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きっかけの「イスラーム」
『コテンラジオ』のオスマン帝国シリーズを初めて聞いたとき、不思議な感覚に襲われた。なぜだかとても気になるのだ。
何がそんなに気になるのかは、いまだに自分でもよくわからない。
当時の私の日記を見ると、よほど気になったのか「#125 国作りのテンプレを制す! オスマン帝国が急成長した秘訣」の回を、一部書き留めていた。
●国が大きくなると、国家統治システムの改変が必要。ここでイスラーム帝国たちが強いのは、イスラーム法(シャリーア)というベース、テンプレがある。このテンプレを使うと、すごく簡単にみんなが納得してくれる。それにプラスアルファで自分たちのカスタマイズを乗せていく。
●イスラーム法を共有し、その基盤で生きているから、自分の国からえらい人を出す必要がない。他の国から呼んできていい。人種で区切らない。だから強い。やりやすい。
●イスラーム法の中に、民法、商法、刑法が入っている。最初からこのテンプレ使える。みんなに浸透しやすい。反発も出ない。イスラームはルールベースまでコーランに収められている。イスラームを踏襲すると、こういう国家統治パッケージが最初から全部ついてくる。
●モスク建設。イスラーム学院。教育制度を作る。ワクフ制度というのがあり、収入の一部を公的事業に寄進しなければならない。これでインフラとかを整える。自然と都市が大きくなっていく。
以上のことが、私の中で特に気になったところ。その後も「#125」は何度も聞きまくっているが、残念ながら「なぜ気になるのか」の答えは見つからなかった。
私は何を求めているのか。
ムスリムたちみたいに、何か掟がほしいのか。
それとも国でも作る気なのか。
国や人種をこえた何かを作りたいのか。
もともとアラビアンナイトや中東イスラム世界、マンガ『天は赤い河のほとり』のヒッタイト帝国のような雰囲気が好きだったから、単に過剰反応しているだけなのかもしれない。
だけど、ただ「好き!」というのとも違う。何かそこに、これからの生き方のヒントがある気がしてならない。
例えば「人種で区切らない」をヒントとした場合。組織など枠の中で派閥を作る、区別する――ではなく、枠からはみ出る方向で物事を見てはどうか、と受け取ることもできる。その方が私の世界は広がりそうだ。
それ以降日々の暮らしの中で、当たり前に見ていた枠組みを、はみ出す方向でくくり直してみるようになった。
だけどそれが求めていたことなのだろうか。いまだにこの「気になる」の正体は、言語化できていない。
これが幸せに繋がる種なのかもわからない。
ただ、とても気になるのだ。
この気になる糸をたどっていくと、最初こそイスラームが気になっていたが、興味はどんどん分岐し、他にもいろんな思想をちゃんと知っておきたいという衝動に駆られた。
この直後に気になっていったのは、「倫理的ビーガン」について。健康志向やファッション感覚のビーガンではなく、倫理的ビーガン。
なかなか難しい領域なので、ネット記事ではなく、肯定派・否定派両方の本を読んでみた。
それから仏教。以前は唯識論にハマっていたが、今回は大乗仏教ではなく、原始仏教の本を探した。戒律のこと――特に不殺生戒について、ブッダの考えを知りたかったから。そう強く思ったのは、倫理的ビーガンからの流れだろう。
『コテンラジオ』からはガンディーにも強い興味を持ち、自伝や、ガンディーが影響を受けた『バガヴァッド・ギーター』にも手を出してみた。対立せずに事をおさめるガンディーのやり方にとても感化されたから。
あと仏教でも言っている「自他平等」について、説得力のある教えを知りたかったから。――これはのちに別のところから知ることができて満足している。
思えばアウェアネスリボンに興味を持ったのも、この流れの中でのこと。国や民族をこえる、思想的なことに関心が向いていたからだろう。
かつてないほど高まっている知識欲に任せ、貪るように本を読んでみよう。このイスラームの話をきっかけに、自分の中にある「気になる」の糸を素直にたどっていこうと思う。
この「気になる」行脚の果てには、答えもオチもないのかもしれない。
とはいえ、やはり期待はしてしまう。
この先に何が待っているのか。
自分がどう変わっていくのか。
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