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人形
「そろそろ寝るか」
「え、もうそんな時間ですか?」
「2時になるしなあ」
あれから私たちは中村さんのマンションに戻ると、彼のスーツやシャツがかけてあるフックの間間に、買って来た、壁に穴をあけないタイプで尚且つなるべく粘着力のありそうな百均のフックたちを貼りつけた。
そこに、これもまた買って来たハンガーに通した私の持って来たワンピースやドレスを一つずつ下げた。
その後は、コンビニに寄って購入して帰った酒を飲みながら、中村さんのノートパソコンで私のブログを作成していたのだ。
ちゃんと、私が彼の部屋へ訪れない日のことも考えて、スマホからもログイン出来るようにして、一通りその日に書く日記をどうやったらアップ出来るのかや、写メの載せ方なんかを教わっていた。
アイコンは、山口さんに送る為に今まで撮った写メが沢山あったので、その中から中村さんが良いと思ったものを選んで設定し、他のキャストのお姉さんがやっているブログなどを見て、参考にしながら、プロフィール欄を埋めて、ようやっと形が整って来たところだった。
お互いシャワーを浴びて、並んでシンクで歯を磨き、時々お喋りをして、酒を飲んだり煙草を吸ったりしつつ、ちょっとだけイチャついたりなんかもして、そんな風にだらだらと集中しないでやっていたものだから、かなり時間がかかってしまった。
「一応、私にしては頑張りましたよね!」
「まあ、そうだな。うたは、こういうのやったことないんだろ」
「はい、はじめてです」
「お疲れ。アップする時は一応、内容の方、大丈夫かどうか確認してやるから。アップする前に俺に一旦URL送ってこいな」
「わかりましたー!」
果たして私に上手く出来るものなのかどうかは良くわからなかったが、同じ店で働いていて、ブログをやっている他のキャストのお姉さんたちのことをフォローさせて頂いたので、毎日その記事を見て、読ませてもらって、ちゃんと研究して、自分のキャラに合うようなモノを書いてアップしようと考えていた。
少し意外だったのが、ミサやミズキさんと言ったNo上位に必ず入っているキャストのお姉さん方はブログをやっていなかった。
そのかわり、ナナさんは入店した当日に既にブログを開設しており、シャンパンなどと共に店で撮った華やかな写メこそ見かけなかったが、出勤前や退勤後の自撮りと思われる写メが必ずと言って良い程アップされていた。
内容は様々で、だいたいが自撮りの写メが主で、文章にはあまり一貫性はなく、最後には短い一文だけが続く、と言うものが多かった。
自分だって下手くそでやったことがない癖に、こんなことを言うのは良くないと思うのだが、まるで文字を上手く扱うことが苦手な人が無理をして書いた、崩れた散文と言ったような、まあ、そんな感じだった。
つまり、読んでいる人には、もしかしたら何が言いたいのか、意味がわからないのではないのだろうか、と思われるような、そんな日記だったのだ。
「アラーム適当でいいか、間に合う程度の時間」
「えっと、どうしようかな。ちゃんと夜に寝たら、自然に早めに起きれそうですけど」
「まあそうかもな。でも、うたは寝れるだけ寝ろ。明日酒いっぱい飲むんだろ」
「ですね、眠剤、今日だけ増やそうかなあ」
「一応、昼にかけとくか」
「私もそうします。12時くらいでいっかな」
二人で深緑色のクッションに並んで座ったまま、お互いそれぞれのスマホでアラームをかけていると、私のラインが鳴った。
誰だろう、と思ってライン画面を開くと、相手はミサだった。
最近はミサも連絡魔と言う程ではなくなって来ていた。
私は、そりゃあユウくんと言う大好きな彼氏と同棲をはじめて、始終側にいられるのだから、わざわざスマホなんて仕事で使うくらいになるのは当然で、それ以外で弄る頻度は減るよな、くらいに考えていた。
それでも、店で会えば一番仲の良いキャストであることは変わらず、私たちは何かあれば時々ラインのやりとりをした。
ただ、もう、私にはミサには決して言えない秘密が出来てしまったので、少し態度がぎこちなくなってしまうこともあったかもしれない。
それでも私にとってミサは、一番大好きな友人であることに変わりなかった。
私がミサからのラインを開くのと同時に、中村さんのスマホも着信を知らせる。
これは、もしかしたら。
『うたちゃん、私、明日、店休む。ごめんね、また明日もラインしてもいいかな。仕事終わった後くらいにするから、いいかな。ごめん』
あの、いつもNo上位入りをしているミサが、締め日の数日前に店を休むなんて、具合いでも悪いのだろうか、と思って、私はさっそく返信を打つ。
とても心配だと言うこと、もちろんラインは仕事が終わったらまとめて返信するから、どんなものでも、何度でも送って来ておいてくれて大丈夫だと言うこと。
それと、何かツライことでもあったの?と、もし私に言えることなのだったら、相談に乗りたい、なんて、そんな大それたことまで書き記すと、慌てて送信した。
「うた、もしかしてミサか」
「え…やっぱりですか」
「俺にも今、明日は店休みたいって連絡が来たな」
「そうなんですね。前日連絡、…に、一応なるんでしょうか?」
「まあ、そうしとくか。ただ理由が書かれてないからな」
「私、一応理由を訊ねる文にしたんですけど、返信来るかな…」
「俺も理由聞いたけど、内容次第で当日欠勤だな。まあ、罰金って言っても五千円だし」
「…もしかしたら、今のミサにとっては、五千円は大きいのかも…」
No1~No3以内をキープし続け、レギュラー出勤をしているミサだったら、月給は普通に三桁くらいいっていそうなものなのだが。
それに、うちの店は日払いで1万までなら帰りにもらえるようになっていた。
ミサは、ユウくんと付き合いだしてから、たまに日払いをもらうようになった気がする。
もしかしたら、私が気づかなかっただけで、元々たまにはもらっていたのかもしれないが。
私の方にはすぐ返事が来たが、中村さんのスマホは鳴らなかった。
そのラインを読むと、私は思わず黙り込んでしまう。
私には、その可能性だって、もちろん思いつかなかったと言うわけではなかったのに、ミサにはどうしても伝えられなかった。
それが明るみに出て、ミサはガッカリしているのだろうか、それとも、何か、彼、ユウくんと話し合いでも行ったのだろうか。
その結果、明日は店を休みたい、と言う気分になってしまう程、考え込んでしまっている、もしくは病んでしまっている、と言うことなのだろうか。
「なんとなくわかった。まあ、前日連絡で部長には報告するわ」
「ありがとうございます、私もミサの話、ちゃんと聞いてみます」
「…おまえは別に、巻き込まれなくていいんじゃないか」
「でも、私、ミサのこと大切なんです」
そう言って、黒猫柄のマグカップに口をつけ、コクコクと何度かに分けて焼酎を飲み、熱く沁みるアルコールで喉を潤す。
ああ、せっかく買い物に行ったのだから、犬のマグカップを探して買ってくれば良かった、と思いつつ、ミサに改めて落ち着くように、と、そして明日、店を上がってから会えたら会って話せないか、と言うような内容の文章を作って送っておいた。
先ほどのミサからのラインは、とても短く、そして、傷ついているのが良く伝わってくる文章だった。
『ユウくん、借金あった。しばらく、ずっと働いてなかった。私、嘘つかれてた』
好きな人から、嘘をつかれたい私と、嘘をつかれたくないミサ。
ちぐはぐな二人だけれど、話しを聞くことくらいは出来るし、ミサが泣きたい時にただ側にいることくらいは出来る。
そんな慰めなんて必要としていないかもしれないけれど、ミサが本当に絶望しているのは、ユウくんの借金でも、働いていないことを隠していたことでもないような気がした。
他にも何かあるような気がする、と思った。
「仕方ないな、あんまり不安定な時に無理して出勤しても、仕事にならないだろうしな」
「そうですね。私は年がら年中そうですけどね」
「言われてみればそうだな、よくなんとかやってるな、うたは」
「四苦八苦してますよ。これでもいっぱいいっぱいです、本当は」
「今日は、素直だな。強がるの、やめたのか」
「ふふ、彼女だからね、今日だけ」
「ああ、甘えてるのか」
ミサのことを考えると胸が痛んだが、今日私に出来ることはラインを返すことくらいしかないのだ。
ごめんね、ミサ。
今日だけ私、今日だけ、好きな人の彼女でいられる特別な日だから、明日まで待っていてね。
そう心の中で謝って、私は吸っていた自分の煙草を灰皿で揉み消し、中村さんにしがみつく。
彼が、私の頭をヨシヨシと撫でると、ノートパソコンの画面を閉じて、私と同じように吸っていた煙草を灰皿に放った。
丁度良い感じに酔っているので、顔が勝手にヘラヘラと笑ってしまう。
中村さんは帰って来てからすぐにパーカーを脱いでいたので、私はその半袖から伸びている二の腕の素肌の部分に自分の頬を寄せていた。
体を丸めるようにしてスルスルと顔を下げて行くと、肘の内側に散らばる、赤い蚯蚓腫れになっている箇所の一つに舌を伸ばして触れた。
怒られるか嫌がられるかとも思ったが、彼は特に気にした風もなく、捕まらなかった方の手で私の背中を撫でていた。
蚯蚓腫れの痕に沿って舌を這わせて、なんだ、なんの味もしないものなんだな、なんて思っていたら、その四つん這いに近い恰好のまんま両腕で抱え上げられ、布団の上に少々乱暴に落とされた。
「あだ!…私、成功した?」
「何にだよ」
「中村さんのこと、……颯さん、のこと、怒らせてみたかったの」
「ははは、残念だな。怒らないな、このくらいじゃ」
「なーんだあ」
中村さんが不敵な笑みってやつを浮かべながらTシャツを脱ぎはじめたのを見て、私も自分から着ている白いTシャツの裾に手をかけ、捲り上げる。
デニムのショートパンツを履いたままだったので、ボタンを外し、下着と一緒にまとめて引き下げると、枕元にまとめておいた。
素肌と素肌をくっつけると、どちらも酒に酔っているからか体温がとても高いように感じた。
顔を上げて、唇を受け入れて、それから薄く開くと、深く深く何度も角度を変えて合わせる。
時々、息継ぎをする為の隙間から、飲み込みきれなかった唾液と甘いため息を漏らしながら、皮膚を辿る指先や手のひらの感触に体が勝手に反応してしまうのを少し恥ずかしく思った。
背中から頭の芯までがジンジンと痺れて、腹の奥底に響く重たい快感が、私のことを人形へと戻して行ってくれる。
布団の柔らかさに背中を包まれて、私は必死で彼に応えている間、なんとなしにその両頬に手のひらをあてる。
行為の最中だけ、私は彼のことを下の名前で「颯さん」と何度か呼んだ。
だって今日だけ。
今日だけ彼女だ。
颯さん、どうかあなたが私のことを見捨てるその日が来るまで、お願いです。
時々は、こうしてちゃんと巻き直して下さいね。
私を動かすネジが、止まらないように。
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