死んでもいい

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死んでもいい

「今度、ミサと遊びに行く約束したんです。客と行った店が面白かったって言うから。来月なんですけど」 「まあ、締め日も近いし、向上心のあるキャストは忙しいよな。ミサだって、適当にやってNo上位とってるわけじゃないよ」 「そうですよね、私はミサのこと、周りのキャストのお姉さんたちがどんなに嫌っていても、大好きなんです。尊敬してます」 ゴクゴクと水割りを飲んで、気分が高揚して来て、ああ良かった、また私の体は酔えるくらいほぐれて来たのだ、と感じると、あくびが出た。 珍しいな、長いこと不眠症だった私が、あくびをするなんて。 眠剤を飲んだわけでもないのに、ウトウトとしはじめてしまう。 この感じ、なんだか子供の時ぶりだ。 中村さんが煙草を消すと、私の脇の下にそれぞれ両腕を差し込んで、ギュッとしてから、くっついた体ごと一緒に立ち上がる。 布団に運んでくれるんだ、と思いながら「洗濯機が鳴ったら、起こして下さい」と頼む。 少しだけ、ほんの少しだけでいい、横になって、疲れた体を癒すだけでいい。 瞼を開けた時に、どうか全てが夢になったり、していませんように。 私は、心も体も、自分で思っていたよりも随分と疲れていたようだった。 そう言えば、男と一緒にいる時に私の方が先に眠ってしまう、と言うのは中村さんがはじめてだった。 布団の上に体を下ろされると、私は崩れた正座の姿勢をなんとか保ち、眠気に抗ってゴシゴシと両目を擦って、ぼんやりとした頭と、ぼやっとした顔で中村さんのことを見る。 遠のいて行く腕を掴むと、彼は私をジッと見て、それから頬を大きな手のひらで撫でると、大丈夫だ、と言うように、子供をあやすように、ポンポンと頭を柔らかく叩いてくれた。 「ちゃんと起こすから」 「…私、靴下忘れて来ました」 「百均で買えばいいだろ」 「この辺って、一緒に歩いても大丈夫なんですか」 「うたはメイクも、ヘアメもやってないし、ドレスも着てないだろ」 「…うれしい」 「そうか」 良かったよ、と、それだけ言うと、中村さんは私に背中を向けて深緑色のクッションへと戻って座る。 どうやら、ノートパソコンを開いたらしい。 右手がマウスに置かれているのが、辛うじて頭を動かすことなく見えたのは、彼のそんな仕草。 布団に、ズルリと上半身が倒れて行く。 冷たい布団が気持ち良くて、片脚ずつズリズリと布に擦りつけながら、つま先を伸ばす。 何度か自分のスマホがラインの着信を知らせて鳴っていたが、どうやら私は本当に寝落ち寸前だったらしい。 目を閉じると、瞼の内側には薄く真昼が透けていて、暗闇は訪れない。 うつ伏せになって、大きな黄色のバナナの抱き枕に顔を埋めると、中村さんのシャンプーと煙草の匂いがした。 甘いような、刺激臭と言うか、特徴的な臭い匂いはしなかったので、多分彼は大麻とかはやってないんだと思った。 私はたまたま、専門学校に通っていた頃に、大麻をやっていたやつを知っていた。 でも、関係のない人だったので、気にもとめていなかった。 私は、中村さんの腕の痕を見ても、気にもとめていなかった、と思っていた。 けれど、多分それは間違いで、ただの言い訳で、そう言うドライな女でありたいと言う願望からそのように振る舞っていただけだった。 でもだって、私だって向精神薬を飲んでいる。 乱用はしていないけれど、決まった処方の量を守っているけれど、あれだって所謂薬物と言われるものだし、金銭を支払ってでも購入したいと言う人だっている。 中村さんの手は震えたりしていないし、禍々しい痕や蚯蚓腫れのようになっている部分が見られるのは今のところ腕の内側だけのように見えた。 彼は、一体何から逃げたいのだろう。 それとも、何かを得たいのだろうか。 本当は知りたいことは沢山あったけれど、私にはそう言う話を訊ねることは許されていない。 何故って、私は彼から離れたくないからだ。 彼の、私に対する態度が変わってしまうのは嫌だった。 だから、私が救ってあげたいだなんて、そんな烏滸がましい考えは一切浮かばない。 そもそも人を救う云々以前に、自分はどうなんだ、と言う話だ。 中村さんは中村さんでしかないし、私は色管理、枕管理をされている店のキャストでしかない。 いつか離れる時が来るのだ。 きっと、そのうちやってくる未来、禁断症状に陥り、苦しむ彼の姿を見るのは私じゃない。 その時に、彼を本当に救ってくれるのは、側にいてあげることが出来るのは、多分私ではない誰かだ。 良いことなのか悪いことなのかはよくわからないけれど、私は何も思わないようにして、何も言わないようにする。 でもどうかお願い。 今は、私が目を閉じている間に、どこかに行ったりしないでね。 心の中でそんなことを願いながら、私は睡魔にその身を委ねた。 この時、私は変な夢を見た。 睡眠導入剤を飲んで眠ると、ほぼ気絶といった感じなので夢など見ない。 いや、多分見てはいるのだろうけれど、起きた時にその内容や概要などを覚えていることは一切なかった。 だから、私が夢を見る、と言うのはとても珍しいことだった。 しかもそれを覚えているなんて。 私はせっかく眠って体や脳を休ませていると言うのに、夢の中でまで仕事をしていた。 店で、慣れたように上手に接客をこなしている私は、どうやら今の私よりも年齢が上で、何年もその店に勤めている様子だった。 その店は、私やミサやナギサさん、ミズキさん、マナミさん、リョウさん、ナナさん、部長や店長や中村さんのいる、その当時私が働いていた店ではないようだった。 知らないキャストたち、見知らぬ客たちに囲まれて、とある一つの卓で一人の客を相手に、しっかりとした、客を楽しませられるような会話の切り返しをして、その場を良い雰囲気にしていた。 テーブルの上の片付けや、煙草に火をつけることも忘れず、グラスがからになると酒を作る。 私はどうやら、完璧に仕事を覚えた、そこそこ年のいったキャストのようだった。 そして、そんな私がついている客が、中村さんだったのだ。 私は、その客に場内をもらい、指名に返すことが出来るようにあらゆる手を使って話を盛り上げて、シャンパンを入れさせたり、ボトルやフードを入れさせたりしていた。 どうやら私は、接客を、色恋の方向に持って行こうとしているようだった。 自分が、その客をとても気に入っている、と言うことが、夢の中だと言うのに良くわかった。 そうして、店がラストの時間を迎えると、私はその客とアフターへ行く約束をして、一度見送りを済ませる。 キャストたちにお疲れ様、とそれぞれ声をかけると、私服へと着替え、店長らしき人に送りの車を断って店を出る。 そして、私が出てくるのを待っていた、その客と共にアフターへと出かける。 私たちは居酒屋で軽い食事をとりながら、酒と偽りの恋愛を楽しみ、そして頃合いを見て会計をし、腕を組んで夜の歓楽街を歩く。 その方向には様々なラブホテルがある、と言う、そんな道をなんの疑問も嫌悪も抱かずに、私はうっとりとその客に対して、魅惑的だと思われる微笑みを向けていた。 その夢の中の私は、守り続けていた「客とは絶対に寝ない」と言う信条をアッサリと破って、その客と一つのラブホテルの入り口へと入って行ったのだ。 そんな、奇妙な夢だった。 私は夢占いなどは特に信じていなかったし、夢のお告げと言うものも、夢がもつ意味なども、今まで意識したことはなかった。 けれど、目を覚ました時に、なんだかとても不思議な気持ちになった。 不思議、と言うか、どちらかと言うと、不安な気持ちに近いものであるような気がした。 そうか、中村さんがもし客で来ていたとしたら、そして私がもっと年上の枕営業を平気でするようなキャストだったとしたら、そう言ったこともあり得たのかもしれない。 だって、夢の中の中村さんは客だったけれど、私はキャストだったけれど、それでも惹かれたのは確かだったのだから。 中村さんに起こされたわけではなかったが、私は目を覚まし、しばらく夢についてアレコレと現実的ではないことを考えた。 一瞬、ここがホテルで、瞼を開いたら窓のない暗い部屋だったらどうしよう、と焦る。 「うた?起きたのか」 「中村さん、今、何時?まだ、日曜日?」 私は起きた瞬間に急いで床を這って、中村さんの細くて長い背中にしがみつくと、その肩に顔を埋めて問いかける。 まだ部屋の中は明るかったし、彼はパソコンで何か見ながら焼酎を飲んでいたので、安心しても良いと思うのだが、夢と言うものを久しく見ていなかった私は少し混乱していた。 夢のストーリーにも、多少は動揺していたのかもしれない。 「なんだ、うたも子供か。嫌な夢見たのか」 「嫌な夢では、なかったんですけど、多分。私は夢でまで、働いてました」 「ははは、あるよな、そういうこと。まだ15時前だから、約束だし洗濯干すか」 「私、そんなに寝てたんですね、すみませんでした」 「おまえはすぐに謝るよな」 「あ、……すみませ、あれ、…」 「謝らなくていいよ、うた」 「はい…」 「おまえはいつも、謝るようなことなんか、何もしてないだろ」 ああもう。 私は、この人が好きだ。 泣きそうだ。 ちくしょう。 なんで、この人が、こんな人で、こんな風になっていて、私たちはちゃんと恋人じゃないんだ。 私はもっともっと、彼に何かしてあげたいのに、それは店に貢献することでしか叶わない。 沢山沢山客を掴んで、店で金を遣ってもらって、担当である彼の評価を上げることでしか、叶わない。 中村さんが私の方へ上半身をねじって、私の顎を指で優しく摘まむと顔を上げさせて、唇にキスをしてくれる。 何度か食むように、啄ばむようにされて、一つの予感に私は薄く上唇と下唇の間に隙間を作る。 彼は下半身もこちらへと向けて、私の体を硬いフローリングの床へとゆっくりと組み敷いた。 背中が少し痛いし、冷たかったけれど、そんなことはどうでも良かった。 私は、そう、何も気にしないのだ。 それでいい。 私が与えているのか、中村さんが私を店でもっと働かせる為に与えているのか、どちらが本当の理由なのかはわからないけれど、この体くらいしかないのだろうか。 私が、彼を少しでも、一瞬だけでも気持ちよくさせて、満足させられていると感じられるものは、この体くらいしか持っていないのだろうか。 店でいいように動かすことが出来るのだってこの体だし、こうして快楽を感じる行為をさせてあげられるのだってこの体だ。 Tシャツを捲り上げられて、中途半端にブラを下げられる。 生暖かい舌が私の肌を唾液で湿らせて行くのを感じて、時々漏れる甘い声を嚙み殺す。 酔いのさめている状態だと、好きな人に愛撫されて声を上げることが、少しだけ恥ずかしかった。 ズリズリと体を上の方、布団が敷いてある方へずらされて、丁度シーツのある辺りに後頭部がぶつかったので、そこに頭を上げた。 腕を伸ばし、包み込むようにして細い体にしがみつくと、ゴツゴツと浮いた背骨の形が良くわかった。 私の体だって人のことは言えなかったけれど、それでもちゃんと彼が興奮してくれる程度には女の形を保っていて良かったと思った。 中村さんが私の下肢の下着を脱がせ、膝の裏に手のひらを入れて脚を割り開く。 「もう、すぐに、いれて」 「痛いだろ、それだと」 「大丈夫です、すぐ欲しい」 痛いのなんてどうでもいいし、気にしたことなんかなかった。 気にしない、何も。 そう言う頭と体にしてしまったのだ、私は。 それに、私の体は便利なもので、中村さんがキスをしてくれただけでもう受け入れられるように準備が出来てしまうようになっていた。 私は、彼に行為の先を急かして、駄々をこねる。 指を何本か挿入されただけでもう気持ちが良くて、あんまり念入りにされたら変なことを口走りそうだったから、途切れ途切れに何度かそう頼んだ。 中村さんは、平気そうだと判断したのか、頬を上気させ嬌声を耐える私の懇願を聞き入れると、自分も履いていたジャージと下着をずり下げながら、いつものように言うのだ。 「しょうがないなあ、うたは」 そうなんです、私しょうがないの。 でも、中村さんが私のことを床に押し倒したんでしょう。 したい、って思ってくれたんでしょう。 それって、私、すごくしあわせ。 死んでもいい。
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