ヘアアレンジ

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ヘアアレンジ

私の書いたブログの内容は、中村さん的には100点満点だと言われた。 絵文字をゴテゴテと使い過ぎてもおらず、文章も長すぎず、重要な点だけをなるべく可愛らしい言葉で覆い隠して、下品でもなく媚びているようにも受け取られないように、上手く「店に来店してくれたら嬉しいです」と言う、まずはそれだけがしっかりと伝わるような文章になっている、とのことだった。 自己紹介はプロフィール欄にもう既に軽く書いてあることだし、店のサイトのURLだって貼ってある。 だからわざわざ、今日からブログをはじめましただとか、自分はこう言うもので、こういった理由で店で働いていますだとか、そんな話は一切書かなかった。 だってそれらは聞かれた時に話せば良いだけの、いらない情報でしかない。 自分に興味を持ってもらう為の「今、学校から帰って来ました!」「お仕事の方も、学生の方もお疲れ様です!」も、「これから店の準備をしまーす!」も、「行って来ます☆」も、少しだけ散りばめただけの手がかりでしかない。 自撮りを見てくれて少しでも気になったと言う人や、少しばかりの短い文章の中で、何か気になったことが出来たと言う人は、実際に店に訪れて話したり聞いたりしてくれたらそれで良いのだから。 「そろそろ行くぞー、うたー!ヘアメの店、どこだ?」 「あーえっと、店の近くだったんで大丈夫です!後ちょっとだけ待って下さーい!」 「なんだ、さっきので決めたんじゃないのかー?」 「えーっと、変くないですかー?バック、本当に、この色で合ってますー?」 「俺は変だとは思わないけどな」 私が同伴用に選んだワンピースを着て、それに合うバックを選んで、昨日まで使っていたピンクのバックから、赤一色の、一応ブランド物ではある、デザインはいたってシンプルなハンドバックへと中身を全て入れ替えた。 そこで、さあ部屋を出よう、と既に身支度を整えていた中村さんは玄関の方へと歩いて行ったわけだ。 そして、彼が玄関で革靴を履いて、ドアを開け、ついて来なかった私に気づき、大きな声で呼びかけている。 今はまさに、その最中だった。 とりあえず着用しているワンピースは、山口さんと買い物に行って、彼が私へのプレゼントとして購入したものなので、喜ばないと言うことはないと思う。 ただ、持って来たバックたちの中のどのバックだったら、このワンピースに合わせてもおかしくないのかが私にはわからなかった。 コーディネートとか、キャバ嬢っぽい服装だとか、高級な店に似合う服だとか、そう言ったものに私はとことん疎いのだ。 しかしもういい、中村さんだって待っているし、これに決めた! 「すみません!もうこれで行きます!お待たせしました!」 「いいよいいよ、女も大変だよな。うた、一応22時より遅れそうだったら、どんなに酔ってても連絡は忘れるなよ」 「はい!…でも、山口さんてお忙しそうな仕事してるのに、なんでこんなに早く同伴出来るんですかね?」 「大手なんじゃないの。大手の証券会社だと、ブラック企業って評判ついたらまずいんだろ」 「へえー!!そう言うもんですか」 「早帰りデーとか、決まってるとこもあるらしいしなあ」 「そう言えば、まだ指名頂いてそんなに長くないですけど、同伴する曜日って月曜が多い気がしますね」 そんな話をしながら、私は真っ赤なハイヒールを靴箱から出すと、つま先を通す。 店で着るドレスやハイヒールに、黒は選んではいけないことになっていた。 なので、店に着いたら今日のワンピースではフロアには出られないので、ロッカールームに置いてあるロングドレスへと着替えなければならない。 山口さんが私に似合うと、これを着て欲しいと言って購入してくれたワンピースの色は、黒だったからだ。 真っ黒で、少々肌の露出の多目なワンピースに、真っ赤なハンドバックと真っ赤なハイヒールと言うのは、私服としては結構恥ずかしい。 派手過ぎるのではないだろうか、私なんかには合っていないのではないだろうか、と悩みつつも外廊下へと出て、ドアが閉まるのを見届けて、中村さんが言う。 「うた、鍵閉めていいけど」 「へへへー、そうですか?ありがとう、気分あがるなあ!」 「おまえ、変わってんな、ほんと。面白いわ」 「いいんです、なんでも。嬉しいから私、今日も頑張りますよ!」 ピンクの亀のキーホルダーをバックの中から取り出すと、中村さんの部屋の鍵を選んでドアの鍵を閉めさせてもらう。 私はこれだけでも十分幸せになれる。 今日も頑張れる。 私は沢山の幸せを中村さんから貰っているけれど、今までに彼のことを少しでも幸せに出来た瞬間なんてあっただろうか。 わからないな、と思って、ちょっとだけ哀しくなる。 そうして二人でマンションを出て、タクシーを拾える場所まで手を繋いで歩き、歓楽街の入り口のある通りの側ではなく、そこを過ぎ、普通のビルや、夜の店ではないショップなどが立ち並びはじめる辺りまで行ってもらう。 つまり、店からさらに遠いところに停めてもらったのだ。 中村さんが運転手に乗車料金を支払う為に、私と繋いでいた手を離す。 そして、タクシーの扉が開くと、最初に中村さんが降りる。 まだ車内に残っていた私に、声はかけず、笑顔で手だけを振ってくれて、そのまま先に歩いて行ってしまう。 私もタクシーを降ると、まだ彼の背中はすぐそこに見えたけれど、追いかけてはいけないことはちゃんとわかっていたので、わざと雑踏の中に紛れ込んで少しばかり立ち止まる。 行き交う人々にとっては邪魔になったろうが、ほんの数秒だ。 彼は歩く時、だいたいは私の歩く歩幅へと合わせてくれることはなかった。 はじめて彼の部屋に向かった、あの店上がりの朝以外は、小さな私の為にわざわざゆっくりと歩いてくれることはなかった。 どちらかと言ったら、自分に合わせようとした。 手を繋いでまで。 さあ、ここからは別々だ。 中村さんはマネージャーになって、私はキャストになる。 寂しくなんてない。 スマホで、改めて美容院の位置と、今の時間を確認する。 15時40分。 多分間に合うだろうと思い、私も足を前へ前へと進めはじめる。 周囲の人々と同じように、進まなければ。 「前へ」、と心の中で呟いて、真っ赤なハイヒールで一歩コンクリートを叩いた。 まずは美容院へ向かわなければならないので、一旦はタクシーで通った歓楽街の入り口のある方へと戻らなければならない。 今日の私の服装は、どう見たって一発でキャバ嬢だとわかるような、そんな見た目をしていたので、ヘアメをきちんとやっていないことが心細く感じた。 急ごう、そして出来るだけ「完璧」に近づけるよう、仕上げてもらわなくては、私のことを。 そうすればこの恥ずかしいような、逃げてしまいたいような気持ちは消えてくれるはずだ。 歩みを速めて人混みをひたすら進み、時々地図を見て、店の場所を把握して、そうして私は何も考えないようにして急いで目的としていた美容院へと辿り着く。 ありがたいことに、山口さんとの待ち合わせ場所である西武新宿線の駅に、近い位置にあった。 ここで合っている、と思う。 サイトで見た写真と同じ店構えだし、間違いないだろうと思い、私はその、ビルの一階に入っている小さめな美容院への入り口の扉を開けた。 「いらっしゃいませー!」 「あ!すみません、16時に予約したんですけれど、少し遅れてしまって…」 「ぜーんぜん!大丈夫ですよ!」 店内はそんなに混んではいなかったし、奥行きがあって思っていたよりも広い空間になっていた。 ごちゃごちゃしていないシンプルな内装で、数名の美容師が客と会話をしながら、もしくは黙々と、それぞれ髪をセットしたり、カットしたり、各々の仕事をこなしていた。 予約した時にサイトに打ち込んだ名前を告げると、一つの席に案内され、どのようなヘアメイクが良いのかと訊ねられた。 しまった、考えてなかった、なんと言ったら良いのだろう。 キャバ嬢っぽい髪型にして下さい、なんて、言いづらいことこの上ないのだが。 「すみません、ちょっと、画像を検索してもいいですか?」 「はい!もちろんです。では、少々お待ち下さいね!」 席へと案内してくれた男性の美容師が下がると、画像検索している間に若い女性の美容師がやって来た。 彼女は、黒髪のボブカットの似合う、エキゾチックな顔立ちをした、体のラインが出るタイプのシンプルな服装をしている、少し近づきがたい雰囲気の美容師だった。 ただでさえ、美容院でヘアメイクだけを頼んだことがなく、少し緊張していた私は最初だけ、思わず臆した。 しかし、そんな彼女は見た見た目とは裏腹に、満面の笑みを浮かべて話しかけて来てくれた。 「お時間はどのくらいおありでしょうか?」 「えっと、ちょっと、後少ししかないんです、ごめんなさい。…出来れば、なんですけど、これっぽく、お願いしてもいいですか?」 「はい!いいですねえ!きっと、お客様に、とてもお似合いになりますよ!」 「あ、はい…!ありがとうございます!よろしくお願いします!」 スマホの画面を彼女に見せると、褒めてくれて、それからすぐに私の髪に触れはじめる。 どうやら彼女が私のヘアメイク、ヘアアレンジ?と言うのだろうか、まあどちらでも良いが、とにかくすぐに取り掛かってくれるようだったので、そんなに難しいアレンジではないのかもしれない、と思い、ホッと一安心する。 私は、先ほど検索欄に『キャバ嬢 ヘアメイク 流行り』と打ち込んで検索をかけたのだ。 そして、検索画像一覧にうつし出された沢山のキャバ嬢のお姉さんたちの髪型たちの中から、直感で、これやってみたい!と思った、そんな一枚をタップして、この美容師の女性に見せた。 大人っぽくて、ちょっぴりセクシーにも見えて、でも、古臭かったり派手過ぎたりだとか、そんな印象も受けない。 普段の私とは一味違う、と思えるようなヘアアレンジだと言う気がしたのだ。 私は、変わってみたかった、もっともっと変わってみたかった。 出来れば大人っぽくて、色っぽくて、マネージャーが驚いてくれるような、そんな姿になってみたかった。 今日、私が着ている山口さんから買ってもらったワンピースは、私がたった一つだけ条件を出した「長袖」のワンピースだ。 色こそ黒で地味に感じるかもしれないが、オフショルダーで肩や鎖骨が露出されている、ペプラムタイトのミニワンピだ。 そして、長袖の部分は全てレースで作られており、夏に着用していてもおかしくはない程度には肌色が透けている。 上半身のウェスト周り部分がペプラムになっているので、くびれもより細く見え、本来は小さな私のヒップを大きめに見せてくれる。 これで色が黒じゃなければ、店でも着れたのだろうが、黒以外は赤しかなかったのだ。 真っ赤なタイトミニのワンピースで街中を歩く勇気は、私にはなかった。 きっとこの髪型なら、このヘアメイク、このヘアアレンジならば、山口さんの好みなのではないだろうかとも思った。 何よりも、指名客と同伴することや、店のフロアを背筋を正して歩くことが楽しくなるのではないだろうか、と思った。 自分に、少しだけでも自信が持てるのではないだろうか、と、そう思わせてくれるような髪型であるような気がした。 大人っぽく、見えるような、そんな気がした。 こんなちんちくりんな私でも。 19歳の無知な小娘でも。 何よりも、マネージャーが大人っぽく見えると言って、ちょっとくらいは褒めてくれたりしないだろうか。 なんて、そんなことを期待して笑みが零れそうになるのを耐えた。 バカみたいでしょう。 でも、楽しい。 幸せな、くっだらない理由。 思っていたよりずっと短い時間だった。 どのくらいだっただろう、スマホを握り、ラインで客たちに営業をかけつつ、ミサから連絡はないか気にしたりしていたら、あっという間だった。 私の髪に色々と手を加えてくれていた美容師の女性から、明るい声で「出来ましたよ!」と声をかけられる。 私は、パッと顔を上げ、目の前の鏡に映る自分の姿を見ると、わあ、っと、思わず感嘆のため息をついた。 きっと、大丈夫! 今日の私も、ちゃんとなんとか、最後まで頑張れる。
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