ミズキさんと私

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ミズキさんと私

ミズキさんは、毎月だいたいNo1~No3に入っていることの多い、気高そうな、プライドの高そうな、賢くて、客からの難しい話題すらもすぐに理解し、上手く対応することの出来る機転の利くキャストのお姉さんだ。 そして、私が見ていた限りの印象だが、「自分が気に入らなかった客」には絶対に名刺を渡さず、媚びることもなく場内を取ろうともしない。 そのような卓には長居することを態度で拒み、けれど自分が認めた客相手だけは必ずと言って良いほど場内を取り、指名として返すことが出来る。 今やフリー客につくことなど滅多になく、だいたいは毎日同伴して来店し、ラストまで指名客と共に過ごしている、そんなイメージがある。 もちろん待機席にいることは少ないので、他のキャストのお姉さんや私と会話することも少ない。 担当も店長だったし、店では部長や店長と会話しているところは見かけたことがあるが、マネージャーやボーイと仕事とは関係のない話で盛り上がったり楽しく話たりしている姿を見たことはあまりなかった。 多分、ミズキさんの客のヘルプに私が選ばれることがあまりなかった、と言うのは、ミズキさんの持っている指名客には、私のヘルプとしての接し方は合わないと判断されていた為だろう。 リョウさんや、マナミさん、他にもどちらかと言ったら清楚で大人しく、騒ぎ立てない、良い意味で個性的すぎない、聞き上手で大人なキャストのお姉さんがヘルプにつくことが多かった。 ミズキさん自身は、絶世の美女だとか、スタイル抜群なセクシーな女性と言うわけではなかったが、頭が良くて気位が高そうな、自分の持つ知識や価値観に自信を持っている、しっかりとした人間なのだと思っていた。 明るい茶髪のセミロングの髪を下の方だけ巻きおろしにしていて、左目の目元には泣き黒子があった。 狭い二重幅の、大きくはないけれど色気を感じさせる瞳に、ちゃんと合っている控えめなアイメイクを施していて、薄い桜色に近い口紅が目を引く。 少し古風で奥ゆかしい美人で、その顔立ちと化粧に、気の強そうな性格と立ち振る舞い、そしてハッキリとした自我を併せ持つところがアンバランスな魅力を放つ、そんなキャストのお姉さんだ。 この時の私はまだ、多分一度もミズキさんと会話をしたことがなかったし、同じ卓にもろくについたことはなかったので、実際にはどのようなキャストのお姉さんなのかは、想像することしか出来なかった。 「あ、…ナナさん、みず、ありがと…」 「いえ!私、そろそろ店を出ますけど、うたこさんはどうするんですか?」 「…ちょっとだけ、休んでから、でるので…、ナナさん、あしたも出勤ですか?」 「はい、明日もいます。えーっと、あのお…良かったら、普段から、ラインとかしても、いいですか…?」 「いいですよ、もちろん、嬉しいです」 ナナさんがミネラルウォーターを、2ℓのペットボトルごと持って来て、グラスと一緒に私の前に置いてくれる。 私は何故か、思考はミズキさんの方へと飛んでいたので、なんとか現実の方へ、たった今現在の方へと戻し直す。 ナナさんの持って来てくれた、大きなペットボトルの蓋をあけるとグラスに水を注いで、ゴクゴクと飲み干した。 少しぬるいけれど、それでもナナさんの気持ちがありがたくて、すぐに二杯目をグラスに注ぐ。 「ありがとうございます!!私、すぐにブログ更新しますね!今日はありがとうございました!また、明日、よろしくお願いします!」 「うん、ナナさん。明日も、がんばろ、ね、ばいばい…」 ナナさんは私に笑顔で手を振ると、フワフワの白い半袖のワンピースをひるがえして背中を見せ、そのままフロアを抜けて、待機席の前を通り過ぎ、出口の通路のある方へ向かって消えて行く。 そうだ、私もブログを更新しなくては、カナちゃんとアオイくんのいる居酒屋についたら、やろうかな。 ミサからの連絡はどうだろうか、と思って、力の入らない手で、テーブルの上に置かれたスマホを持つと、ライン画面を開く。 しかし、客や友人たちからのラインは届いていたが、ミサのアイコンは上へ上がって来てはいない。 「うたこ、大丈夫か。とりあえずもっと水飲んどけ。どうする、ボトル。ナナは持って帰ったけど。うたこは持って帰るか?」 「…もってかえって、どうするんですか?これって」 「飾るんじゃないの。うたこも、どっか飾るか?」 「……いいの?」 「コレなんて、おまえ、見た目好きそうだし」 「…はい、すきです。じゃあ、エンジェルだけ、もってかえります」 言葉には出さないけれど、マネージャーの部屋に飾っても良い、と言う意味で合っているだろうか。 他の人が聞いたら、そんなことわからないような、そんな会話だけれど。 持って帰って、俺の部屋のどっかに飾ってもいいよって、そう言うことでいいのかな。 だったら、持って帰りますよ、だって凄く可愛いし、好きな見た目なんです。 何より、私のものが好きな人の部屋に増えると言うのは、嬉しくて幸せなことです。 「適当な袋に入れといてやるから、水飲んで、マシになったら着替えろな」 「…はい、ありがと、ございます。…きょう、飲んだなあ…」 「頑張った、頑張った。明日も、頑張れるか」 「…はい、…がんばるよ、ずっと」 操り糸が切れるまでは、頑張ります、私。 マネージャーは満足そうな顔をすると、エンジェルのボトルだけを持ってこの場を去って行く。 私は再びグラスに水を注いで、また一気飲みする、を何度かやってから体をソファから起こす。 やっぱりまだ、頭は内側からトンカチで叩かれているようにズキズキと痛みを訴えて来るし、体に力だって入らなかったけれど、それでも着替えて帰らなくてはならない。 ミサと連絡が取れないことが不安だったし、ブログだって更新しなければならない。 立ち上がってソファのシートの上の部分に手のひらをついて、そこを伝って歩く。 フロアの中央に出て、まだ枯れることなく咲き誇っている真っ赤な薔薇の花束が飾ってある台に手をついて、何もつかまるものがないところを歩かなければロッカールームまで辿りつけない位置まで出ると、ハイヒールを脱いで手に持って裸足でペタペタと足音を立てた。 そうだ、木村さんにも、百合の花束のお礼のラインを送らなくては。 ヘアメ室に入ると今度は電気がついていたので、壁を辿ってロッカールームのドアへ向かい、中に入る。 自分の使っているロッカーの向かい側のロッカーに寄りかかると、化粧ポーチからスマホを取り出してミサと木村さんにラインを打つ。 ミサには、後で電話をかけるからね、返事がなくてもかけるよ、と二言ばかり送る。 木村さんには、深夜にすみません、でも嬉しかったので、と文章を作って、店に同伴出勤して来た際に撮った百合の花束が飾られている写メを一緒に送った。 時間は、2時40分くらいだった。 さすがに、3時には店を出なければ、と思った。 急いで着替えなくては。 …着替えて、行かなくては。 中野駅の近くの、あのカナちゃんとアオイくんのいる居酒屋まで、タクシーならばすぐに着くだろう。 ロッカーの鍵を出して開けると、気怠い動きでドレスを脱いでハンガーに通し、中のつっかえ棒にかけると、今日着て来た黒いペプラムタイプのミニワンピを取り出す。 真っ裸なのに寝てしまうのはダメだろう、と、気力を振り絞ってワンピースを頭から被ると、背中のジッパーをなんとか上げる。 それから、ロッカールームの床に放置した赤いハイヒールを履く為に、私は座り込んだ。 立った状態では、もう靴を履くことすらも出来そうになかったからだ。 そして私はそのまま壁に背中を預けて目を閉じてしまう。 寝ていたかもしれないし、寝ていなかったかもしれない。 私からしたら、瞼を数秒だけ閉ざして、数回だけ静かに浅い呼吸をしただけのつもりだった。 「…おい、うたこ、起きろ。店、出とけ、そろそろ」 「…………は、い。あ、私、え?」 「寝てたか?大丈夫そうか?もう3時だから、一応出ろ。タクシーまで送るって、部長に言って来たから」 「…そうなんですか?部長、いいって?」 「いいだろ、おまえ頑張ったんだから。ミサのことだって、よく送ってやってるし」 「あ、そっか…。んー、なんかちょっと、マシになりました」 マネージャーが私の二の腕をつかむと、立ち上がらせてくれる。 それから、履けていなかったハイヒールまで、私の脚を上げさせると、片方ずつ通してくれる。 何これ、シンデレラみたいな気持ちなんですけど。 恥ずかしい上に、申し訳ないです、こんなことさせるなんて、私ごときが恐れ多過ぎる。 「バック持って、後コレな、エンジェルのボトル入ってるから。袋、これも持って」 「…ありがとうございます。…やだもう、好き」 「はいはい。歩けるか?鍵寄越せ、俺から部長に返しておくから」 「すみません…何から何まで…お恥ずかしい」 「今更何言ってんの。面白いな、おまえは。本当、変なやつ」 「そうだ!マネージャー、今日の髪、どうですか、口紅は、落ちちゃったけど」 「いいんじゃないの、可愛いと思ってたよ。今日の服も、髪もな」 超適当な返事が返って来て、思わず私は小声で笑ってしまう。 いいんですよ、それで。 なんでもっと早く言ってくれなかったんですか。 でも、言ってくれなかったから、あんなに自棄になって、逆に売り上げを上げることが出来たのだから、まあ結果オーライってことになるのかな。 なんて思いながら、ヨロヨロとする体をマネージャーに支えてもらいながら、ヘアメ室を抜けてフロアへと出る。 店長と部長が待機席に使われている広めのボックス席に座って、真剣に何かを話し合っている。 テーブルの上にも、色々と、今日の伝票だとか、多分キャストのそれぞれの売り上げや成績だとか、そう言ったものが書き記してあるのかもしれない分厚いファイルだとかが乱雑に置かれていて、締め日が近いのだと言うことを私に訴えかけて来る。 「…部長、店長、お疲れ様です。今日は、すごく酔っぱらってしまって、申し訳ありませんでした…!」 「ああ、うたこさん。お疲れ様です。大丈夫ですよ、あのくらい気にしなくて大丈夫です。頑張りましたね、気を付けて帰るんですよ」 「お疲れ様です、うたこさん。そんなに気にする程のことは、うたこさんは何もしてないからね。気をつけて帰って、また明日もよろしく」 「はい…!明日も、頑張ります。よろしくお願いします。では、お先に失礼致します」 「じゃ、俺、すぐに戻って来るんで。一旦、すみません」 私自身は結構酔っぱらって、山口さんに抱き着いたりだとか、太ももに顔を埋めたりだとか、かなりやらかしてしまったと思っていたのだが、二人にとっては軽いオイタ程度だったようだ。 良かった、とホッとして、私は少し元気を取り戻して、マネージャーが片腕を私の腰に回し半ば体を抱えているかのような状態で、自動ドアへと向かう。 今の私たちの体勢もいかがなものかと思うのだが、普段のミサの有り様を見慣れている部長と店長からしたら、何か怪しむだとか、そう言った類のものでもないようだ。 無事に店の外へと出て、踊り場から階段の下まで続いている手すりに手のひらを添わせると、マネージャーが私の体を離し、手を繋いでくれる。 私は衝撃を受けて、思わず酔っぱらいまくっていることも忘れて彼の顔を見上げる。 いつもと変わらない、何でもないって言うような、涼しい表情をしている。 私は焦って手を振り払おうとしたけれど、指を絡められて強く握り締められていて、ちっとも振り切ることが出来ない。 マネージャーはこちらを向いて、ニヤっと人の悪い笑顔を作る。 「何してんですか!!バカなんですか!!クビは嫌ですよ私は!!」 「そこまでだよ、すぐそこ、ちょっとだけだし」 「え、あっ、あの、マジでさあ!!」 「ほら、うた、行くぞ。ちゃんと歩かないと、おまえ階段から落ちるぞー」 「…中村さんってば…」 なんか知らないけど、笑ってるし。 やっぱり!何考えてるのか!さっぱりわかりません!! 嬉しい気持ちよりも、慌ててしまう気持ちの方が勝っていて、私は少しも幸せを嚙みしめることが出来なかった。 もしかしたら、今日の勤務中の半分の時間を、私を不安で不安でたまらなくさせてしまったことへのお詫びのつもりだったりしたのだろうか。 死にたい、なんて私が言ったから、それで少しでも楽しい気分にさせてやろう、なんて考えてくれただけだったのかもしれない。 私たちは、いつもタクシーをつかまえている場所まで、短い間だけ、まだネオンでいっぱいの歓楽街を、手を繋いで二人並んで歩いた。
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