0人が本棚に入れています
本棚に追加
時間スケールを大きくすれば、失敗は失敗じゃなくなる
思い出すたびに落ち込んでしまうような失敗。私もいい年なので、そんなものは星の数ほどある。
だけど近頃、「あの失敗は、案外失敗じゃなかったかもしれない」と思えるワザを覚えた。
失敗が失敗じゃなかったと思えるところまで、時間スケールを大きくしていくのだ。
*
例えば難病を発症したことは、私の人生を大きく変えた。
体は激痛に襲われ、仕事を続けられなくなり、岩手にUターン。何年も再発と悪化を繰り返した。所属していたバレーボールやYOSAKOIのチームからも退会。何も楽しめず、地獄の日々。
病に苦しんだ約15年間。
そこだけを見るなら、失敗と言わざるを得ない。
でもそこからさらに数年先まで時間スケールを大きくすると、今の私にたどりつく。
今の私は体の痛みもすっかりなくなり、愛犬と一緒に走ることもできるようになった。体力もついて、農作業もやるように。
再発する気配は、ここ数年、まったくない。
なぜこのようになれたか。
もちろん医療のおかげもあるが、私個人としては――15年かけて再発を繰り返していくうちに、私の心と体にとっての「限界」と「合わないこと」がわかってきたのではないだろうか。
選択さえ間違えなければ、恐らくこの先も、再発はしないと確信している。
あの15年間は、それを学ぶため、理解するための期間だったのだと思えるようになった。
*
時に容赦なく降りかかってくる試練。
そういった試練は、乗り越えられなきゃ乗り越えられないで、いいと思う。
大切なのはきっと、その乗り越えられなかった試練から何を学ぶかではないだろうか。
そのために時間スケールを大きくして、自分の人生を俯瞰して見たらいい。
数十年後の未来の自分になりきって今の自分を眺めてみるのもいい。視野が今よりは広くなる。
例えば私は、会社である仕事の担当に任じられたことがある。どうしても私には向いていない仕事だと自覚していながら、それでも逃げずにやり続けた。
その結果、ストレスを浄化しきれず、大下血して死にかけるはめに。
今思うとあれは、乗り越えるのではなくて、回避すべき試練だったのだろう。
――失ったものは多い。
「病を得て良かった」とまでは思えない。
だがしかし。「二度と同じ状況には陥らない」という自信をつけたことで、私の15年に及ぶ失敗は、失敗ではなくなるのである。
最初のコメントを投稿しよう!