイメージ変わった。お前っていつもオシャレなんだけど、より垢ぬけたっていうかさ。お前の行きつけ、有名店なんだな」
「よく知らないけど、ネットで予約取れたから行って、それから何となく続いてるだけだよ」
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