夢見るメンヘラ

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夢見るメンヘラ

私は再びミサへと、幾つか質問をしてみた。 尊敬している人物はいるか、その人物とは、すぐに連絡をとることが出来る状態にあるか、と言うこと。 もしくは、尊敬まではしていなくとも、自分にとって、その人物の言う言葉だったならば響く、そのような話を聞かせてくれると思われる、そんな人物は誰かいるかどうか。 そして同じく、すぐに連絡をとることが可能であるかどうか。 ミサは少し考えて、そして思っていたよりもずっと早くその人物の名を答えた。 「…ミズキさん、なら…」 私はきょとんとしてしまって、それと同時に驚く。 ミサとミズキさんが、特別仲が良さそうだと感じるような、そんな素振りを店でとっている場面を、私は一度も見たことがなかった。 挨拶程度は交わしていたかもしれないし、私が知らないところでは連絡を取るような仲だったのかもしれないが。 けれど、今まで私とミサとの会話の中に、ミズキさんの名が出て来たこと自体は、はじめてのことであった。 「ミズキさんの連絡先、知ってるの?」 「うん、昔ライン交換したから…。今も、変わってなければ、なんだけど…」 「そうなんだ。ミサは、ミズキさんのこと、尊敬してたんだね」 「…え、うーん…。よくわかんない…。でも、ミズキさんの言うことはきっと、いつも正しいような気がする…」 そうなのか、けれど、どうしてだろう、確かに私もそんな気がする。 ろくに喋ったことすらないけれど、説得力のある話し方が出来る、そんなタイプの女性なのではないだろうか、と思える。 ミサは昔は、ミズキさんと仲良くしていたのだろうか。 何か原因があって仲違いでもしてしまって、今は疎遠になってしまっているだけなのかもしれない。 それとも、場の流れで連絡先は交換したが、それだけの関係、と言うだけなのかもしれないし。 どちらにせよ、ミズキさんの言うことだったら、ミサは頷くことが出来るかもしれない、と自分自身で選択した。 「ミズキさんに、ラインしてみる?ミサが納得出来る答えをくれるかもしれないよ」 「…どうしよう。ミズキさんは、私が店に入ったばっかの時、良くしてくれた人なの…」 「そうなんだね。今はもう、あんまり仲良くないの?」 「…ミズキさんの指名客が、…私に指名がえしたことあって…」 「それは仕方ないよ。指名するキャストを誰にするか決めるのは、お客さんの自由だし…」 「…でも、何人か、いて。それで。いつの間にか、あんまり口きいてくれなくなってて」 「気まずい?…どうする?」 「私のこと嫌いかもしんないのに、相談なんかして、本当に答えてくれるかな…って…」 ミズキさんだったら、嫌いになった人が相手だろうと、相談を受けたならば、自分が正しいと考える答えをそのまま伝えるのではないだろうか。 わざわざ、本来ならば相手を不幸にするような答えを与え、苦しめて喜ぶような女性だとは、私には思えない。 逆にそんなことをして仕返しをしたり、鬱憤を晴らしたりするような人がいたとしたら、むしろ嫌悪感を覚えるような、そんな女性なのではないだろうか。 全て、私の想像上の、ミズキさん像でしかないけれど。 「連絡するだけしてみるのはどう?相談したいことがあります、お願いします、って、それだけでもラインしてみるとか。返信がなかったらそれまでだし。返信の内容次第だと思うよ」 「…うん、してみる。でも、多分寝てるよね。返事、明日かな…今日起きて、仕事前なんかに、わざわざ私にラインくれるかな…?」 「それより、返事が来るまでユウくんと今まで通りみたいに過ごせる?大丈夫そう?」 「…あんまり、部屋に居ないようにしようかな…普通に、出来るかな。それに私、仕事出行く元気、ない…」 「それでもなんとか頑張るしかないよ。今は、まだ別れたくないんなら。仕事は、少し休めるようにマネージャーに言ってみたら?多分大丈夫だと思うよ?」 確か、ミサのことは、店の方には風邪で休んでいると言うことにしてある、と、中村さんは言っていたし。 ミサは意を決したように、ずっと手に握り締めていたスマホの電源を入れると、ライン画面を開いたようだった。 私の方も自分のスマホをバックから取り出すと、今何時なのかを確認して、手早く中村さんへと短い文章を打つ。 ミサの様子がおかしい理由がわかった、やはり数日は店を休むと思う、と言う、その二つだけを伝えておく。 「…ライン、送った。マネージャーにも、休むって後で言う…。後は私が、ユウくんに、普通にする…」 「出来そう?無理でも、そうしないと、ユウくんの気持ちが離れちゃったら、意味ないから…。事実を知ってから、ミサはどうやって過ごしてたの?」 「……ユウくんはずっとなんか機械で作業してたから、私、お腹痛いって言ってベッドにいた…」 「それでいいと思うよ。今日と明日待ってみて、ミズキさんから何も返信がなかったら、改めて相談出来そうな人を考えよう?」 「…相談、出来そうな人…、いないよ…。私、もう、誰も…信じらんない…」 ああ、目が死んでいる。 私の言葉だって、ちゃんと届いてるのかどうか微妙なところだ。 麻痺している、狂気の沙汰と紙一重のところにいる、このまま部屋に帰してしまって大丈夫なのだろうか。 私も一緒にいてあげた方が良いだろうか、でも、だけど、それでも、今日も仕事があるのだ、頑張らなくては、ならないのだ、頑張るって、言ったのだから。 ごめん、ごめん、ごめん、私は、少しの時間でも良いから、幸福が欲しい。 「…ほんとに、ごめん、…ミサ…助けて、あげらんなくて…っ…」 「…うたちゃん…泣いちゃいやだよ…」 「私が、…もっと、…頭が良かったら、…私がもっと、ちゃんとした人間だったら…、私が、…もっと…っ!!」 「やだ、ごめ、ん、…うええ、っ、そんな、…うたちゃん、来てくれたじゃん、…うえっ…うああ、っ…!!」 二人して、しばらく声を上げて、子供のように泣き喚いてしまった。 スッキリするまで、落ち着くまで、少しは頭が冷えるまで、そんな十数分間はなんだか私たちのような人間には似合いの、バカみたいな青春だった。 大声を出して、涙を何年分も流したような気分で、心細くて申し訳なくて明日に、未来に、怯えて泣いた。 けれどそれは、ミサにとっては、強い決意をする為に必要な時間でもあった。 「…頑張ろ?ミサ、…私も、頑張る、頑張ってるから、…ミサ、ダメだからね、ユウくんのこと、刺したりしちゃ…」 「わかんない…、でも、しない。うたちゃん、次に私が、変なことしたら、通報して」 「…やだ。一緒に、埋めてあげる」 「…うん、じゃあ、そうしてね」 私の酔いはちっともさめていなかったらしい。 それにあまりにも疲れ過ぎていた。 素っ頓狂なことを言ったとわかっていたけれど、でも悪いのはユウくんだ。 ミサが捕まる必要なんて、刑罰を受ける必要なんて、ないと思った。 その考え方が、例えおかしくて、非人道的で、身勝手な感情論だったとしても、それならそれで構わなかった。 ミサは来た時から化粧はしていなかったので、私だけ化粧を直すと、二人で強く手を握り合ってカラオケ店を出た。 会計はひとまず全て私が支払い、財布を持って来なかったミサは絶対に返す、全額支払う、と言ってくれたが、それを「良い案が浮かばなかったんだから、私に出させて」と言って断った。 彼女は多分、ユウくんと付き合い出してから、彼からのお強請りに応えて、高価な楽器や音楽機材を購入してあげたりしてしまっていたのではないだろうか。 そんな風に考えたからだ。 繋いだ手をブラブラ一緒に揺らすと、駅のタクシーを止められるところまでミサと無言で歩いた。 私たちは、ここから幾つかに分かれている分岐点の内の中の、きっと真っ黒な一つを選んだら、共犯者となって共に独房入りを果たすこととなる。 でも、そんなことはみんな一緒で、誰にだってあり得ることで、私たちにだけ降りかかる、特別な出来事なんかではないのだ。 「ミサ、何かあったら電話をかけてね。私、仕事中以外だったら、出るからね」 「…ありがと、うたちゃん。…また、今日も私、店休むけど、…ライン、出来たらするね。…スマホ見る元気、あんまなくて…」 「全然いいよ!!いっぱい、鬼ラインしていいし、後で全部ちゃんと読むし、無理だったらしなくていい!!でも、何かあったら、ちゃんと知らせてね」 駅の脇の通りに辿り着くと、赤く染まっていない方の腕を上げてタクシーを止めてくれる。 私はハイヒールを履いているので、ミサより少し低いくらいの背丈までは達していて、丁度同じくらいの位置に肩がある状態だった。 一度、彼女の体を両腕で抱きしめて、背中を撫でて「大丈夫、ミサ、ミサは大丈夫」といつか私がそうしてもらったのと同じことを、再びやる。 「ばいばい、うたちゃん。ありがと。私、…へいき…」 「平気じゃなくてもいい、何かあったら、何かもう無理だと思ったら、すぐにラインか電話してね。じゃあ、また、ね?」 体を離すと、開いたタクシーのドアの内側へと体を丸めて入り込み、閉まった車内の窓から彼女に手を振る。 ちゃんとこちら側の声が届かない様子を確認してから、運転手へ「中野駅へと向かって下さい」と伝える。 ミサからは、合流した時に感じた、消える寸前の幽霊のような気配や、気の触れそうな危うさは多少薄れていた。 …人間らしい表情を取り戻している、そんな様子で微笑んでいた。 いつだって、打ちのめされて、墜落して、燃え上がってバラバラになって、灰のように跡形もなく風にさらわれて行ってしまいそうな私たち。 ちっぽけで弱くて、がったがたで、ぶっ壊れている私たち。 そんなメンヘラだって、夢くらい見たいのだ。 見たって、いいでしょう。 大丈夫だよ、ミサ。 私ものたうち回ってでも、這い蹲ってでも、引きずってでも生きるから。 出来ればね、ミサが前みたいに元気に店に戻って来た時にも、私はそうしていたい。 きっとまた、一緒にそうしてあの場所で生きられるよね。 この一瞬が、あの店でしか関わりのない出来事たちが、全て終わってしまうその日までは。 彼女の姿が小さく、小さくなって行く。 スマホ一つだけを持った、小花柄のロングワンピースを汚した女のコは、しばらく、見えなくなるまでずっと、そこに立っていた。 ずっとずっと、私に向かって手を振っていた。 どうしてこうも、上手くは行かないものなのだろう。 なんにも上手くいかない。 わかってる、本当だったら私だってミサと同じなのだ。 弁えているフリをし続けているだけなのだ。 終わりが来るのなんて嫌だよ。 そんなの嫌に決まってる。 本当は、嫌。 けれど、彼との未来などないのだ。 そんなものは存在しない。 だってきっと、私と彼は付き合うことすらないし、結婚なんかしないからだ。 私はそれを望んでいないから。 今の関係だけが心地良いから。 幸せが欲しい、このままずっと。 でも時間は勝手にどんどん進むし、そのうち私はNo上位をキープし続けることが出来なくなる。 保たなくなる。 そんな日が、絶対にやってくる。 そしたら全部終わり。 きっと私は、少しくらいは足掻くかもしれない。 けれど結局は、その現実に耐えられなくなって店を辞めるのだろう。 そしてもう、彼と会うことなど、なくなるのだ。
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