イリスの日々

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「えぇえぇ覚えてるわ。とても目の印象的な細身のご主人と綺麗な奥様。世間じゃどう言われてたか知らないけれど、本当にこっちまで温かくなるようなご夫婦でねぇ。授かった時それはそれは幸せそうで」 元助産師は目を(ぬぐ)った。 その夫婦の子供は三度二人に逢いに来て、三人とも世に出る前に空に戻っていったと言う。 「四人目の赤ちゃんも今度こそと言う時にあの事故でねぇ。奥様は誰が見てもほっておけないたたずまいの方だったから、神様も心配で早く手元でお守りになりたいと思ったのかも」 冗談じゃないわ。 メモを録りながら私は思った。 母様を守っていたのは、私が大きくなるまで、私が一端の口を聞けるようになるまでずっと見守り続けたあの人だ。 父は私の生存を隠し、 短命の自分がいつ居なくなっても悲しまないよう、私にいっさいの温もりを与えなかった。 同じ家の中で日と距離を置き、心から愛するものを抱きしめたくなる気持ちをどんな思いで抑えていたか、今の私にはわかるのだ。 父様の中には私だけでなく、いつだって母様と姉様たちがいた。 父様の中で消えることのなかった母様の想いは、私に姉様たちを届けてくれた。 あの家で、私は確かに姉様たちと過ごしたのだ。 ありがとうお母様。そして、とても強かったお父様。 ありがとう姉様たち。 屋敷の中しか見つめていなかった私はようやく前を向きました。 そして、いったいなぜ父様があんな目に遭わされたのかを知りたいと思ったのです。 表面を見ただけではきっと知り得ない真実を。 自分の足で歩き、焦らず、ゆっくりと。 私はもう弱くない。 あなた達から揺るぎない、かけがえのない力を貰ったのだもの。 「ありがとうございました」 「いいえぇ。子供達は疎遠になるし夫にも先立たれて寂しかったの。久しぶりにあなたみたいな若いお嬢さんとお話しできて楽しかったわ。良かったらまた来てくださいな」 「ええ喜んで。ではまた」 立ち上がり、メガネをずらして前髪を直す。 「あら? プーシェさん」 「はい」 「奥様……、なんだか少し、あなたに似ていたかもしれないわ」 「まぁ、それは光栄です」 ごめんね。おばあさん。 今のでもう、私はあなたを訪ねることはできなくなりました。 医師はまだ見つかっていない。油断はできないのです。 「お帰りなさい!」 「ただいまポール、学校はどうだった?」 「う……ん」 「隣の席の男の子ね」 「僕なにもしてないのに」 「そう。では作戦会議を開かなくてはね」 私は息子を抱き上げる。息子はしっかりと抱きしめ返してきた。 「そろそろ私の出番ですかね」 ガブリエルさんがテーブルを拭きながら力こぶをつくる。 「ダメだよボウリョクは」 「はいはいわかっておりますとも。坊ちゃまは優しいですね」 キッチンからいい匂いが漂ってくる。 息子と二人で顔をのぞかせると、火を止め夫が振り返った。 「お帰りなさいイリス」 「ただいま」 プーシェは未だ気恥ずかしいらしく、皆の前ではキスをしない。 「さ、お皿を用意しましょう? ママンも手を洗ってくる」 向きを変えると見せかけ、不意打ちのキスを唇にぶつけた。 ポールは小さな手を口に当て、大きな目をもっと見開いている。 ガブリエルさんはそっと両手で形ばかりの目隠しをした。 夕食が並ぶ。 「ポール、お祈りを言って」 「怖いことの後には楽しいこと。嫌なことの後には楽しいこと」 けれど、そこには必ず努力が要る。 当たり前のことを、私はやっと気づき行動する。 姉様、あなた達がくださった言葉をこの子が受け継いでいます。 父様と母様がそうであったように、私もずっとあなた達を忘れません。 大切な大切な私の人々。いつかきっと、あなた達にも尽きることのない幸せが訪れますように。
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