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ナナさんの秘密
洗濯物を干して、持って来た細かいものを一つずつ置く場所や仕舞う場所を中村さんに訊ねて決めて行く。
常に必要なものはテーブルの上を片付けて、主に私が座っている方に適当に配置させてもらうことにして、他は広げっぱなしのキャリーケースの中に入れたまんまだ。
自分の香水を、彼から貰った香水の隣に並べると、日によってつける方を決めようと思った。
テーブルの上に乱雑に散らばっていた雑誌はまとめて、テーブルの下の奥の方に突っ込まれている。
ノートパソコンは中村さんの座る位置のまま、灰皿もテーブルの中心のままにして、焼酎の入った瓶は二人が並んで座った時に真ん中に来るように床へ移動させただけ。
けれど、それだけでテーブルの上はだいぶ綺麗になり、広いスペースが出来た。
「なんだろうって思ってたら、名刺のサンプルとか、店の紹介とか、求人が載ってる雑誌だったんですね」
「なんだと思ってたの、うたは」
「気にしたことなかったので、ろくに見てませんでした」
「うちの店のキャストが載った雑誌とかもあるけど」
「へえ!すごい!どのキャストのお姉さんですか?」
「もう辞めたよ。すごく人気あったんだよな」
担当は誰だったんですか?と、聞きそうになって、やめておいた。
中村さんなんじゃないかと思ったからだ。
そして、そのキャストのお姉さんを超えるようなキャストのお姉さんは、もしかしたら、それ以降いないのではないだろうか。
想像力が豊すぎるだろうか、私は。
でも、だって、そう言った時の中村さんの目が、ちょっとばかり寂し気に見えたから。
「私も、もう焼酎飲んでいいですか?」
「いいよ、ちゃんと寝たしな。夜も寝ろよ」
「一緒に寝て、って言ったじゃないですか」
「わかったから、おまえはもっと寝て、食え」
「うん、ちゃんと寝るし、中村さんが食べる時は私も食べます」
「後ちょっとしたら、出るか」
「はあーい」
中村さんから焼酎の入った瓶を受けとりながら返事をして、黒猫柄のマグカップに注ぐとさっそくゴクゴクと飲む。
私は酔っていたかった。
じゃないと、すぐに感傷的な気持ちが襲って来てしまいそうな予感がしたから。
愉快に笑っていたかったし、酔っていない状態の脳ミソで彼と一緒にいると、聞いてはいけないことを、思わず聞き出したくなってしまいそうだった。
私は、黒猫柄のマグカップを片手に、口をつけつつ、充電していたスマホを取って来ると、中村さんの隣に戻ってラインを開く。
何人かの友人に返信を返し、連絡のあった指名客とフリー客にも返信をする。
それから、山口さんからは自撮りの感想が届いていたので、返事の文章を考えると、絵文字を適度につけて送る。
ちなみに自撮りの感想はまあまあ、上々、と言った感じだった。
「山口さん、かなりうたに酒飲ますだろ」
「そうなんですよね、たまにキツイです」
「同伴の時に、まず飲み過ぎないように気をつける、ってのは出来ないのか?」
「難しいですね。私に飲ませたいみたいなので、断ると多分いじけますね」
「いじけるのか、あの人」
「いじけますよ。私が飲まないとつまんないみたいです」
「でも、いい店行くんだろ」
「そうなんです、だから酔っても変な行動取らないように超気を付けてます」
「素面のおまえより、酔ってるおまえがいい、ってことか」
「どうもそんな感じですね」
すると、同時くらいに私と中村さんのスマホが鳴る。
多分私のは山口さんで、中村さんのは、ナナさんだろうか。
私は最近はあまり待機席にいる時間はないので、ナナさんと喋ったり、仲良くしたりする機会はない為、これからも彼女について詳しく知ることはないと思う。
だから、ナナさんがどのような女の子なのか、実際には想像することしか出来なかったが、確かに顔は可愛らしいのだ。
奥二重だったが、異国風の魅力のある瞳をしていると思うし、アイラインの引き方次第では色っぽく、大人っぽい目元になると思う。
唇だって小さくて控えめな印象で良いと思うし、その顔立ちとあのハキハキとした中身のギャップと言うのも、それはそれでウケが良さそうだ。
スタイルはちょっとぽっちゃり目で、特別良いと言うわけではないかもしれないが、髪型などは、もっとヘアメでちゃんとしてもらって、その上であの元気いっぱいな接客をすれば、指名だって取れるのではないだろうか。
彼女からは、一生懸命やっている、と言う雰囲気がすごく出ていたし、やる気だって感じられた。
「ナナは、おまえやミサ、ナギサがうらやましいみたいだな」
「は?ナナさんがですか?」
「人気のあるキャスト、ってやつに憧れがあるんだろ」
「はあ、そう言う風に見えてるんですか、私が」
「実際、ちゃんと指名で埋めてるからな」
「でも、私だって入店してからしばらくは、指名してくれるお客さんなんて全然いなかったですよね」
「うたは、ヘルプで他のキャストや客に育ててもらった、みたいなとこもあるしな」
「特技を活かしてじっくりと、ってやってけばいいのかもですね!」
「その通りなんだけどな、その、じっくり、をすっ飛ばしてすぐになりたい、らしい」
「…それは無理では。相当な才能と、強運を持っていないと」
私は山口さんからのラインを開いて、待ち合わせ場所は、多分私の為だろう、西武新宿線の駅で良い、と指定されたので、そのことに了解しました、と絵文字つきの一文を打つ。
それから、どこへ行くのかは教えてくれないんですか?、とちょっと困ったようなニュアンスの文章を付け足してから送信する。
山口さんはサプライズが好きだ。
でも、それは正直私にとってはサプライズにはなっていない、困ってしまうことの一つでもあった。
高級そうなバーやレストランに突然連れて行かれた場合、山口さんに恥をかかせるわけにはいかないし、緊張だってするのだから心構えが必要だったりする。
そもそも私は何も知らない小娘なので、そのような店での振る舞い方は何一つわからない。
それで良い、と山口さんは言ってくれるけれど、あまりにもその場にそぐわない女でいることは、とても肩身が狭いし、私を情けない気持ちにさせる。
時間は同伴にしては早めの17時から、と言う。
しかし、それでは、ヘアメは店では頼めない。
ヘアメのバイトたちだって本業である専門学校や、美容院がまだ終わっていない時間帯である可能性がある、と思った。
無理は言えないし、新宿にある、同伴出勤前のキャバ嬢のヘアメイクをやってくれる美容院を探し出して予約をしなければならない。
ミサは特に髪を弄ったりはせず、黒髪のロングのストレートで、元々ヘアメはしていないし、ラインを交換したマナミさんも、いつも毛先を緩く巻いたセミロング、と言うシンプルな髪型だったので、多分自分でやっているのだろう。
そうだ、ナギサさんは知っているのではないだろうか?
ナギサさんは、客と同伴してくる際に、既に酒をいっぱい飲んで酔っている状態で出勤して来ることがたまにあったような気がする。
もしかしたら、早い時間から同伴する客と会って酒を飲み始めている、なんて場合があるのかもしれない。
私は、さっそくナギサさんとのやりとりをしていたライン画面を開く。
なるべく丁寧な言葉遣いで、眠っていたらすみません、と前置きをしてから、店でヘアメを頼まない時などはどこにある美容院でヘアメをやってもらっているのかを訊ねる文章を打ち、さらに、もし良い美容院を知っていたら紹介して頂けませんか、と、お願いをする内容を作成して送信した。
「まあ、ナナはいずれクビになるかもしれないし、あんまり構ってやってもな」
「え、そうなんですか?なんでまたクビなんです…か、って…、あ」
「なんか、心あたりあるの」
「いや、なんとなくです、なんとなくでしかないんですけど、あくまで私の想像です」
「言ってみろ」
「今、ふと、ちょっと頭に浮かんだだけなんですけど。…でもこの話、店のマネージャーである中村さんに話しても大丈夫なのかわからないです、私」
クビ。
店をクビになる理由と言えば。
あまりにも接客に向いていなかったり、規則違反を犯した場合。
ナナさんは接客に向いていない、と言う程でもないと思う。
しかも、まだ入店したばかりなのだから、新人であり、新人のキャストがつくことを喜ぶ客だっている。
だとすると。
そうだ、店で私が、ナナさんのせいで、と言うか、ナナさんのしでかしたことの後始末として、シャンパンのボトル一気飲みをやらかした後。
酔いがさらに回り、客の見送りが済んだ途端、階段の踊り場でぶっ倒れてしまっていた時。
私の様子を見にやって来た、あの若い方の、猫っぽいボーイ。
彼は、直接私に何かをしたわけでもないのに、何故か唐突に謝罪の言葉を寄越した。
あれって、もしかして、ナナさんのことなのではないだろうか、と思ったのだ。
ナナさんが迷惑をかけてしまってすみません、と、私に謝るボーイ。
それは、ナナさんと近しい関係だからなのではないだろうか、と、そんなことを思ってみたり、思ってみなかったり、いや、勘だけれども、どうなのだろう。
「お、なんかわかるのか。うたは、察するの上手いしな。当たりっぽいな」
「え、でも、二人とも、せっかく仕事覚える気もあって、あんなに頑張って働いてるのに」
「まあ仕方ないな。前は、ナナもヒロトもバレバレな態度だったんだよ、だから俺から一度注意してる」
「あの人、ヒロトって名前なんですか。彼の態度と言うか、彼の言葉で私はなんとなくわかったので、彼にも注意するべきでは」
「だから、注意したよ。でも、なーんかバレバレなんだよな、あいつら」
「…そんなにですか?」
「うたは、何も知らないふりしてろな」
「でも、多分ですけど、バレてますよ。何人かのキャストのお姉さんには」
ミサと一緒に飲みに行った時に、確かにミサは言っていた。
『だって、ボーイと付き合ってるコとかいるよ』
って、そんな風に言っていたのを、私は覚えている。
ミサにとってはあまり興味がない事柄だから、特に突っ込んだり、深くは考えていないようだったけれど。
フリー客につくことも少なく、待機席にいる時間もそんなに長くはないミサでさえ気づくのだから、何人かのキャストのお姉さんたちには勘づかれているのではないだろうか。
まあでも、部長や店長にバレなければ問題ないのかもしれない。
私たちのように。
いや、私たちは別に付き合っていると言うわけではないから、バレたところであまり問題にはならないのだろうか。
…ならないの、だろうか??
でもまあ、色管理、ってやつを部長や店長が「アリ」だとしているのであれば、バレたところで何も問題はないような気がする。
私、中村さんがクビになったら嫌だな。
私だって、クビになんてなりたくないな。
「ナナはそうでもない風だけど、ヒロトがちょっとな」
「彼女に夢中なんですね」
「まあ、見て見ぬふりってやつで頼むよ」
「ナナさんて、中村さんには相談するのに、彼には相談しないんですかね?」
「あー、注意してから、そう言う話は俺にして来ないよ。あくまでも、店でどうやったら早くNoに入れるかって、そんな話ばっかだな」
「地道な努力がお嫌いなんですかね?」
「まあ、同じことをずーーーーーーっと説明してるわけだよ、俺は」
「はあ、…担当、って、大変そう」
私の面倒も見なくちゃならないしね。
なんて心の中で付け足して、一人で吹き出す。
マジで手がかかるだろうなあ、と思いますよ、本当に。
中村さんは焼酎を飲みながら、もうさすがに疲れた、と言った風にスマホを放ると、煙草に火をつけて一吸いしつつ、ぐーっと両腕を天井に向けて伸ばす。
私はある程度ラインの返信が落ち着くと、顔を上げて窓の方を見る。
記憶にある、弾力のありそうな入道雲が行き来していた青天井は、太陽を西の方へと追いやって、すっかり薄く透明感のある水色へと変わっている。
そろそろ日も傾いて来たし、と思い、黒猫柄のマグカップの焼酎を一気飲みしてから、キャリーケースのところまで行くとデニムのショートパンツを引っ張り出して脚を通す。
鼻歌を歌いながらジッパーを上げて、腰骨を囲んでいるベルトループの中心にある大きなボタンをとめる。
そんな私をぼーっと眺めていた中村さんが、煙草を吸いながら、のんびりとした口調で私に言う。
「うた、外で飯食いたいか?」
「…はい?」
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