「世界は認識でできている」を実感した話

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「世界は認識でできている」を実感した話

仏教だか量子だかで言われる、「世界は認識でできている」という話。これについて私は、アニメ『不滅のあなたへ』シーズン2の最終回を見ていて、実感した。 (ネタバレが気になる方はご退室ください) それはエンディングを見ていたときのこと。 やたらと木の動きが目についた。 ていうか木に動きがあったことに初めて気がついたし、枝のアップがあったことも今の今まで知らなかった。 これは姉も同様だったらしく、私より1日遅れて最終回を見たあと、 「いつも動いてた? あんなにモリモリ成長してないよね?」 とLINEしてきた。 念のためシーズン2の第1話のエンディングを確認してみたが、第1話も最終回も、まったく同じエンディング映像だった。木はモリモリ大きくなっていったし、枝のアップもちゃんとあった。 一体私たちは、毎週何を見ていたのか。 エコを見ていたな。 あとグーグーとオニグマが遊んでるところ。 ほっこりしてた。 木の存在は、見てはいたが、認識していなかったということか。 これまでの話と最終回のエンディングへの導入部分で、フシと木が重なり、私たち姉妹はようやくエンディングの木の存在を認識したわけだ。 なんか、制作陣にしてやられた感(お見事)。 エンディングの最後の最後でボン様の足が見えるが、これも最終回だけかと思っていた。 念のため確認すると、ボン様の足はちゃんと第1話から見えている。 本当に一体私は今まで何を見ていたのか。 (エコとグーグーだよ) 木が大木になっていく姿を認識した今、改めてエンディングを眺めてみると、今までとまったく違った見え方になる。 フシがあれだけの大木になる、とてもとても長い時間を、みんなはずっと、そばにいてくれたんだなと。 そのことをようやく認識した。 「『世界は認識でできている』……認識でできていましたね」 「いや本当。認識できていなければ、ないも同じ。参りました」 姉妹で制作陣に感服する。 これでいくと―― 例えば今、世界では戦争が起きていて。 それを知っている私たちは、 「世界はちっとも平和にならない」 などと思ってしまうが。 そういった情報に一切ふれずに生き抜いた人から見たら、 「この世界はなんて平和なんだろう」 という認識になるのだろうなぁ。 ――うちの母。 近頃、記憶力の低下がとても目立つ。 今日も母と話していてびっくりしたことがある。 私の短編小説が以前、集英社の雑誌『コバルト』に掲載されたことを、母がキレイさっぱり忘れていたのだ。 入選連絡の電話をもらったとき。 大喜びしたあのとき。 その場に母もいて歓声をあげたのだが。 その夜一緒にビールで乾杯してキャッキャしたのだが。 どうやら母の世界では、私はまだ一花も咲かせていない状態になっているらしい。 ……無念。
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