Imprinting

1/2

178人が本棚に入れています
本棚に追加
/29ページ

Imprinting

 俺たちの休日が珍しく一致した日曜日の昼過ぎ、焼き飯をこしらえる俺の横で、土岐がじっと立っている。  手伝っているとか、食事の作り方を観察しているとかならまだいい。だけどこいつはただ、立っているだけなのだ。  何をするでもなく、俺が10cm左に動いたらこいつも10cm左、俺が棚の前に行ったら後ろをついて来るという具合だ。  付き合い始めて一ヶ月で気がついたことは、こいつが妙に寂しがり屋だってことだ。  この台所に限らず俺が何をやってても、近くにいる。  ベランダに洗濯物を干していたら窓の縁で眺めているし、居間で携帯電話を見てたら隣で雑誌を読んでいる。  キッチンと居間とセパレートの風呂場があるだけの、ごく狭い1LDKの部屋なんだ。ちょっと顔を巡らせれば相手の姿が視界に入るのに、それでも別々のスペースにいるのが我慢がならないみたいだ。  二十代も後半になろうかという大人がこれはないだろうとも思うのだが、何かを伝えたいときに俺の袖をきゅっと引っ張って来るのが可愛いと思えるあたり、俺も充分同レベルな気がする。  こういうの、動物にあったよな。  親鴨にくっついて子鴨が後ろをぞろぞろ行進ってやつ。確かすりこみって言うんだっけ。俺はそれをした覚えはないけど、土岐の方が何故かすりこまれているようなので好きにさせておいた。  ……すりこみのネタが俺自身の何かではなく、アイスクリームだったらいささか悲しいが。  ここ最近、俺はコンビニの冷凍コーナーを眺める機会がぐんと増えてしまった。新作だの季節限定アイスだのが出てたら、ついレジに持って行ってしまう。土岐が喜ぶだろうと思うとどうしても買いだめに走るのだ。  その結果、土岐は俺の家に来たら必ず冷凍庫を開けて中身を確かめる、お行儀の悪い子供になってしまった。俺のしつけが甘過ぎるのかもしれない。 「おい、皿取ってくれ」  ガスを止めながら指示すると、土岐は黙って二枚の平皿を取り出してガス台の横に置く。それぞれに焼き飯を2:1の分量で分け移し、フライパンを流しに突っ込んでから、俺は温かい皿を両手に持って居間のこたつ机まで持って行った。  俺の右斜めに腰を下ろそうとして、土岐が床の少年漫画雑誌をうるさそうに避けた。  こいつは俺が漫画を読んでいるときも必ずこういう顔をする。  さも「子供じゃあるまいし」と言わんばかりだ。  これが格好のいいメンズファッション誌だったら少しは見る目が違うんだろうが、あいにくそんな代物には一文字も興味がない。無駄な見栄を張る気ゼロのまま俺は相変わらず気軽な漫画を読み続け、こいつにこういう顔をされ続けているのだった。  一緒に両手を手を合わせて「いただきます」とやってから、湯気を立てている焼き飯にスプーンを入れた。俺の怒涛の勢いとは正反対に、土岐は飯を少しずつ上品に口に運ぶ。甘い物はやたら食べるくせに、少食だ。食べ終わるまで見張ってないとすぐにおやつの方に行ってしまうけれど、それでも近ごろはメシを最後まで食い終わる癖がやっとついて、倒れるんじゃないかと思えるほどに窶れていた顔のラインも普通のレベルに戻ってきている。  五分で皿を平らげるも俺はまだ何となく食い足りず、冷蔵庫の中身を漁った。  奥に、コンビニの梅干しおにぎり一個発見。  そういや昨日買ってそのままだったっけな。   思いがけないお宝にほくほくして扉を閉めると、こたつ机の前に座ったまま土岐が俺を見つめていた。どうせならついでに自分のアイスも取ってくれと頼んでいるのがありありと読み取れる。自分で来いと言いそうになったが、奴の皿も空だし、まあ飯を食ったのだからいいやと考え直して、適当に種類を選んで引き返した。丸いクッキーの間にアイスがサンドされている新商品だ。 「……ありがとう」  冷たい袋を受け取りながら、土岐がおまけのようにぼそりと呟く。すでに頭はお菓子で一杯なのだろう、普段は感情が見えない顔が綻んでいた。これに俺は極めて弱い。あわてて顔を逸らしてぎこちなく腰を下ろした。  こんな顔をしてくれるなら、アイスなんて何万円分でも買ってやりたくなる。  我ながら重症だ。  おにぎりのセロファンを剥ごうとすると、視界の隅で何かが動いた。  土岐がまだ手を付けていない冷菓をぶっきらぼうにこちらに突き出している。  どうやら運搬のご褒美をくれるのか。 「いいよ、あんたの分が減るだろ。俺にはおにぎりがあるし」  断ってみたのだが、土岐は遠慮と取ったのか、諦める様子がない。  それならと、俺はお相伴に預かることにした。好きなアイスをわざわざくれようというあたりが神妙で、受け取らない方が可哀想だという気がしたからだ。  俺に差し出されているこいつの右手首を掴んで固定すると、アイスに素早く口を持って行ってパクリとやった。土岐がその直前にあっと軽い声を上げたのが聞こえて、ちょっとかじり過ぎたかなと後悔したが、もう遅い。  冬にアイスはちょっと冷えるけど、やっぱり一流メーカーのは美味いとか思いながら持ち主を窺うと、土岐は四分の一ほど減ったおやつを持ったまま、完全に固まっている。  予想より量が減って、ショックを受けたのかな。 「すまん、食い過ぎたな。まだ冷蔵庫に別の種類があるから――」  謝っても無言のままだ。  相手の視線をよくよく辿ると、それは満月が欠けたアイスではなく、手首を握っている俺の左手に注がれている。そこから土岐の顔をもう一度見ると、眼鏡がない方がいいと俺が勧めて以来コンタクトにしている瞳が困惑を伝えてきた。  俺は弾かれたように掌を離し、でもとっさの言い訳も思いつかず、自由になった左手で頭を掻いた。  土岐の方もうつむいて、どうしていいのか分からなさそうにアイスをじっと眺めている。  気まずさを誤魔化すために俺はそそくさとおにぎりを頬張ると、空いた皿を片付けるふりをして立ち上がり、台所へ逃げた。  ――こういう時の間合が、一番困る。  たかが手を握るような些細なことにすらどぎまぎするなんて、とうてい大の男同士とは思えないが、これが俺たちの現実だ。  実は俺たちは、付き合っているとは言っても、何もしていない。  キスはするし、互いの家に泊まり合ったりもしているけど、そこまでしか行っていないワケだ。  同性が初めての俺はインターネットでそれなりに調べて、知識は身に付けた。  お陰で頭の中には、あいつと一緒にしたいことが山ほどリストアップされている。  だけどいざ二人きりで過ごすと、肌を重ねそうになることに土岐が怯えているみたいで、うまくきっかけが掴めない。だから俺も強引な情況には持ち込まないようにしていた。  あいつが大切だから、自分一人で突っ走りたくはない。  もちろんあいつの全てが欲しいけれど、身体だけを優先させるようなことはしたくなかったから。  心と身体の矛盾に溜息を吐きながら、俺はフライパンをやけくそのように洗い始めた。  土岐がこちらまで手伝いに来る気配はなかった。 ※ ※ ※  洗い物を終えてリビングに戻ると、土岐はベッドを背もたれ代わりにして、俺にはさっぱり内容が分からない経済雑誌を捲っていた。  一流商社で先物取引を扱っているのだから、経済方面に関してはこいつはエキスパートなんだろう。  こないだはワールドニュースを眺めて『FRB(連邦準備理事会)議長は再任か……』とか『ドルインデックスがなあ』なんて顔を顰めて呟いてたけど、それって何のことだ?と訊きたいのを我慢して黙っていた。  文学部を出て宅配便やってる俺にはちっとも理解できないだけに、こんなややこしそうなことを把握してすらすらとこなしている土岐を少しばかり尊敬もしてしまう。  オフでもこの調子じゃ、俺のお子様向け漫画を冷たい目で眺めるのも分かる気はした。  明日はお互い仕事で、夕方にはこいつも帰ってしまう。帰りには車で送っていこう。  そんなことを考えながら俺は厚さだけは厚い漫画を取り上げてクッションを引き寄せると、ホットカーペットの上に寝転がった。いつも読むともなく読んでいる連載にざっと目を通して、オチを読んだところで瞼が重たくなって昼寝しようとしたら、土岐が俺のトレーナーに触れて来た。  経済誌を相手にしていたのに、いつの間にかこちらを見下ろしている。  目顔で訊ねると、土岐はしばらく言い淀んでいたが、「やっぱりいい」と不機嫌に締めくくるなり、帰ると言い出した。  驚いたのは俺だ。  眠気も吹っ飛んで、腹筋を使って跳ね起きた。 「おい、どうしたんだよ」 「何でもない」 「何でもないわけないだろ、待てってば」  腕を掴んで引き止めても、そっぽを向いて振り解こうとする。いくら宥めても聞く耳を持たないので、俺は土岐の全身を捕まえて絶対に逃がさないようにした。こうした方がずっと早いのは経験ずみだ。  こいつは離せの帰るのとまだ頑固に主張していたが、俺も耳を貸さなかった。理由を何も教えてもらえないままいきなり帰すなんて出来るかよ。  強硬な抗議を示す俺に観念したのか、土岐は低く言った。 「……俺は……女じゃないから……」  そりゃそうだ。どこから見ても間違いなく男だ。  誰も疑いようのない事実だろう。 「だから……いやなんだろ、お前」 「――は?」  過程をすっ飛ばしがちなこいつの会話に付いて行くのは、たやすい話じゃない。  セクシャルなことに遠回しに言及しているのだと何とか読み取った俺は、唐突なこの言い草に面食らった。  こうして頻繁に家に出入りしているし、身体的な接触もそれなりにしているというのに、男だから云々という発想がどこから出て来るんだ? 「今さら何を言ってるんだ、あんた。俺たち付き合ってるだろ」 「……だってお前、そんな漫画読んでるし……俺に何もしないし」 「漫画?ってあんた、これ読んだのか」  土岐がこっくりとうなずいた。  こいつに少年漫画。恐ろしくそぐわない。  俺が何もしないという核心的な非難はさておき、その意外さに二の句が継げなかった。邪魔とばかりにどけてたくせに、いつの間に読んでいたんだろう? いや、こいつは何度も俺の部屋に来たし、この雑誌はそこらに転がしているから折を見て開いたのかな。 「驚きだな、あんたが漫画読むってのは」  何故わざわざ目を通したのかと婉曲に探りを入れたら、こいつは真面目な顔をして答えた。 「だってお前がいつも読んでるから。そんなに面白いのかなって思って」 「いやまあ、そう面白くてたまらないわけでもないけど、暇つぶしだ。べつに隅から隅まで熟読はしてない」 「でも毎週新しいのを買ってるじゃないか」  すかさず放たれた切り返しに、俺は返答に詰まった。  鋭いというか、観察眼があるというか。記憶力がいいだけにタチが悪いといえば悪い。  中身は格闘技やら有り得ないスタイルの女との恋愛ごっこやらで際どい内容は何もないが、表紙を飾るのは時の美少女アイドル。惰性で買い続けていると正直なところを言っても通用しづらい面はある。  やっぱり見栄張ってメンズファッション雑誌を買っておけばよかったかなと、遅まきながら後悔に襲われた。 「で、面白かったか?」 「ぜんぜん」  にべもない感想。 「お前が読んでるのでなきゃ、一ページ目で止めてた」 「はあ……」 「一回きりなら暇つぶしかなって思えたけど、でもお前、毎回買って読んでるし、中に出て来るのは美人とかきれいな女の子ばかりだし……」 「だから女の方がいいんじゃないかって?」  口を尖らせて、土岐は再度うなずく。  ――どうしてそっちに飛躍するんだ?  いつものことだが、こいつの思考回路には参らされる。  脱力して腕を放したが、近年の漫画について口に出して説明する気にもなれなかった。  どうせ普段読んだことがないから知らないんだろうが、最近はどの雑誌もみんなこうなんだぞ。男向けの漫画なのにむさ苦しい野郎ばっか出て来て売れるはずがない。 「あんたなあ……その理屈で言うなら、俺がペンギン運輸に入ったのはペンギンが好きだからと言ってるようなもんじゃないか。短絡的にもほどがあるぞ」 「俺はペンギンが好きだよ」 「そういう問題じゃなくてだな」  ペンギンが好きだから俺に惚れたのかと一瞬問い返したくなった。だめだ、それでは俺もこいつと大差ないじゃないか。ひょっとしてと訊ねそうになるのを堪え、俺は辛抱強く説得した。 「前にも言っただろう、俺はあんたのことが好きなんだって。でなけりゃ付き合おうなんてわざわざ頼んだりするかよ」 「………」  真剣に教えても、まだ不満がありありと残っている顔だ。  納得してないな、これは。  仕方がないので、軽くキスをして猜疑を封じ込める。わざと音を立てて唇を離すと、土岐はもう顔が赤らんでいた。  天邪鬼で小憎らしいくせにこんなに初心だなんて、反則以外の何ものでもない。 「いいか、俺が何もしないのは、したくないからじゃない――あんたが考えてる以上にいろんなことをしたくて、いつも困ってるんだぞ」  わざと恐い顔と声を作って言ってやると、案の定土岐は怯みを見せた。無理もないし、だから俺だって今まで我慢してきたんだ。  もっと心を通わせてからと自分を制し、こいつを大事にしたつもりだった。その行動が逆に不安にさせてしまったのは悪かったと反省している。  でもたかが漫画を読んでいたくらいでとんでもない誤解に走られたのは、いささか不本意ってものだろう。欲求不満の恨みはちょっぴりでも晴らさないと、気が済みそうにない。  なので俺は少しばかり悪戯心を発揮することにした。
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

178人が本棚に入れています
本棚に追加