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七月も終わろうとする季節の正午は、蒸し焼かれそうなほど、とにかく暑い。
「いらっしゃいませー」
理系の学部で大学四年生になっても研究に明け暮れる陽斗とは違い、就職先も決まって暇を持て余している俺はバイトに明け暮れていた。
バイト先であるファミレス内では、浴衣を着た女子高生達がドリンクバーの前で華やかに笑っている。
「今日って花火大会があるんですねー」
厨房横でオーダーを確認していると、後輩である笹原さんが俺の隣で小さく笑った。
「道理で浴衣の子達が多いわけですね」
「夜にはもっと混むよ。花火大会が終わった後の混み方がえげつない」
「えー、まじですか」
少しくだけた喋り方で笹原さんは肩をすくめ、トレイを持ったまま俺を見上げる。
「蓮さんは、彼女さんいるんですか?」
その上目遣いの意味を知らないほど初心ではない俺は、それを躱すように伝票端末を手に持った。
「一緒に暮らしてるけど」
もう何度も使っている、当たり障りのない返答を口にすることで、心臓がざらりと嫌な音で軋みを立てた。その一言だけでたいていの人間は真意を読み取ってくれる。勝手に想像しては素敵だと羨ましがるか、まだ親のすねをかじっている学生の身分のくせにと呆れるかのどちらかだ。
「えっ、じゃあ、大学を卒業したら結婚するんですか?」
やたらと目を輝かせた彼女は、思いのほか夢見る少女だったのか、世にありふれたストーリーを語り出しそうだったので、どうかな、と俺は苦笑を残し、ホールへと歩いた。
夜が近付くにつれて客が増え続けていた。普段であれば勉強をしたり暇をつぶす常連客もいるのだが、今日ばかりは見慣れない客ばかりだ。このファミレスは、市のホームページにも掲載されている今夜の花火大会の会場に近いのだ。
注文された料理を席に運び、厨房に戻って料理を受け取ってはまた運ぶ。その繰り返しをしている途中、急ぎ足で厨房に戻る俺の目の前で小さな物体が倒れた。何かと思えば、五歳くらいの浴衣姿の少女だった。油っぽい床で足を滑らせて転んだようだ。
「大丈夫か?」
トレイを脇に抱え直してしゃがむと、少女は泣くわけでもなく俺をじっと見上げた。色とりどりの大柄の花模様の描かれた、ピンク色の浴衣がよく似合っている。
人見知りをしないのか、差し出した俺の手をぎゅっと掴み、少女はゆっくりと立ち上がる。ピンクがかった丸い頬は餅のようだ。顔の面積の半分はあるのではないかというほど大きな瞳は、これからどれだけのものを映していくのだろうか。
だいじょうぶ、と立ち上がった少女は淡々と答え、俺から手を離した。ほんの一瞬だったのに、指先に温度が残っている。子供の体温は大人よりも高いって本当だと思った。
やがて、「ごめんなさい」とレジ前から小走りでやってきた普段着の母親が少女の手を握り、俺に会釈をしてファミレスを出ていく。「またお越しくださいませ」と咄嗟に答えながら、俺は厨房へと戻る。
意識してホールを見てみると、普段よりも家族連れが多く目立っていた。感傷的な気分になって視線を移した先では、高校生くらいの男女のカップルが四人席の二人掛けソファーに並んで座り、肩を寄せ合って微笑み合っている。
俺達にもあんな時期はあったかもしれない。周りのことなんて考えられなくなるくらい、今という時間だけを切り取って宝箱に閉じ込めたくなるくらい、あの頃の俺には陽斗しか見えなかった。
今の俺は、漠然と考える。
――結婚するんですか?
先ほどの笹原さんの声が脳内に響き、普段からの疑問が形になって胸に沸いた。俺達のゴールって、いったいどこにあるんだろう。
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