二はないけれど

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 秀司の担当さん――男性の美容師らしい――はプロとしてこれまでものすごくフラストレーション溜めてたに違いない。  思う存分腕をふるったぞ!どうだ!と誇示せんばかりの気合が毛先のワックスにまであふれ出ていた。  そうだよな、こんなにいい素材なのに長いあいだ、何にもさせてもらえなかったんだもんな。  誤解してすみませんでした。  そしてありがとう。こいつをこんなに可愛くしてくれて。  SNSでよく流れてくる“尊い”という単語がこれほどぴったりなシチュエーションもない。  普段も尊いけど、今日のお前はさらに尊いぞ。  俺が何回も繰りかえしベタ褒めするものだからやっと秀司も愁眉を開いて、まんざらでもない様子になり、自信を回復させたようだった。  すると今度は、話したかったであろうぼやきを小出しにし始める。   「なあ隆、なんでサロンって時間掛かるんだろう。あんなに長いあいだ店にいたの、生まれて初めてだよ」 「あー、まあいろいろメニュー組むとそうなるらしいな」  付き合ってた彼女たちも、髪切りに出かけるとけっこう帰って来るの遅かったし、親の店に来るお客さんたちも長話してたし。  だいぶ前のことだから、細かくは思い出せないけど。 「パーマして、カラーして、朝から三時間半だよ。腰が疲れた……」  もう二度としない、とげんなり顔で口を尖らせ、半分拗ねてる。  はいはい俺のせいだよな、判ってますよ。その八つ当たりの横顔さえ可愛い。食っちまいたい。どうしようかな。 「そうか、疲れたのか。大変だったなあ。よしよし」  詫びがてら大袈裟に慰めて、正面から両手で抱き寄せて、腰をなでなでしてやった。  やっぱりいつもの整髪料とは違う。高級そうな、外国製っぽい爽やかな香りだ。花束みたいに、時間を忘れて大切に抱きしめていたくなる。  秀司は大人しくされるがままで、俺に抱きついて肩に頬を預けていたけど、しばらく経ってからくすくす笑いはじめた。 「隆」 「ん」 「なんか、その手つき。セクハラっぽい」 「ひでーな。お前が腰疲れたっていうから撫でてやってるのに」  冗談を言いあってふたりで笑ったけど、秀司が俺を見上げて、俺も秀司を見下ろして。  ためらいのない視線が重なった次の瞬間に、どちらも真顔になった。  俺は左手は秀司の胴に回したまま、右手は耳と頬を覆うように添え、くちびるをゆっくり触れあわせた。  直前にふっと睫毛を伏せて、無防備に口元を差しだしてくる秀司の仕草はいつも色っぽくて、俺の躯の奥にずんと来る。本人は自覚してないだろうけどな。  啄ばんだあとに舌先を舐めあって、また深く絡める。  甘いコーヒーの味が微かにするのは、さてはサロンでラテでも飲んだかな。  その香りを全部舐め取るように、秀司の舌を何度も容赦なく掬ううちに、全身の血が速く巡りはじめる。 「可愛いな、秀司、可愛い……」 「りゅ、う」 「よく似合ってる。最高だ」 「ほんと……?」 「ああ」  俺のまっさらな本音を注ぐように低く幾度も耳打ちすると、秀司の声に嬉しさが混じったのが感じとれた。顔を離し、双方の意志をまなざしで通わせてから秀司をベッドに座らせ、俺はベランダ側も壁側もカーテンを閉めた。    「昼間っから、カーテン閉めて回らなきゃならないなんてな」    俺もベッドに乗り上げ、キスの合間に秀司のチノパンツのベルトを抜きながら何気なく言うと、すかさずの抗議が照れたように降ってきた。 「だって……隆が髪型変えたらって勧めたんだろ」  そうなんだよ。そうなんだけど。  普段と違う姿形にその気になっちまうのは仕方ないって。不可抗力だ。  もどかしく下だけ脱がせると、今日だけは洗髪は止めるよう注意されてるということだった。  じゃあ汗は掻けないし、こいつを寝かせてのディープなあれやこれやは無理だな。昼メシもまだだし。  ってことで俺も手短にハーフパンツだけ落としてベッドに横になって、秀司を跨らせた。  薄暗い室内に浮かびあがる、腰が隠れるくらい裾の長い大きな白Tシャツに、何も穿いてない姿。もう、めちゃくちゃそそられる。  グラビアアイドルがよくこういう格好して写ってるのは、つまり全世界の男の本能が好むシチュエーションってことで、突っ走ってしまうのは俺ばかりじゃないってことだよな。うん。 「隆、シャツ……シャツが、汚れるよ」  秀司が上も脱ごうとするのを、俺はふたり分の足の付け根を右手で握ることで止めた。 「あっ……ん……」  びくんと跳ねる身体に合わせて、新たな温かい雫がとろりと俺の指に滴った。  ローションを使わなくてもいいくらいとっくに欲に染まって濡れて、これから何が欲しいか、何がしたいかなんて言葉がいらないくらいどちらも熱くなっている。服なんかどうでもいい、今からはタオル代わりだ。 「どうせ晴れてるし、また洗濯機回しゃいいだろ」 「っ……!」  いちどきに指で挟んで関節を利用して動かしながら、時おり柔らかな先端を掌で包んでくすぐると、秀司の眉根が寄る。  細いウエストと腿が無意識に揺らめいて、もっと俺の愛撫と刺激を感じたいとせがんでくる。惚れた奴にこんなことされて、理性だの自制だのが吹っ飛ばない男なんてどこにいるんだ。  もう会話はない。この狭いワンルームに満ちているのは、俺たちのせわしない獣のような呼吸と、身体が規則正しく擦れる音と、秀司のくちびるから漏れる抑えた吐息。  いつもと違う髪型と服でより可愛くなってて、それだけでも我慢できないのに、明るい昼間から俺に跨って気持ちよさそうに頬を染め、俺の左腕に縋って、喘いで悶える秀司の夢見るような表情が煽情的すぎて、あっという間に血が一点に集まって限界が来ちまった。 「ね……隆……?」  こいつも同じで、俺の腰を挟む内腿が汗で濡れて、ねだる声が蕩けきっている。  ――お互い、近い。  見極めた俺は、自分たちの躯を一気に導いた。  秀司は喉を反らし、もうだめ、と俺の名前を呼んで、俺の上で果てた。   ※ ※ ※     秀司は髪を洗えないし、メシも食いたいしでその日はそれだけで終わらせて、夕方には赤坂のマンションに送って行った。  ただし、週明けに出社したときに皆がどういう反応をしたか教えてくれと頼んでおいた。  だって絶対に周囲の好評をかっさらうはずだという確信が、俺の心の中にあったから。    月曜日、センターに帰って昼飯のコンビニおにぎりを一人でぱくついていると、十三時前に個人用携帯の通知が鳴った。  あいつの昼休みが終わるぎりぎりの時間だ。  おっ来た来た、とわくわくしながら開いてみたら、いかにも戸惑っているらしき文章が短く綴られていた。 『同期には雰囲気変わったってびっくりされた。いろんな女性社員に似合うってすごく褒められた』  ほーら見ろ。  俺はドヤ顔で返信した。 “ほらな。言ったろ”  すかさず、釈然としてなさそうな文面が返る。 『先輩にカノジョ出来たろってしつこく聞かれた』 “へー” 『二度としない』  そしてウサギのキャラがプンプンしているスタンプがポンと来た。  もうさあ、あのさあ、子供かよ。  画面見ているだけで顔が緩んできちまう。 “イメチェンになるくらい似合ってたってことだろ”  ぐっ!のサムズアップスタンプのあとに、拝むスタンプも送っておいた。二度としないなんて言わないでくれ、の意味で。  本当は大好き系のスタンプ送りたいけど、他の人に見られてもマズいしな。  返事はウサギが無言のイラスト。考えておく、のサインだ。  よし。脈ありだな。   いそいそとスマホをポケットに仕舞って立ち上がるのと入れ替わりに、遅い昼食を摂りにきた太田さんが休憩室に現れた。俺のたるんだ頬を目にするなり、にやっと口元を持ち上げる。 「広嶋。バレバレだぞ」 「ふえっ。すんません」  ゴミを部屋の隅のダストボックスに捨てながら肩をすくめると、パイプ椅子に座った太田さんはコンビニ弁当をポリ袋から取り出して続けた。 「いや、人生張りあいも大事だしな。上手く行ってそうで何よりだ」  なんか太田さんにそう言われると説得力が違うや。  もちろん相手が同性の顧客だなんてこの人は知らないわけだけど、人生の先輩に俺たちを後押ししてもらったみたいで、すごく心強い。  おかげさまでと生意気な答えを心の中でだけつぶやいた俺は、お先に失礼します!と意気揚々と挨拶して外に出た。  どこまでも青い空に広がる、爽やかな入道雲を眺めて深呼吸をひとつ。  今週もいい一週間になりそうだった。
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