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父はこの日のうちに亡くなった。
引き留めるガブリエルさん達の勧めを断り、夜中に出発してそのまま車中で帰らぬ人となったのだ。
「今度は事件じゃないってさ」
「この子の前でそんなことを」
「いいえ、イリスも大きくなったんだもの。知っておくべきだと思う」
一の姉様が私の枕元に寝そべり、口を開いた。
私が生まれ出ようと言う月に、父様と母様は事故に遭った。
当時、父様の立場はとても微妙で理解しない人も多かったから、この事故が運命によるものか、人為的なものだったかは今でもわからない。
母様は命と引き換えに私を産み、父様は怪我で思い通りにならなくなった体で私達を抱えた。
「その時の怪我のせいで弱っていた心臓が、止まったのですって」
あんなことを言ったから⁉ 息をのんだ私を察して姉様はすぐに首を振った。
「お医者様が仰っていたわ。とても穏やかなお顔だったそう。まるで心から安心しているように。だから寿命だって」
「絶対、母様が迎えに来たんだよ」
三の姉様の言葉に、二の姉様も頷く。
ほっとすると思った。これでもう喉を絞められ、頬が固まることもない。
姉様たちも隠れなくてよくなった。
なのにどうしてこんな気持ちがよぎる。
父様は一度も笑いかけてくださらなかった。
それは、私が一度も笑いかけなかったから?
数か月に一度やって来ては遠くから私を睨んでいた。
それは、久しぶりに会う私の顔をただ見ていたかったから?
私は父様の手の感触を知らない。
父様は私の頭を撫でてくれたことすらないから。でも。
ならば私が、一度でももっと近くに座りたいと言えば。
父様が遠くにいらっしゃるのなら、私から近づいていれば。
そうすれば父様の笑った顔を見られた?
父様ともう少しでも話せた?
姉様たちのことも、もっと素直にお願いできたかもしれない。
私は母様のぬくもりを知らない。たとえその場で払われても、せめて父様の手にだけは触れておけばよかった。
混乱しながらベッドの中でひとしきり泣いた。
「私達もうれしかったのよ」
二の姉様が言った。
「私達のためにあんなふうに言ってくれるなんて」
三の姉様が言った。
「本当にありがとうイリス」
一の姉様が言った。
少し落ち着いたので目を開けてみる。
「姉様?」
いつの間にか三人がいない。
泣き寝入りをしていたのだろうか。
私はあわてて絵の下を走り、ドアをノックした。
ドアはすぐに開いたが、出てきたのはガブリエルさんだった。
「姉様たちは‥‥‥?」
「こちらへ」
ガブリエルさんは私を鏡台に座らせる。コートを着せられ、帽子を深くかぶせられた。
「プーシェが車に荷物を積み込んでいます。これからのことは車の中でお話しいたしますから」
「大変! じゃあ姉様たちはもう乗っていらっしゃるのね? 急がないと」
どこへ行くのかもわからない、けっしてただの旅行じゃないこともわかる。
だが生まれて初めてどこかへ、外へ出かけることができるのだ。姉様たちと一緒に。
運転席にプーシェさんが見えた時、更にその興奮が私に残る全ての不安を吹き飛ばした。
みんな一緒!
生まれて初めて車のドアも開けた。
ガブリエルさんが私を奥へ押し込む。
「出て!」
「え? 待って! 姉様はっ? ねぇ姉様たちは⁉」
「あの子達は来られません」
動き出した車のドアに手をかけ押さえ込まれ、暴れながら外を見る。
見慣れた窓から、こちらを見下ろしている姉様たちがあった。
「いやっ! 姉様っ、姉様ぁっ」
二の姉様、どうして無理に笑おうとするの?
三の姉様、どうして泣きながら手を振るの?
ああ一の姉様泣かないですぐに行くからっ!
「お気を確かにっ!」
私は初めてガブリエルさんに叩かれた。
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