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何ともはや、さっきから支離滅裂だ。
実は俺のことが前から気になっていたというのも寝耳に水だが、俺と友達になる奴が羨ましいって、どういうこった。
こいつは何を考えてて、何がしたいんだ。
「先週……お前のトラックに乗せてもらえたとき、嬉しかった。それだけで良かったのに、なのに何でお前、最後にあんなこと言うんだよ」
指の間から落ちた弱々しい声に、俺は首を傾げた。
最後にあんなことって、なんか言ったっけ?
……ああ、無理するなと声を掛けた、あれか。
労りにまでケチ付けられちゃ、お手上げだ。一体俺は何をしていたらこいつのご機嫌を損ねずにすんだんだろう。
土岐にそれ以上泣かれたくなくて、途方に暮れた俺は細い肩に右手を乗せた。
途端、こいつがキッと顔を上げて、潤んだ目で俺を力の限り睨みつけた。
その濡れた瞳に、心臓が跳ね上がるかと俺は思った。
胸をまっすぐ射抜かれたようにも感じた。
笑顔や涙でぐらつかされていたところに、この衝撃。
――俺の負け。
チェックメイトだ。
こいつに完全に惚れちまった瞬間だった。
息を止めた俺のことも頓着せず、こいつは反動のように一方的にまくしたて続ける。
怒ってるんだか泣いてるんだか区別が付かない、くしゃくしゃな顔で。
「あんなこと言われたら、ますますお前に心が引っ張られるじゃないか、会いたくなるじゃないか! それまでは全然そんなことなかったのに、あれから毎日お前のことばかり考えてどうしようもなくて、だから荷物を頼んだんだ」
会いたくなるって――
じゃあ、あの封筒はわざとコンビニまで持って行ったのか。
そのためだけに。
「どうせどうにもならないって諦めてたのに、帰りたくないって言ったら、こうやってお前の家にも連れて来てくれて。どうしてお前はそんなに優しいんだよ、お前がもっと冷たい奴だったら俺の頭の中から追い出せたのに!」
……いやその。あんたの頭の中に棲み付けるように俺が念入りに画策したわけじゃないし。
それに他人であっても、あの家出状態のあんたを冷たく放ったり出来るほうがどうかしてる。
えーと、つまり。
これまでの言い分を総合して整理すると、多分――こいつも俺をそれなりに意識してるっていうか、かなり好いているってことなんだろうけど、普通それで相手に腹を立てるか?
立てないだろう、誰も。
考えようによっちゃ、土岐の科白はまともな告白よりもストレートな吐露なんだが、俺はこいつの見事な外れっぷりに呆気に取られてしまった。
こいつは、俺がもっと性格の悪い奴だったら気にならずにすんだ、無視できたんだと、一方的にこっちに文句を言って来る。
足元のダンボール箱につまづいた人間が、自分がうっかりしてたのは棚に上げて「何でここにダンボールがあるんだ」と激怒するようなもんだ。
プライドが人一倍高いから、顔見知り程度の他人に感情を振り回されるのがすごく気に喰わないらしい。
それでも何のかんとか言いつつも、俺の友達が羨ましいなんて思うんだから、実はどこかで寂しさを感じてもいるんだろう。
自分独りではどんなにしても拭えない、寂寥感というやつだ。
一人がいいと背を向けてどこかに行くくせに、気が付いたら人の温もりを求めて近付いて来る猫みたいだ。
腕を回して、そっと身体を引き寄せてみた。
俺のスウェットを掴み、肩口に顔を押し付けて震えるこいつの背をゆっくり撫でる。
細いとはいえ女の子に比べたらやっぱり男のしっかりした骨格だし、肩幅も筋肉もあるけど、それにしても肩甲骨の感触がはっきり判るぶん、いかにこいつが普段食っていないかを実感してしまう。
誰かと抱き合うって、何ヶ月ぶりだろう。やっぱり人の肌って、あったかいな。
これが相手がプロレスラーみたいな、俺と同じごつい男だったら半径五メートル以内には近付かないんだが、こいつだと何しろ可愛いし、ついつい力を入れて抱き締めてしまった。
「な……疲れてるし、寂しかったんだよな、あんた」
耳元で囁くと、こっくりとうなずきが返る。
「外は寒いし、仕事は終わらないし。一人で生きるのって、たまにすごく疲れるときあるもんな。俺もよく判るよ」
俺を好きになっちまったのは状況が状況だったから、と逃げ道を作ってやると、こいつは同意を示し、毎日倒れそうなほど忙しくて、上司にも無理な仕事ばかり押し付けられて、疲れたんだと漏らす。
実際は他人を好きになるきっかけなんてこうした状況に左右されるのが大部分なんだけども、俺はそれはあえて無視した。
他者からの思い遣りや優しさを覚えてしまったら、人はそれ無しではいられなくなる。
俺は先週のタクシー代わりのときに、はからずも土岐の防御を崩しちまったんだろう。それでもう一度個人的に会えればと、無理矢理休みをもぎ取って荷物をコンビニに持ち込んだ。今の時間、赤坂近辺をうろついているのは俺だと推測して。
別のドライバーが来たり、俺に無視されたらそこで諦めようっていう、捨て身の賭けだったんだ。
で、俺が現れたばかりか想像以上に親切にされてしまったことで、自制の糸が一気に切れたってとこか。
冷静に考えれば強引ではた迷惑な話だけど、その行動を嬉しいとか一途だとか思えてしまう俺は、すでにベタ惚れの様相を呈している。同性に対してこういう好意を感じてしまうこと自体、まずいことこの上ないが、好きになっちまったんだから仕方ないよな。
言われっぱなしもなんだし、俺もきちんと口に出すことにした。
「俺もな……実はあんたのこと、先週から気になってた」
びくんと、閉じ込めている肩が動いた。
さらさらした髪が頬に触れて、土岐の腕が俺の背に回った。
ああ、すごくいい匂いがする。
自分が普段使ってる安いシャンプーなのに、こいつの髪だと、何だかどきどきしてしまう。心臓の音がバレそうだ。
頼むからそうやって顔を俺に押しつけてくるな。髪だけじゃなくて、耳元や頬からふんわりと石鹸のいい薫りがするんだ。
嗅覚がこいつの匂いで一杯になるのに比例して、理性がどんどん低下してるのが自覚できる。
「それでさ。その……俺もどうも、あんたのことが好きみたいなんだけど」
「……俺は、お前を好きなんてひとことも言ってないぞ」
情緒も何もない抗議。でも焦っているのが、急いで返した口調で判る。
これまでの数々の発言と同様、こいつは否定の裏で肯定してしまってるんだよな、本人も意図しないうちに。
その傾向を把握した俺に、こんな反論は通じない。
それに好きな奴がこうして間近にいるのに、何もしないのは無理な話だ。ちょっと見下ろせば、小作りな顔が目を閉じている様子が視界に入るんだから。
伏せられた長い睫や、ふっくらとした桜色の唇。泣いた痕が残っている顔が、すごく艶かしい。
低下の一途を辿っていた理性は、ついに底まで尽きてしまった。
――あとは野となれ山となれ。
心を決めた俺は土岐の肩を少し抱き起こしてから唇を近付けて、軽く触れた。
啄むように。
生まれて初めての男の唇は、思っていたよりも柔らかかった。
土岐が驚いた声を上げるかのように口元を開いた隙に、舌も差し入れる。
そうなったら最後、とにかく俺は夢中で貪り、自分のしたい通りに散々キスをしていて、気が付いたらこいつの背からほとんど力が抜けていた。
顔を覗きこんだらうなじまで紅くしてて、熱があるかのように瞳の焦点がぼんやりしている。
ぐったりと上体を預けてくる土岐に、俺はあわてて謝った。
同じ男からいきなりこうされて、しかも一方的だったのは認めるけど、そこまで腰を抜かさなくても。
「す、すまん……大丈夫か」
「こんなことしていいなんて、言ってないだろ……」
ごもっともな非難だが、いちいち『これをして良いですか』なんて許可取ってたらキリがないっての。
ひょっとしてこの男は彼女との付き合い始めとか、そうやって礼儀正しく反応を窺ってたんだろうか。本気でそうしていそうだから、笑えない。
「今晩の泊まりの礼代わりってことでどうだ」
「高すぎる」
宿貸し程度じゃ、キスのお値段には届かないらしい。
「じゃあうどんの後でハーゲンダッツのアイスをサービスするよ。それでどうだ」
チョコレートを買うくらいだから甘い物は好きな方じゃないかと睨んでたら、まさに当たり。
いつもの調子でそっけない仏頂面に戻っていたと思ったら、ハーゲンダッツという名詞に、みるみるうちに子供らしい笑顔を広げた。
「アイス、あるんだな」
「あるよ。俺の親が送って来たセットが冷凍庫にある。好きな味を選べよ」
「今取って来ていいか?」
「あれはおやつだからダメ。このメシをちゃんと食ってからだ」
風船が萎むようにこいつはしゅんとなって、伸びた麺を恨めしそうに眺めた。
自分が食事を中断させたと判っているからさすがに文句は言わないが、俺の腕を抜けてキッチンの冷凍庫に行きたそうに、さっきからもぞもぞしている。
そこで俺は、子供を操ろうとする大人のような奸計を思いついた。
「どうしてもアイスが欲しいなら、好きなだけ食っていいぞ。どうせ俺も丼一杯じゃ足りないから、あんたの分も貰いたいし」
「本当か?」
「ただし条件が三つある。それを全部クリアしなきゃ、うどんを平らげるまで俺が離さない」
「………」
中高大と柔道で鍛え、荷物運びで更に強化させた腕力にものを言わせて、俺はこいつの身体を抱え込んだ。
何を企んでいるんだとばかり、上目遣いの猜疑の視線が俺の頬にちくちくと突き刺さる。
それでもアイスの誘惑には逆らえないのか、大人しく俺の条件を待っているので、早速口を開いた。
「ひとつは、俺を好きだって自分で認めること」
「……認める、って……」
土岐は戸惑い、口籠る。
難題に取り組んでいるような、真剣な顔つきでしばらく沈黙を挟んでから、つぶやいた。
「……お前の傍にいたいし、一緒にいると、すごく心が楽になるんだ。でも、好きなのかどうかって訊かれると、はっきり答えられない。人を好きになるのって、よく判らないし――」
俺は苦笑してしまった。
自分自身のことなのに、よく判らないのか。
なあ、『心が引っ張られる』って言っただろ。毎日俺のことを考えてしまうって、傍にいたいって。
それが人を好きになるってことだよ。
感情は俺のことを――それまでの単なる好意だけじゃなく、こうやってもう一度逢いたいっていうくらい好きになってるのに、理性はそれが恋愛だってことを全然認識してないんだな。
俺の側ですぐに元気を取り戻していたのは、俺のことが好きだったからだ。
でも当人は“心が楽になる”ことは自覚できても“何故楽になるのか”ということまでは考えていない。
勉強や仕事が出来るっていう頭脳はたしかに優れているんだろうけど、自分の心の動きを追跡したり表現するのは苦手で疎いらしい。
頭と感情のバランスが取れてないから、人間的には脆いんだ。だから仕事の繁忙と疲労に追われて、ついには今日みたいな強硬行動に出たりする。
いつどこに飛んで行くか判りやしない凧みたいなもんだから、俺がきちんと糸を持っててやらないと、という気にさせられてしまった。
「じゃあそれは保留にしよう。ふたつめは、俺と付き合わないかってことだ。一緒に居ても嫌じゃないっていうなら、俺はあんたとそうしたい。さっきも言ったけど、俺はあんたのことが好きだからな」
こいつはしばらく固まり、目を瞠って俺を見上げていたが、それでもちゃんとうなずいた。
男同士でこんなことやっててどうかという根本的な疑問は、有難いことにこいつの頭にも湧かないようで助かる。
好きだと再度告白した俺の台詞に照れたのか、柄にもなく頬が赤らんでいる。
それを見ると俺の方が蕩けそうだった。
こいつにしてみれば俺に振り回されていると考えているんだろうが、俺の方こそが知り合ってから半年、始終振り回されっぱなしなんだ。
膨れっ面や何気ない笑顔に一喜一憂して、家でもあれこれ面倒を見て、気まぐれな猫の機嫌を必死で取る飼い主さながらじゃないか。
しかも俺に興味を持ち始めたのもこいつが先のくせに、プライドと忙しさに任せてつんけんして、素振りにすら出さずにいるなんて、俺に言わせれば『最低』なのはそっちだぞ。その態度に俺がどれだけ困っていたか、知らないだろう?
だいたい先週のことにしろ、荷物を運ぼうかと持ちかけたのは俺でも、トラックに乗り込んで来たのはこいつだ。
あ、でも最後に声を掛けたのはこっちか。
まあいいや。恋愛に落ちたきっかけをいちいちあげつらうなんて、するだけ野暮ってもんだ。
「じゃふたつめも、クリアにしてやるよ」
「――最後は?」
「俺がもう一回キスするのを、許可してくれること」
それを聞くなり、こいつは「バカ」とか「最低」という単語を言いたげな表情になったが、俺が今度は真面目に許可を申請したものだから、少し笑った。
瞳を閉じて、心持ち顎を上げて、口元を差し出す。
アイスを目指しているためなのか、それともさっきのキスで慣れたのかは謎だが、俺は後者だと思うことにしてその唇を受け取った。
今度はこいつも応えて来た。
俺もさっきよりも長く、深いキスを繰り返した。
舌を混じりあわせ、何度も絡め合うたびに、胸を満たす愛おしさが増さる。
いつの間にか俺の首筋に土岐の腕が回り、縋りついていた。
これで三つの条件はクリアだと、こいつの背を支えながら俺は思った。
好きなだけアイスを食わせてやろう。
――そう、保留になった最初の条件の答えは、急ぐ必要はない。
これから二人で、おいおい見つけて行けばいい話だから。
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