自分の体もまた宇宙である、という視点で物事を見直してみる

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自分の体もまた宇宙である、という視点で物事を見直してみる

よく聞く話で、「人生で起こることに無駄なことはない」とか「あのときは不幸だと思ったけど、あれのおかげで今の自分がある」というのがある。 でもそれって、今の自分が幸せという前提での話。今の自分は望んでいた姿じゃないという場合、「あれのおかげで」とはならないじゃないか。――と、以前の私はよく思っていた。 今は、そこまで頑なではない。 この宇宙は――システム的に考えて――私たちを良い方へ導こうとしているんだなあ、と思うようになった。 なぜそう思うようになったか。 以前にも語ったが、 ・時間スケールを大きくすれば、  失敗は失敗じゃなくなる ・この世界は相似でできている というのが、基本的な考え方になっている。 この世界が相似でできていることは、自分の目で見て「本当だ!」と実感できる現象なので、恐らく真理なのだろう。 太陽系と原子は似ている。 銀河とニューロンのネットワークは似ている。 たしかに相似である。 (肉眼では確認できないけど) であるなら、私たちに無数の細胞があるように、私たちは宇宙的巨人の細胞なのかもしれない。 そして私の体の細胞から見たら、私が宇宙的巨人である。 故に私の体、これもまた宇宙なのだ。 私の宇宙。私も宇宙。 そう実感したとき、「そうか、じゃあ宇宙は本当に私たちを良い方へ導こうとしているんだ」と思うことができた。 例えば病気になった場合。 私たちは体を治そうといろいろやる。薬を飲んだり、体を温めてみたり、あるいは手術をしたり。 それはもしかしたら、体の細胞たちにとっては迷惑なことかもしれない。 病気には効く薬でも、副作用で別の部分には不都合があるかも。良かれと思って体を温めたものの、温めすぎれば細胞たちが悲鳴をあげるだろうし、実は的外れな療法で失敗だったということもある。手術にいたっては、事情を知らない細胞たちは「攻撃されてる!」って勘違いするだろう。 だけどそれらは、病気を治すという目的に向かって行われること。 良い方へと導こうとしているのである。 そして病気が治れば「あのときの薬が効いたのだ」「あれのおかげで今の私がある」と思うわけだ。 宇宙的巨人もだから、長い目で見れば私たちを悪いようにはしないはずだろうと。そういうわけなのである。 ――という視点で、近頃私は、改めて自分の人生やこの世界の出来事について、見つめ直している。 なんとなく、宇宙的な理由が見えてきた気がする。まだこの考え方に慣れていないけども。ちょっとずつ、別の見方をする視点を持てるようになってきたと思う。
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