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楽園の記憶〜庭の灯火〜
「快」に転じたのと同時期に、もうひとつ別の種類の高揚を覚える「楽園の記憶」があった。
ある日の夕方、愛犬との散歩中にそれは起こった。もう日が落ちて、あたりは真っ暗。私と愛犬はいつものように、庭を抜けて、畑に向かっていた。
ふと、上のご近所さんの家に目を向ける。そのときだ。ものすごい強烈な存在感で「楽園の記憶」が浮上してきたのは。
見上げた私の目に映ったのは、ご近所さんちの母屋に隣接する、農機具置き場か何かの建屋。オレンジ色の灯りがついていて、まるでライトアップされた首里城か何かのように、母屋もその建屋も夜の闇の中で浮かび上がっていた。
かつてないほど、「楽園の記憶」を濃密に感じた。
これはなんだ。なぜ夜のご近所さんちを見て、こんな強烈な幸福感に襲われるんだ。
喜びに高ぶりながらも、神経を研ぎ澄ませ、記憶をたどる。
この感じを、知っている。
私は前にもこれと同じ感覚を味わったことがある。いつだ。なんのときだ――
たどりついた記憶は、幼い頃の、人寄せのとき。法事なのかなんなのか、子供の私にはわからない。うちじゃない気もする。だけど親類か親戚か、知っている人たちがたくさん集まっていて、ワイワイ、ガヤガヤ。
大人たちはお酒を飲んだり、お料理を食べたり。座敷も台所もにぎやかで、お盆に乗せたグラスがカチャカチャ鳴る音や、大人たちの笑い声が聞こえた。
外に出ると、あちらこちらに灯りがあって、夜の庭はオレンジ色に薄明るい。
いつもなら暗闇が怖い私も、オレンジ色の薄明るい庭と、そこへタバコを吸いに出ている大人たちの存在を感じて、妙な高揚と安心感を抱く。
――多分、この感覚が、一番近い。
この感覚をもっとしっかりと感じようと、愛犬と畑を歩きながら、ご近所さんちの灯りと私の記憶について考える。
あの記憶の中で、幼い私が抱いた妙な高揚と安心感というのは、「同族の中にいる」ということなのかもしれない。みんな知っている人で、危険がなくて、守られていて。子供の私が、夜の庭を一人でウロウロしても大丈夫。大昔に部族の中で暮らすのって、こういう感じだろうか。
前回語った、布団の中でウキウキするあの感覚。あれも同じことかもしれない。
うちはお盆とお正月に親戚が泊まりに来る家である。だからその日の夜は、いつもより多い、人の気配を感じながら布団に入る。ウキウキするような、ふわふわするような。なんだか嬉しくて、うふふ、と笑いながら眠りにつく。
もしもこれらの記憶と感覚が、今回求めていたものの答えならば、「楽園の記憶」の大部分は、多分、「懐かしさ」でできている。
残念ながら「楽園の記憶」は、長めの浮上を経て、また意識の奥底へ潜り込んでしまった。
これを、いついかなるときでも呼び起こせるようになりたいものだ。そうすればつらい状況に陥ったときでも、心を喜ばせることができるだろうから。
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