儚いあなた

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儚いあなた

今日のナナさんのブログには、ニッコリと笑っている可愛らしい笑顔のアップと、全身の写っている写メの二枚が載っており、私服のコーディネート紹介が書かれていた。 ふんわりとしたシルエットの半袖の白いワンピース姿で、足元はレースの短い靴下と明るい茶色のクラシック調の厚底靴。 胸元と裾には赤や黄色や緑で、少しばかりエスニック風な刺繍が入っているそのワンピースは、正直言って私の本来の好みのもので、素直にいいなあ、素敵だなあ、と思えた。 例え、客の収集には向いていない内容だとしても、私は彼女のブログが好きになったので、毎日見ようと思い、見たよ、と言うお知らせをナナさんへと届けることが出来るらしいボタンをタップした。 そして、ブログの最後には、「店の勤務がツライ」と言いたいのであろうか、と思われる、その「ツライ」を、良くわからない文体でもって表現していた。 『涙が、零れないように…、信じてる…、大丈夫…、息が出来なくなって…、溺れたりしないよ…、頑張れ…!!わたし…!!』 彼女の今日のブログは、そんな、ポエムらしき短い一言で締めくくられている。 いや、マジでわかる。 すっごいわかる。 めちゃくちゃ共感。 上手い下手じゃない。 ナナさん、私、ナナさんの気持ち、すっごくわかるような、そんな気がするよ。 ヤバイ、応援しちゃう。 私は、自分だってそれどころではないと言うのに、勝手にナナさんの心境に強く共感し、心から応援したいと言う気持ちになった。 ナナさん、今日は月曜日だし、しばらくは平日でフリー客も多く来店しますよ。 頑張って自分の良いところをアピールして下さいね、上手く自分と合う客を見つけて、場内をお願いしてみて下さいね。 そして、いつか夢のシャンパンを入れてもらえるようになりましょうね。 私はナナさんのラインも知らないし、ブログのコメント欄に自分の源氏名で書き込みをするわけにもいかないので、心の中でだけそんな独り言を呟いて励まして、ヨシ!と気合いを入れる。 「私、適当に着替えますね。写メ撮って、ブログ書いてみて、予約投稿?でしたっけ?それを、専門学校が終わるっぽい時間に投稿設定、ってやつしてみます!」 「そうだな、専門学校から帰って来たところ、って言う話なんだったら、派手な服じゃない方がいいし、ヘアメもしてない方がいいだろうしな」 「大人しめのワンピースも持って来ておいて良かった!カーディガン羽織れば、なんとなく保母さんっぽいようなイメージになりそうだし」 「保母さんっぽい、って言うのが、俺にはよくわかんないけど、まあいいんじゃない」 「いっちょ頑張ります!三日ですよね、三日!私も、ナナさんに負けていられないです!」 「ナナ?」 「ナナさんは、本当にやる気があって、素敵なキャストのお姉さんだと、私は思っていますよ!」 「そうなの?」 意味がわからない、と言った様子の中村さんの額にちゅ、っとキスをして、ギュー、っと一回だけ強く抱き着いて、それから煙草を消して灰皿の凹みへと捨てると、私は勢いよく立ち上がる。 開きっぱなしにしてあるキャリーケースの中から、分厚いヌードブラを取り出すと着ていたTシャツとブラをその場で脱ぎ捨てて、背中の部分や脇の下から少ない脂肪を搔き集めてなんとか谷間を作り出す。 どちらも同じように、まず粘着面である内側を、寄せた胸に対して下から上に持ち上げるようにして貼りつけると、集めた肉が逃げないうちに中央のホックで止めてしまう。 「中村さん、見て見て、ちゃんと居乳っぽいでしょう」 「そうだな、いつも店で見てるけどな、女はすごいよほんと」 「本物だったら色々してあげられるのにね」 「いい、いい、別にそう言う趣味ないから、俺は」 「へえ。男ってみんな、ああ言うのが好きなのかと思ってた」 「好きなやつもいるだろうし、どうでもいいやつもいるだろ」 もしかして、そう言うのはもういいや、って感じだったりするのだろうか。 まあ、私だって、行為の最中に、彼氏とか好きな人に請われたりしない限りは、わざわざ面倒な一手間など加えようなどとは思わないが。 たまにはして欲しいことくらい、言ったらいいのにな、中村さん。 特に何もないのかな、本当のところは、実は面倒だったりしたりして。 それはちょっと切ないなあ。 私はまず、ハンガーにかけてあるワンピースたちの中から、ブログに載せる方、つまり専門学校生が学校に着て行っても違和感のなさそうな、無難なものを選ぶ。 上半身の部分が七分袖の白いブラウスのような作りになっていて、首回りと、真ん中のボタンの並ぶ直線を挟む両端を、上品なレースが主張し過ぎない程度に飾り立ててくれているデザインのものだ。 下はハイウェストの黒のタイトな膝丈のスカートで、実は上下繋がっているワンピースと言う、脱ぎ着に便利な優れものでもある。 下のタイトスカート部分には長めのスリットが入っているのだけれど、どうせ上半身しか写さないのだから、それはあまり関係ないな、と判断する。 手早くそれを着用すると、巻いてもいない、ハーフアップにもしていない、癖っ毛で細く傷みやすい髪の毛を手櫛で梳いて整える。 中村さんが深緑色のクッションから離れ、私のスマホを手にこちらへやって来て、「ほら」と言って渡してくれる。 私は「すみません、ありがとうございます」とお礼を言って、写メを撮影する為のアプリをタップする。 内カメにして、鏡がわりにそれを見て、髪がうねってしまっているのを見て、仕方なしに昨夜お団子頭を作ったヘアゴムで、後頭部の高めの位置でポニーテールを結った。 私が、中村さんの部屋にある、彼に関係のある何かが写ることなど決してないように、と気を付けつつ、白い壁しかない場所へと移動して自撮りを何枚か撮影しはじめる。 すると、そんな私のことを、突っ立って腕を組んで眺めていた中村さんが動いた。 何度か連写していた自撮りの中に、わざとらしく、私の肩に顎を乗せて、両腕をお腹に回して抱きしめて来る。 少しだけ、微笑んだような表情で、その視線は画面の方ではなくて、私の方を向いていた。 「あ、こら、中村さん!なんですか!?」 「頑張ってて偉いな、って思ったから、サービスしてみた」 「じゃあ、どうして邪魔するんです?」 「邪魔とか言うなよなあ、うたはイイコだな、って思っただけだよ」 そんな風に言われたので、私は嬉しくて笑ってしまう。 それどころか、拗ねたような声音に我慢が出来なくなり、思わず吹き出すと、中村さんは私から体を離して、いつもと同じように頭をポンポンと優しく叩いてくれた。 彼はテーブルの上から、灰皿と煙草とライターを取ってそれぞれ手に持つと、バルコニーに出て行って、窓を閉めてしまう。 なんだったのだろう。 でもラッキー。 中村さんとのツーショットを手に入れてしまった。 いやでもこう言うのって、捨てられた後で残っていたら、奈落の底をぶち破ってさらに地球の核まで落ちてしまうのではないだろうか。 まあ、消さないけど。 今は。 よし、ブログだ、ブログ。 まずは沢山撮った自撮りの中から、良さ気なもの幾つかに見当をつけて、文章は軽い感じで明るく元気に、一生懸命な女のコ、と言ったイメージを持ってもらえるように工夫しよう。 汗をかいてしまったらワンピースを洗濯しなくてはならなくなるので、すぐにボタンを外して裸になると、再びTシャツを拾い上げて被る。 ワンピースはハンガーに通し、改めて壁にかけ直しておく。 ブラは洗濯物だから、後で洗濯物がたまった時に一緒に洗濯すれば良いだろう、とキャリーケースの中に入れておいた。 私はその場にしゃがむと、スマホの写真フォルダを開き、自撮りの写真の内から良いものを一つだけ見繕う前に、中村さんも一緒に写っているものを探してしまう。 ああ、あった、これと、これと、これ、それからこれも。 連写していたから、結構いっぱいある。 黒髪を後ろで短い尻尾にしていて、まだ剃ってないから髭もちょっと生えているけれど、そんなところがいいな、と思った。 私のことを見つめているその目に、何を想っているのかは全くわからないけれど、しばらくこれは私の宝物だ。 私は写真フォルダを一つ増やすと、タイトルは無題にして、そこに数枚の二人で写った写メを移動させる。 撮影した写真一覧を出した際に誰かに気づかれないように、念の為もう一枚適当に壁の写真を撮影して、そのフォルダに移動させた。 無題、のフォルダは、これで真っ白な壁がトップに映し出される。 私はブログに貼る自撮りを決めると、アプリを開いて自分用の日記を書くページへと行けるマークをタップする。 昨夜、何もわからない私の為に、中村さんがIDとパスワードを決め、メモを書いて私にくれた上に、私のスマホからも毎回自動ログインとやらが出来るように設定してくれた。 へえ、ここに書くのかあ。 ちゃんと、真っ白なノートのような画面が現れたので、私は文字を打ち込み、教えてもらった通りのやり方で自撮りを一枚貼って、出来上がった「嘘の日記」を、一度「下書き」と言うボタンを押して保存しておく。 それから立ち上がってバルコニーの方へ行き、中村さんの背中を短い間ぼんやりと眺めた。 背が高いなあ、細いなあ、何考えてるんだろうなあ、私どうなっちゃうのかなあ、なんて考えていた。 でも、まあ、なるようにしかならないよなあ、と、付け足すと、無理に笑顔を作る。 窓を開けると、煙草を吸っている中村さんの横に立ってその顔を見上げる。 彼は私の方を向いて、自分の煙草を一本私にくれたので、つけてくれたライターに顔を寄せて火を灯す。 「ブログ、出来ました!大丈夫かどうか見て下さいね」 「早いな、もっと時間かかるかと思ったんだけどな」 「ああ、真面目だから?」 「そうだな、もっと考え過ぎて、長い文章書いて、消して、直して、なんて繰り返して、時間かかると思ってた」 「私、もうすぐ歯を磨いて、着替えますね。中村さんも髭剃った方がいいですよ」 「男は準備楽だからな、まだ平気だな」 「いいなあ、私、次に生まれ変わるなら絶対男がいいです」 「ここ、三階だからな」 「もー、だから落ちませんってば」 私たちは今吸っている煙草が燃え尽きると、灰皿へと捨てて、バルコニーを背に部屋へと入る。 中村さんは背が高すぎるから、バルコニーに一人で立っていると、なんだかあなたの方こそ落っこちてしまいそうに見えて少し怖かったです。 いなくならないで下さいね。 うっかりでも、自分からでも、通り魔でも、事故でも病気でも、何からでも、もうちょっとくらい生きようよ。 私にこんなこと思われたら、終わりですよ、中村さん。
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