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恋バナ
タクシーの運転手に支払いを済ませ、お礼を告げ降りると、すぐ目の前にあるビルに向かって駆け寄る。
けれど、そのビルにはエレベーターがない。
あれ、ここじゃないや、じゃあ隣だったっけ。
確か、ここら辺だと思ったんだけど、どの建物だっただろうか、と少しばかりウロウロと歩いて、見覚えのある看板と居酒屋の名前を探す。
あ、あった、ここだここだ。
エレベーターも、ちゃんとあるし、四階のところには見知った居酒屋の名称が書かれている。
でも、今日は月曜日だし、誰も外を歩いていないし、3時を過ぎたこの時間でも、まだ営業をしているのだろうか?
すると、驚きのタイミングでラインの着信音が鳴る。
ミサかな!?と思って、思わず急いでスマホを確認すると、相手はカナちゃんだった。
カナちゃんは、予知能力か何かを備え持っているんだろうか、と思いつつ、内容を確認すると、どうやら予知能力ではなかったようだ。
それでもこのタイミングは、神懸っている。
『うたこちゃん、お疲れ様です。中村さんからライン来たよ。話は聞いてるから、もう店は閉まってるけど、入って来て大丈夫だからね』
そんな内容だったので、私は安心してそのビルのエレベーターに乗って、居酒屋の階のボタンを押した。
酔ってはいたのでまあまあフラフラでヨロヨロでヨボヨボではあったが、それでももうすぐしたら中村さんが来るかもしれない。
カナちゃんとだって喋れるんだし、アオイくんだっているだろうし、ちょっと気持ちが弾んでしまう。
だって、まるで中村さんの彼女ヅラをしていてもいい場所、って感じがして嬉しいのだ。
エレベーターを降りると、ホールの照明はほとんど消されていたけれど、少し離れたカウンター席がある部分だけは煌々と明かりが灯っていた。
調理場、と言うのだろうか、カウンターが取り囲んでいるその内側が厨房になっていて、多分店長や調理スタッフなんかが料理をしているところを見ることが出来たり、中にいる店員と会話をすることが出来るような作りになっているのだろう。
「うたこちゃん、いらっしゃいませー!」
「アオイくん、でしたよね。こんばんは、お疲れ様です。あの、本当にいいんですか?」
「中村さんから連絡来てたし、大丈夫―!まだ片付け終わってないから、カウンターに適当に座っててねー。店長いるから、挨拶するといいよー!」
「はい!わかりました。カナちゃんも、片付けしてる最中ですか?」
「ううん、カナは上がりの時間だから、二人で喋ってたらいいよー!」
「そうなんだ!ありがとうございます!」
なるほど、バイトであるカナちゃんは、店長やアオイくんのように、何か役職についている人よりも上がりの時間が早いのかもしれない。
元々バイトにしてはシフトを入れ過ぎていて、店長に休めと言われてしまうくらいだと言っていたし、出勤し過ぎな分、勤務時間でバランスを取っているのかもしれない。
私はアオイくんに言われた通りカウンター席のある方へ向かうと、中の厨房を覗き込んで、見たことがない店長と言われている人は、どこにいるのかな、とキョロキョロとして探す。
中村さんは仲が良いらしいし、アオイくんが挨拶すると良いと言っていたし、店が終わっているのに私を入れてくれたのだし、感謝しなくてはならない。
「すみませーん!お疲れ様です、中村さんの…えっと、うたこなんですけど!店長さんはいらっしゃいますかー?」
「んー??おー、君がうたこちゃん、ああ、座って座って。何か飲むか?」
「すみません、こんな時間に。ありがとうございます。水で大丈夫です!飲み過ぎたので…」
店長として、店一つを任されているのだから、結構歳上の人が出て来るのだろうと予想していたら、そんなことはなかった。
30代後半から40代くらい、と言った感じの、黒髪を角刈りっぽくした、唇の周りに髭をたくわえている、これこそ居酒屋の店長、と言ったイメージそのままの、優しそうな顔立ちをした男性だった。
彼は、料理を出す店ならばどこにでもある、そう言う店専用の大きなグレーの冷蔵庫が立ち並ぶ厨房の奥の方から、明るく朗らかな声で言葉をかけてくれて、氷と水の入ったジョッキを手にすると私の方へと大股で歩いてやって来た。
「へえ。中村くんが女のコを連れて来たって言うから、どんなコだろうと思ってたんだよ」
「中村さん、あんまり女の人と、このお店に来ないんですか?」
「来たことないよ。って言うしかねえよなあ。わっはっはっはっは!」
「ですよね。あ、水、ありがとうございます」
「片付けちまうから、中村くんが来るまでゆっくりしてな。カナがもう来るから」
私も一緒に爆笑してしまう。
あるな、これは、絶対女と来たことあるな、とわかってしまって、それがあまりにもバレバレだったので、おかしくて笑ってしまった。
こう言う話をしても大丈夫な女である、と言うことがこの店の店長にはわかるのだろう。
中村さんが、そう言う女しかこの店には連れて来ないのだ、多分。
私は、カウンター席の一つに腰掛けると、目の前に置かれたジョッキの水を飲みながら、スマホを取り出す。
まず、ミサに電話をかけてみるが、呼び出し音は鳴るけれど誰も出ない。
何度かかけたけれど、やはり結果は同じだったので、ウザイかもしれないが、心配だよ、電話いつでもかけて来て、とラインを送っておく。
ブログの更新をするような気分にはなれなかったけれど、それでも山口さんやキヨシくん、それにナナさんが私のブログを見たら喜ぶような文章を考えなければならない。
後で、中村さんが来たら内容が大丈夫かどうか確認してもらおう、と思って、下書きだけでも、と考えて作りはじめる。
載せる写メを幾つか厳選して見繕うと、文字もそんなに多めではなく、簡単で素直で読みやすい、そんなブログにしようと取り掛かる。
しばらく、ちょっと沈んだ気分で水を飲みながらブログを書いていると、後ろから肩を叩かれた。
パッと振り返ると、そこにはカナちゃんが立っていて、「ちょっとぶりだね!今日どうしたの?誰かの結婚式でもあった?この間と全然違うから、ビックリした」なんて言ってくる。
あれ、私のこと、キャバ嬢だって知らなかったのか、と思って、私はそう言えばそんな話はラインのやりとりの中で一度もしていなかったな、とふと気づく。
もしかして、中村さんの職業も知らないのだろうか、だったら、言わない方が良いのだろうか。
「カナちゃん、お疲れ様。後で、中村さんが来たら話すね。今日ちょっと飲み過ぎちゃって…そう言えばカナちゃんって、ここの近くに住んでるの?」
「そうそう、私も西武線だよ。うたこちゃんもそうだって言ってたよね。今度遊びにおいでよ。部屋、広くはないけどね。店長―!私も何か飲んでいいですか??」
「おーよ!カナは明日もあるんだから、飲み過ぎるなよ。何がいいんだ?」
「はーい!私、自分の入れてるボトル飲むので、自分で準備しますよー!」
一旦カナちゃんは私の元を去ると、厨房へと入って、ボトルやアイスペールの中にアイスを入れたり、ジョッキの準備や割物なんかを自分でテキパキとお盆の上に用意し始める。
カナちゃんの私服姿は二十歳にしてはやはり大人っぽいものに感じた。
ベージュのスッキリとしたアンクル丈のパンツに、水色のシンプルなノースリーブのブラウスを合わせていて、ミドル丈のオレンジのヒールパンプスを履いていた。
最初に見た時はギャルっぽかったけれど、髪色と髪型の派手さにそんなに濃くはない化粧、それにピッタリと合っている服装だなと感じて、普段から自分の好きな服が着られるのっていいな、なんて思ってしまう。
だって私は、ここ最近ずっと、客が好みそうな服、と言う基準でしか服を選んだり、購入しりしたことがなかった。
まあ、自分が好きな服なんてもうわからなくなってしまっていたし、明日から好きにしても良いよ!と言われたからと言って、何が流行っているのかもわからないし、自分が何系と言われる見た目をしていて、どんなものが似合うのかなんて、そんなことすらもさっぱりわからないのだけれど。
「うたこちゃーん!これ食う?カナのつまみだから、一緒に食っていいよー!」
「わ!ビックリした…!はい!アオイくん、わざわざ、ありがとうございます」
「敬語じゃなくていいよー。中村さんの彼女でしょ。カナとだって、もう仲良くなったみたいだしねー。中村さんは、何時になるって?」
「うんと、多分、月曜だし、そんなに遅くないと思います。4時には来るんじゃないかな」
「了解ー!あ、カナ、おまえ明日15時からだから、今日は自分家に帰れよー」
「…はい、わかりました。アオイさんは、明日早いんですか?」
「俺はいつも通りだからさー。今日は飲まないで真っ直ぐ帰るしねー」
私のところにヒョコっと現れたアオイくんが枝豆の入った器を持って来てくれて、その後すぐにカナちゃんが自分の晩酌セットを乗せたお盆を運んで私の隣へとやって来た。
この会話から察するに、二人が付き合っていないと言うのはどうもおかしいような気がしなくもないような、なんかあんまり考えない方が良さそうな、そんな感じがした。
まだ私はそこまで仲が良いと言うわけでもないだろうし、カナちゃんに自分からは、深くは訊ねないでおこう。
アオイくんが行ってしまうと、カナちゃんが私の隣の席に座る。
お盆ごと持って来た本格的に飲み出す気満々の、焼酎のボトルやらジョッキやらウーロン茶の入ったピッチャーやらアイスペールやらを手際よくカウンターのテーブルの上へと並べて行く。
店長もアオイくんも、カナちゃんは明日も仕事だと言っていたけれど、大丈夫なのだろうか。
いや、私にそんなことを心配する口などついてはいないと思うのだが、…なんて、今日の失敗を思い出しては頭を抱える。
「さ!飲もーっと!うたこちゃんも、漫画とかゲーム好きなんだよね!うちさ、ゲームも漫画もいっぱいあるからさ。マジで、今度一緒に遊ぼうよ」
「いいの?嬉しいなあ!多分、来月になっちゃうけど、時間出来たら遊びに行くね!カナちゃんは、どんなのが好きなの?」
「ゲームはRPGとかばっか。漫画は色々あるよ、ジャンルも。本当、遊び来なって。そうそう、中村さんってどんな人?うたこちゃんと、かなり歳離れてるよね?」
「え、いきなり恋バナ?流れぶった切って来るね。めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど…だって、この後で、本人が来るし…。カナちゃんも、話してくれる?」
「いいよ!やっぱ女のコ同士で飲むなら、恋バナしたいじゃん。相談にのれるほど、熟練じゃないのが残念かもだけど。ごめんね」
そうなの?
百戦錬磨みたいな気がするんだけどな、カナちゃんは。
私、ミサや、他の友人とも、恋バナなんかしたことないんだけどな、って言うか自分の恋の話を、人に打ち明けたことがないんだよな。
でも、もしかして、カナちゃんだったら、この話、中村さんの話、してもいいのかな?
だって中村さんが紹介してくれた女のコだし、話しても問題ないってことなのかもしれない。
だったら私だって、誰かに話してみたかったこと、本当だったら沢山あるんだよ。
自分が飲む為の酒を作って、グイッとカッコよく飲むカナちゃん。
カナちゃんはどんな恋をしているのかな、ってさっきちょっとわかったような気がしてしまった。
もしかしたら私よりも、苦しいのかもしれない、そんな恋のような気がした。
でも、あのくらいの態度や、短い会話から予想した私の想像上の恋なんか、当たっているのか外れているのか、信憑性など欠片もない。
「ねえ、カナちゃん、カナちゃんの好きな人は、アオイくんでしょう」
私は、こちら側に向いている、カナちゃんの左耳に両手をあてて内緒話をするような仕草で、口を近づけてそっとそれだけ聞いてみた。
カナちゃんは特に驚くような素振りもなく、ふふふ、と口元に手をあてて笑った。
その顔を見て、やっぱりそうか、なんて思いつつ、私も正直に答える。
「中村さんはね、私の彼氏じゃないんだよ」
そうして、やっぱり一杯だけ酒を飲んでしまおうか、なんて気になってしまったけれど、それは次に、カナちゃんと二人きりで飲む時の為に取っておこうと思った。
カナちゃんは私の言葉を聞いても動揺したり、私を慰めたりはしなかった。
ジョッキを更に傾けて喉を動かし、はあ、っと、酒を飲んでいると言うのに爽やかなため息をついた。
そして、ゆっくりと体をこちらへ寄せると、さっきの私の真似っこをして右の耳に手をあててくる。
きっと哀しいであろう気持ちを笑顔で飾って、内緒話の返事をしてくれた。
「アオイさんも、私の彼氏じゃないの」
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