Imprinting

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 俺は真顔を作って、切り出した。 「あのさ。こういうのは片方だけじゃだめだろ? ちゃんとした双方の合意がないと」 「―――」  それはそうだけど、という表情に変わった。よし、これなら行けるぞ。 「だから、まずはあんたがしたいことを言ってみろよ。きっと俺の方が倍くらいあるだろうけどな」 「え……」 「あんたは、どうしたい?」  意地悪になって、促した。  こんな情緒も何もないやりとり、女の子相手ならめちゃくちゃ怒られるだろうし、多分フラれる。俺だっていちいち問答なんざしない。  だけどこいつ相手なら大丈夫なのは判っていたし、きちんとこいつのルールで手順を踏んでやりたかった。  土岐は俯いたが、思っていた通り、答えを口にした。 「……触れたい……」 「それから?」 「もっと近付きたい」  早速実行に移すかのように、そっと擦り寄ってくる。俺は逆らわずに細い身体を抱き止め、髪を梳いてやった。  まだ少し緊張していても、じきに力を抜く。髪やうなじからは、柔かくていい匂いがした。俺の大好きな、こいつの香りだ。 「他には?」 「他……って……」  そこまで言わせるつもりか、と暗に詰られる。  困りきっているのが手に取るように判る。  そう、言わせたい。こいつの口から聞きたい。  困らせたいモードに入っていた俺は、あくまで黙ったまま、待つ。  抱いている背中が大きく息を吐いて、勇気を溜める。  もう一拍置いてから、ようやく答えが返ってきた。 「……キス……したい」  土岐が俺の肩に顔を埋めてつぶいた、消え入りそうな声。  トレーナーを両手でぎゅっと掴んで、恥ずかしさを全身で訴えている。  妙なプライドがあるくせに、こういうことをストレートに口に出せるアンバランスなところが可愛いんだよな。  予想済みとはいえど、改めてどきっとさせられる。  とはいえそこから先の行動には移せないみたいで、俺の方から土岐の顎を持ち上げてそっとキスを落とした。  恥ずかしがりながらもちゃんと言ってくれたのだから、こっちも応えなきゃな。    女の子と違って、口紅の心配がない、同性とのキス。  でも唇を重ね、舌を絡めているうちに込み上げる愛おしさは、今までのどんな女性相手よりも勝る。  一生懸命俺に付いて来ようとしたのに、じきに身を震わせて、俺の腕の中で蕩けて行く。  目を閉じて何もかも預け切って、芯を失ったように柔らかくくずおれて。    なあ、俺は誰よりもあんたが好きなんだ。だから、もっと自信を持てよ。  それでも信じられないっていうなら、これまでの倍、あんたのことを好きだって言ってやるよ。  仮にもエリート様だろ?  頭がいいくせに恋愛事情の自信は小学生以下なんて、信じられないな。  舌の上をそろりと舐めて、ゆっくり離す。濡れた唇に外気が当たると、こいつの唇が名残惜しくて、また欲しくて仕方がなくなる。  自分から距離を取ったばかりなのに、五秒もしないうちに俺は土岐に喰らいついていた。  俺が伸し掛かると押し潰してしまうと考えるだけの判断力は何とか残っていたから、腹筋と背筋に力を入れて上体を維持しながらキスを続けていると、こいつの腕も俺の首筋に強く回って、逆にこっちを倒しそうな勢いだ。  その勢いに逆らわず俺が背をホットカーペットの上に倒したら、やっぱり遠慮なく俺の上に乗っかって来た。女の子と違って胸がないから、けっこう違和感がある。当たり前だけど。 「隆……」  名前の一文字で俺を呼ぶ声。照れのせいかめったにそう呼んでくれないだけに、他の誰に呼ばれるよりも胸に届く。  じれったそうに頬を赤くして、息遣いが変わっている表情が、とても綺麗で色っぽい。  俺だってこいつを抱きたかったが、明日は仕事だしと理性のブレーキが掛かった。セーターの下の背をゆっくりと擦りながら、今日はやめておこうと告げた。 「男同士ってのは、いろいろ大変だからな。また今度な」 「……そうなのか?」  土岐は目を丸くして俺を見下ろす。何も知らないし、知識も蓄えていないらしい。  同性相手に抵抗がないことといい、ズレた天然ぶりといい、もしかして過去に男がいたんじゃないだろうかと密かに危惧していた俺としては、ある意味嬉しい反応だ。 「そう、準備とかあるんだってさ。だから時間のあるときの方がいいだろ」 「ふうん」  素直に聞き入っている。未知の分野に対する好奇心はそれなりにあるようだ。  俺が知っている事に感心したらしく、そうなのかと呟くと残念そうに身体を起こした。  せめて昨日だったら何とかなっていたのにな。俺も残念極まりなかったが、自分で説明したように身体の関係は相手がその気になるのも必要だから仕方がない。布石を打った以上、今度逢った時はそれなりの進展があるだろうと、次に期待することにして、俺も起き上がった。    ところがそこで納得してはい終わり、にしてくれりゃいいのに、こいつは思い付いたようにとんでもないことを言い出した。 「なあ、どこでそういうの知ったんだ? 本屋に行ったら本とか売ってるのか」  聞き間違いかと思って唖然と土岐の顔を見直したが、存外本気のようだった。  この調子だと実際に書店に足を運んで店員さんに訊いてまで探しかねない。俺は違う違うと急いで否定した。 「本じゃない、人から聞いた話とか、そんなもんだよ」  ネットからという事実を言わなかったのは、あんな画像とかこんな文章とか、実用的だがこいつに見せるには刺激が少々強すぎる情報の数々が脳裏を掠めたからだ。世の中は知らなくていいこともある、特にこいつの場合。 「人か……俺の周りって、男と付き合ってる奴いたかな」  まるで難しい仕事の内容を質問する風に考えこんでいる。  ますますやばいと俺は焦った。この天然ぶりだと『男同士ってどうするか知ってるか』と平然と知人や同僚に問いかねない。そんなことをしたら最後、職場の隅々にまで噂は広がるだろうし、働いている人があんなに多い会社なら同性もオッケーな社員がゼロじゃないだろうし、狙われる可能性大じゃないか! 「ちょっと待ってくれ、頼むからそういうことを訊いて回るんじゃないぞ。みんな驚くし、俺が知ってりゃ充分だろ、な?」  お使いの道順を説明する親のように何度も繰りかえし言って聞かせると、土岐はどこか引っ掛かるという顔をしながらも、ようやくうなずいた。  とにかく文句は人一倍だし、常識は知らないし、付いて来ていると思ったら勝手に脇道に逸れてるし、世話の焼ける子鴨だよ、こいつは。この際俺じゃなくてアイスクリーム目当てでもいいから、極力妙な道草を喰わないでほしいものだ。 「俺、次の休みは日曜日しかないけど、お前は?」  土岐が身を乗り出して俺を覗きこむ。今から計画をしっかり立てようとするところは、さすがというか何というか。俺もスケジュールを思いだして応じていた。 「今のシフトだと月曜日だな」 「なら俺も休日出勤して、月曜日に代休を取る。日曜日の夜にはここに来るから」 「おいおい、そんなことしていいのかよ」 「構わない、全部仕事を済ませてたらいいんだから」  こいつが言うとサボりに聞こえないから不思議なものだな。  言い切るからには、誰も文句が言えないまでに完璧に仕事を終わらせて来るんだろう。それも同性の俺と逢うために。そう思うと、やけに嬉しくてにんまりしてしまう。    ペンギンが好きだから、ペンギン運輸の俺に目を止めたなんてことは――ないな、この調子だと。  実はさっきまで質問しようかと迷っていたが、止めた。  俺がそれを言おうものならこいつのこと、『俺はそんなに単純じゃない』とか醒めた返答をよこすに決まっている、自分の事は盛大に棚に上げて。  その呆れ顔すら目に見えるようで、俺は一人おかしくなってしまった。 「何だよ隆、何がおかしいんだよ」  俺の含み笑いに今度は土岐が問い詰めてくる番だったが、内緒といって教えなかった。  親鴨なら堂々と構えてなきゃな。  俺が心の中で鴨の親子にたとえているのも知らない土岐が、剥れて笑いの原因を追究しようとするので、ますます俺は笑いが止まらなかった。  怒ると子供らしくなるんだ、こいつの顔は。  あんまり可愛いので引き寄せてぎゅっと抱きしめると、土岐はそれでも逆らわずに、俺の背に腕を回して来た。  ――なあ、寂しがり屋のあんたを不安にさせた俺も悪かったよ。  だからこれからはあんたが自信過剰になるくらいに、俺が傍から離れないようにするよ。子鴨が迷わないように。  万一あんたがどこかに逸れたとしても、ちゃんと俺が捕まえて戻してやるからな。
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