素敵な女性

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素敵な女性

私は、その美容院でヘアアレンジの代金を支払うと、急いで西武新宿駅へと向かった。 仕上がった髪型を見て頬を染め、喜ぶ私を見て、ヘアアレンジを手掛けてくれた女性の美容師は「お客様はヘアメイクを注文していらっしゃいましたけれど、ヘアアレンジだけでよろしいんですか?よろしかったら、メイクもしてみませんか?如何でしょう?」と、私に笑顔で嬉しい提案をしてくれた。 どうやら、髪だけをセットするのはヘアアレンジで、ヘアメイクは、化粧のことも含むらしい、と言うことを、私はここで知る。 私は悩むことなく、彼女の言葉に頷いた。 そして、今まで一度も自分の唇に塗ったことのなかった、ハイヒールとバックに合わせたような、赤い色の口紅を塗ってもらった。 はじめて試した、一目で気に入ったヘアアレンジを加えてもらった髪を揺らして、真っ赤な10センチのカカトのハイヒールを履いて。 黒のキャバドレスのような、腕をレース袖で覆われたオフショルのペプラムタイトのミニワンピを身に纏う。 そんな私は、やっとでこの土地、この景色に馴染めたような気分で、堂々と、それでも風を切るようにして歩いて行く。 私はとても単純なので、これで自分もこの夜の街に似合う、多少は見映えする格好になれたのかもしれないと思い、それだけで自信を持って山口さんに会うことが出来るような気がした。 どんな店に連れて行かれても、平気なような気がしていた。 駅に着いたのは、丁度17時になる少し前、と言ったところだった。 私はさっそく到着したことを知らせるラインを山口さんに送る。 先ほど美容院で、『もしかしたら、少しだけ遅れてしまうかもしれません、すみません』とだけはラインで伝えたが、なんとかそのような事態は免れた。 すると、すぐに山口さんから、ラインではなくて直接電話がかかって来る。 「お疲れ様です!山口さん。今、駅につきました。どの辺りにいらっしゃいますか?」 『うたこさんも、お疲れ様。君、ブログはじめたでしょう。僕、見つけましたよ』 「あ!そうなんですか?…ちょっと、照れてしまいますね。私は今、駅の、西武新宿線の改札を出た出入口の、すぐのところにいるんですけど」『じゃあ、僕がそこまで行くので、待っていて下さいね』 「わかりました!すみません、お手数おかけします」 しばらく壁に寄りかかって山口さんがやって来るのを待っていると、彼はすぐに私のことを見つけてくれたらしい。 軽く手を振って、「うたこさーん」と私の名を呼んで、こちらへと向かって歩いて来る。 私の方も控えめに手をあげると、山口さんと合流する為に背筋を正して微笑みを浮かべ、ヒールのカカトを鳴らした。 「やあ、こんばんは、には早いかな。まだ明るいからね。うたこさん、やはり、この服を君に贈って良かったよ!」 「えへへ、ありがとうございます。少しは私、大人っぽく見えます?」 「そうだね、とても似合ってる。髪型も、いつもとは全然違うね。すごくいいよ。驚いたよ、本当に艶やかな、いい女性が僕を待っていたんだからね」 良かった! かなりウケが良いようだ。 とりあえず、山口さんの感性と好みでのジャッジによれば、このヘアアレンジは無事に合格、花丸と言うことだ。 私が美容院で頼んだヘアアレンジは、右側に髪をまとめた「サイドアップ」と言うアレンジだ。 左側には毛束がないので、首筋や鎖骨周りが際立って肌が多く見えるようなヘアアレンジだった。 トップから編み込みをして耳の横までまとめてもらい、その編み込みもしっかりめに崩してあるので、こなれ感が出る、と、そう美容師の女性が説明してくれた。 前髪も少しだけ右側へと多めに流してもらい、化粧も赤い口紅を引いてもらったし、チークの位置と眉も直してもらった。 今までの私の場合、自分で出来るただの巻きおろしか、店でヘアメのお姉さんに頼むハーフアップしかやったことがなかった。 自分では濃いと思っていたが、どうやら薄化粧らしい私が、今日は違ったヘアアレンジをしていて、メイクもプロ仕様だ。 もしかして似合っていないのではないだろうか、と心のどこかでちょっぴり引っかかっていた考えを、山口さんの満足そうな顔が掻き消してくれた。 彼は正直者だったし、余計なおべっかや、嘘などはつかない客だと私は感じていた。 「嬉しいです!山口さんのお陰です。せっかく山口さんから頂いた素敵な服ですから、着こなせるような女性になりたいなって思って…」 「嬉しいな。僕の為に変わろうとしてくれたんだね」 喋りながら二人で歩き出す。 私は目的地が何処にあるのかわからなかったので、山口さんのエスコートに身を任せようと思っていたが、彼はすぐ目の前に停車しているタクシーへと乗るよう促して来た。 どうやら、西武新宿駅から歩いて向かうにしては、多少時間のかかる場所のようだった。 タクシーに二人で乗り込むと、彼が運転手に告げる行先を聞いていた。 私でもなんとなく想像のつくような内装をしているであろう、そんなホテルの名称を告げていると言うことはわかった。 多分、高層ホテルだろう。 そう考えると、私が良く行くような居酒屋やバーではなく、そこそこ高級な店に行くことに変わりはなさそうだと思った。 山口さんは、確か40歳を超えていると聞いていたが、顔がまるくていつもテカっている。 どうやら汗っかきなようで、ハンカチを必ず常備しており、良く額やこめかみの部分を拭っていた。 ふくよかな体型と丸い頬に、太く濃い眉毛とだんごっ鼻が愛嬌を感じさせる目鼻立ちをしている。 微笑みを絶やさない、ほんのり桃色をした分厚めの唇と、シンプルな四角い眼鏡の内側には、一重だけれど大きな瞳。 かなり若く見える容貌をしていて、30代くらいに見えるし、背だって低いと言うわけではなく、170ちょっとくらいはあるだろうと思う。 しかも、大手の証券会社に勤めているらしいのだし、お給料だって良いだろう。 確か、個人で株もやっていると聞いたことがあった。 穏やかで優しそうなそんな雰囲気を崩さない人だったし、短髪で清潔な髪型をしており、スーツ姿だって似合っている。 好漢であると言えるであろうその人は、多分、一部の女性からはさぞモテるに違いない、と思える。 一体何故、私なんかのどこを気に入ってくれて、キャバクラにわざわざ会いにやって来るのだろうか。 そんなことを訊ねるのは野暮と言うものだ。 そうわかっていたので、こちらから問うたことはなかったが、山口さんは自分から理由を私に話してくれたことがあった。 それは、私にとっては少なからず衝撃的な内容だった。 彼は、勘違いか、思い違いをしているのではないだろうか、と思ってしまったほどだ。 だって、山口さんが以前見せてくれた元奥さんだと言う女性の写った写メの中に居たのは、バリバリのキャリアウーマンと言った出で立ちの、ストレートの黒髪を一つに束ねた美女だ。 しかも、強気な性格を彷彿とさせるキリっとした瞳が目を引く、そんな、整った顔立をした正統派美人だったのだから。 あれは、中身が伴っているからこそ、そのような印象を抱かせることが出来る、と言う、そんなタイプの女性なのではないだろうか、と私には思えた。 なのに、彼が私に教えた、何故キャバクラに訪れるのかと言う疑問への回答は「自分は面食いで、派手めでセクシーな、細いのに胸が大きな女性が好みだから」と言う、本気なのか冗談なのか良くわからないものだった。 そんな女性を探していて、そんな女性と付き合いたくて、そんな女性はキャバクラにだったらいるのではないだろうかと思い、元奥さんと離婚してからそういった類の店に通うようになったのだと言うのだ。 私なんか、その条件に全く当て嵌まらないのでは? そう思ったし、今でも思っているので、だから何故私を指名して来店してくれているのかはさっぱりわからない。 やはり、ちょっとどこかがおかしい、私のような人間が珍しくて指名してくれているだけなのではないだろうか、などと思う。 何より彼は、好みである女性の「見た目」の話しか私には話していないのだから、中身の問題かもしれない。 でも、どちらにしろ期待外れも良いところだと思うのだが。 「山口さん、今日はどんなところへ連れて行って下さるんですか?楽しみですけど、私みたいな小娘が行っても、大丈夫そうなところなんですか?」 「僕は、うたこさんのことを小娘だなんて思っていないよ。今日は、そんなに緊張しなくてもいいよ」 「本当ですか?いつも、ビックリさせられてばかりですよ、私」 「僕は、うたこさんに色々な経験をしてもらって、素敵な女性になって欲しいからね」 「そう、なんですか?でも、私には勿体ないようなお店やお洋服ばかりで、申し訳なくなっちゃう」 「そんなことないよ。今日だって、その服に見合うようにと考えて、髪型や化粧を選んでくれたんだろうからね」 お喋りをしていたら、タクシーは新宿駅を通り過ぎてしまう。 新宿駅の付近にある高層ビルの中のどれか、のホテルに入っている、それなりのレストランだかバーだか寿司屋だかに私のことを連れて入る予定のようだ。 タクシーが幾つかの角を曲がったり、真っ直ぐ進んだりしているこの辺りは、本当に上を見ても空一面、とは行かない程ビルが沢山立ち並んでいた。 「運転手さん、ここで大丈夫ですよ」 「あ、ここ、なんですか?」 山口さんがタクシーの運転手に向かって一言告げると、運転手は返事をしてから、停めやすい場所まで少し進み、そして停車する。 彼が会計を済ませている間、私は窓から見える範囲だけでも、と、周囲をキョロキョロと視線だけで探索した。 沢山の高層ビルが立ち並ぶ街中、秋が近いとは言え、まだ日は長い方で外は明るい。 私は山口さんに肩を叩かれると、ハッと気がついて、彼の後に続いてタクシーを降りた。 「もう少し暗くなってからの方が、夜景が綺麗かもしれないけど、ここは料理も美味しいからね」 「はい!えっと、レストラン、ですか?それともバーとか?」 「今日はレストランバーだよ。うたこさんは、そんなに量は食べられないかと思って、コースは頼まなかったから。自由にしてね」 「あ、ありがとうございます。なんだか、ワクワクしちゃいますね」 ハラハラしちゃいますね、の間違いなのだが、それは心の中に留めておく。 高層ホテルに入っている、夜景の見えるレストランバーで、食事をとりながら酒を飲むと言うことだ。 誕生日でもなんでもないのに、私にそんな経験をさせてくれる山口さんの意図は全く理解出来ないが、頑張って楽しませて、店でオーラスを目指したい。 ただ、山口さんは忙しそうな職種に就いているし、ラストまで居てくれるかは微妙なところでもある。 念のために、他の指名客にも営業はかけておいたが、なんせ今日は月曜日だ。 かなり念入りに、一生懸命ラインでお願いをしたり、来店してもらえるよう仕向けたつもりだが、選んだ客は、あまり私に強い酒を飲ませたりしない、そう言った人物たちばかりだ。 二人で並んで少し歩き、山口さんが「ここだよ」と言った、一つの高層ホテルへと入る。 私たちが開けた自動ドアが閉まり、彼の後を追ってエスカレーターに乗ると、上の階へと共に向かう。 どうやら、この高層ホテル自体のフロントは上の階にあるようで、下はコンビニやショップ、カフェなんかが入っているようだった。 一階、二階、三階、そして、そこに広がっていたのは、落ち着いた内装の広くて静かな空間で、ロビーとフロントが遠く離れたところに見えた。 「次は、エレベーターで行くからね。今日のうたこさんと一緒に歩けるのが、僕はなんだか楽しいなあ」 「え、そうですか?いつもと、やっぱり、違うから?」 「そうだね、自慢の彼女を連れて歩いているような気分だよ」 「…そんな、照れちゃいます。褒めたって、何も出ませんよ」 「ははは、いいんだ、僕はうたこさんの素敵になって行く瞬間が見られたら、それでいいんだからね」 エレベーターに乗りかえると、山口さんは最上階のボタンを押した。 最上階、か。 高層ホテルの最上階にあるレストランバーと言うことなのだろうから、それなりにオシャレで、そう言う場に来慣れているような人々が主に訪れる店なのであろう。 それなりの身なりやマナーを心得ていて、そう言った店を好み、食事や酒を楽しむ為にやってくる、そんな人々。 そこに、こんな私を放り込むんですか、山口さん。 私は、どれだけ取り繕ったところで、ただのメンヘラの19歳の物知らずな小娘でしかないのだから、場違いも良いところだ。 そうとしか思えないし、私は本来、大衆向けの居酒屋や、入りやすくて、気安いような、面白可笑しいバーや飲み屋が好きな人間なのだ。 「あの、山口さん、今日の私の姿って、本当に大丈夫そう?」 「ここはドレスコードがないから、そんなに気にしなくてもいいよ。うたこさんは、いつも素敵だからね」 「…そうですか、…ありがとう、ございます」 私がもじもじとしている間に、エレベーターは最上階へと着き、重たそうな扉が左右に分かれて開いて行く。 思わず、声が出てしまいそうになった。 見たこともない光景に、私はなんとか出かかったその音を飲み込む。 だって、入り口から見渡せるそのレストランバーの内装が、とても素晴らしいものだったからだ。 どう書いたら良いのかわからないのだが、とにかく私は圧倒された。 まず、両側の通路を沢山のワインがビッシリと天井まで並んでいた。 そこを、私はオドオドとしながらも、山口さんと一緒にゆっくりと進んで行く。 多分全てワインセラーになっているのだろう、とは思うのだが、実際はどうなのか私にはわからない。 山口さんと私の来店に気づいた店員が、彼に何か挨拶をして、それから私は彼らに連れられ、あまりにも広い店内に足を踏み入れた。 計算しつくされたように、あらゆる箇所にバランス良く配置されている、テーブル席や、ボックス席、中央に作られた美しいカウンター席などを通りすぎ、一番奥まで進む。 その間、私たちは始終、予約されている席まで丁寧に案内をされた。 丁度窓際に見えて来た、ああ、あの席だろうか、と私はなんとなく思う。 カップルシートと言うやつだと思うのだが、寄せられた二席ずつで区切られており、目の前が一面ガラス張りになっていた。 座る前から既に外を一望でき、まだ昼の余韻を多く残す空と、下の方に見えるビルの屋上たちが私を出迎える。 店員が、座りやすいようにと椅子を引いてくれたので、ああ、やっぱりここか、と思い、驚きと不安な気持ちを抱えたままの私は、戸惑いながらその席へと腰掛けた。 隣に座った山口さんは、そんな私の気持ちに気づいているのかいないのか、呑気にカバンから自分のカメラを出し、少し広めのカウンターと言った程度のテーブルの上へと置いた。 あの、山口さん。 私、こんな店で醜態を晒すのだけは、本当に避けたいんですけど。 本当に今日も、また、相変わらず、私を泥酔させるつもりでいるんでしょうか。 私には、多分、素敵な女性の素質なんて皆無です。
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