手袋が「私」じゃなくなった瞬間

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手袋が「私」じゃなくなった瞬間

「私」という存在は非常に曖昧である――とは、仏教や量子の話。 (たまにこういう話したくなる) 例えば肉体は、分解すると筋肉・臓器・骨などに大別され、もっと細かく見ると細胞や素粒子といったものになる。 ピラミッドは石の集まりであって、私たちがその石の集まりを「ミラミッドと呼んでいるだけ。「ピラミッド」という物質的なものは存在せず、ただ概念としてのピラミッドがあるだけ。 馬車もそう。馬や部品を外していくと、いつからか「馬車」とは呼べなくなって、「車輪」「木材」などと呼ばれる。 さらに素粒子というのは物質的な部分が非常に少ない上に、ガッチリと連結しているわけでもなく、なんとなく集まっているだけのものらしい。もしも素粒子を肉眼で見ることができるなら、私たちは雲のような存在なのだと本で知った。 世界は案外あやふやである。 (だとしたら小説『旅のラゴス』の壁抜け芸人のようなことを、どうにかしたら本当にできるかもしれない) 私たちは、そういう細かいものがなんとなく集まった存在ということだ。実感わかないけど。 そんなある日。 愛犬オオキイノ(ゴールデンレトリバー)と遊んでいたときのこと。手袋を甘噛みされ、グイグイと引っ張られた。 オオキイノがなかなか放してくれないので、手袋からスッと手を抜いてみる。抜けた勢いでオオキイノは数歩下がり、手袋もその場に落ちた。 オオキイノは一瞬私の存在を忘れ、落ちた手袋をじっと見つめた。今起こった現象について彼なりに考えているのか、その表情は、ちょっと混乱しているように見える。 数秒後、ぱっと顔を上げると、オオキイノは再び私のところへ来てはしゃぎ始めた。 「おぉ……」 この一連の行動に、私は感嘆した。 オオキイノにとって、さっきまでこの手袋は「私」だったのだ。「私」を形作っている要素のひとつ。だけど手袋が手から抜けて落ちた瞬間から、オオキイノにとってそれは「私」ではなくなった。 あれ? 今まで母ちゃんだと思って引っ張っていたのに。今のこれは、母ちゃんじゃない……? あのときオオキイノは、そんなふうに思って混乱したのかもしれない。わかんないけど。 「この人何言ってんの」と思われそうだけど。私の中では、ブッダの教えやら量子の話やらが一気に噴き出した出来事だった。
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