二日目の、はじまり

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二日目の、はじまり

「めっちゃ早くないですか!」 「そうか?こんくらいじゃないの、どこも」 「へえー!すぐに届くものなんですね、通販って。私、やったことないから」 「珍しいな。一人暮らしだろ、うたは」 「そんなに必要なもの、今までなかったから。自分の部屋にも、あんまりいないし」 中村さんは、ついこの前ネットで頼んだ、私が着る為のミニワンピや膝上丈のドレスたちが入っている段ボールをあけて、一着ずつ確認している。 丁度宅配便が届く時間を15時辺りに設定していたのだと言う。 しかし残念だ、私の脚は怪我を負っていて見映えが良くないし、今日はロングドレスで店に出ようと決めたばかりだと言うのに。 「…そうだなあ。もう、着るか、いっそ」 「え、でも、中村さんも言ってたじゃないですか、ロングにしろって」 「いいんじゃない。怪我してるのも、うたらしくて」 「…上手く利用出来ないこともないですけど、引いちゃうお客さんがいたらどうしようっても、思いますね…」 「おまえのことを指名してる客は、気にしないか、気遣うか、だと思うけどな」 どうなのだろう。 酷い怪我を覆う、大きな絆創膏の張られた脚を写した写メを撮って、ブログに載せたとしよう。 転んじゃいました、本当に注意力のない、抜けている自分が嫌になっちゃいます、なんて、そんな内容でもって同情を引くとしよう。 店で着るドレスをどうしようか悩んでます、なんて書いて。 ラインでも指名客にその写メを送って、せっかく可愛いワンピースを購入したのに、着られないかもしれない、哀しいな、見て欲しかったです、とかなんとか、そんな文章を作って送信したとして。 「…人にもよるかと思うので、相手を選んで、厳選して営業かけてみます」 「俺はそろそろ出るから、好きなの選んで着てみろな」 「わかりました、やるだけやってみます。でも…店的に、大丈夫ですか?こんな、傷だらけの見た目のキャストが居るなんて…みっともなくないですか?」 「いいだろ、気にすんな。部長と店長には、うたが怪我したって言う連絡来たって伝えておくから」 「お願いします。…いい方に、なんとか持って行きます。頑張ります」 利用出来るものなら何だって利用する。 それは中村さんもそうだし、私だってそうだった。 その傷痕が、例えどんな理由によって私の脚に大きな傷痕を残したのだとしても。 上手く使える材料になり得るのだったら使うのだ。 私のことを慰めてくれない、私のことを労わってくれない、私のことを休ませてくれない、私のことを、私が渇望している場所へは置いてくれない、そんな人にかわって、誰か少しでもいいから満たして。 深緑色のクッションに座って手早く化粧を済ませると、私は自分の脚をフローリングの床へと揃えて伸ばして写メを撮る。 それからブログの文面を考え、情けない、恥ずかしい、綺麗じゃない、その大きな絆創膏が四つ貼ってある痣だらけの脚の写メと、困ったような笑顔の自撮りを、文章の区切りが丁度良いと思える箇所へと配置する。 情けをかけて、可哀想だと思って、哀れみを持って、興味を持って、と自分から格好悪い姿を晒す。 「出来たか?どれ、ああ、…うん、まあ大丈夫じゃないか」 「うーん、私、自分だと、自分のことって、良くわからないんですよね…」 私が起きた時、どれがいいと思う、と中村さんに聞かれて、どれも同じにしか見えないシャツと黒いスーツの中から、私が「じゃあ、コレですかね」と適当に指さしたそれぞれの今日の仕事着。 そんな、新しいシャツとスーツに着替え終わった中村さんが、私の後ろにしゃがんで、スマホの画面を覗き込んで内容を確認する。 うん、どのシャツも色味はそんなに変わらないし、スーツも全て黒だし、やっぱりいつもと何が違うのか、違いがわからない。 「まあ、もし上手くいかなくても気に病むなよ」 「…めちゃくちゃ気に病みますよ」 「ダメだったらダメだったで、俺のせいにしていいから。おまえは、自分をあんまり責めるなよ」 そう言い残して大きな手のひらで私の頭を撫でると、彼は立ち上がり、そのままキッチンの方へと向かう。 もう、部屋を出る時間がやって来たらしい。 私もブログの更新ボタンを押すと、すぐに立ち上がって、その後ろ姿を追いかけて玄関までついて行く。 「行ってらっしゃい、中村さん。今日は同伴ナシだと思うんですけど、万が一入るようだったらラインします」 「火曜だしな。同伴は無理してしなくてもいいから、ヘアメやるなら20時前に来いな」 「はい!じゃあ、後で」 「行って来るわ。後でな。うた、ミサから連絡あって、様子が変だったり、何かあったら一応俺にもラインしろ」 そう、私ではなくてミサを気に掛ける言葉を最後に、中村さんは部屋のドアを開けて出て行ってしまう。 私は下はパンツ一丁なので、上半身だけ外廊下に乗り出して手を振った。 彼は一度も振り向いたりしなかったけれど、別にガッカリなんてしない。 スーツのズボンのポケットに手を突っ込んで、足早にエレベーターのある方へとスタスタと歩いて行く。 その姿を見届けてからドアを閉め、鍵を掛けると奥の部屋へ戻って営業ラインを再開する。 バックの中から、中村さんの吸っている銘柄と同じ方の煙草を取り出して、ライターで火をつけると、ちっとも慣れることのない、実はそんなに好きじゃない、そのスーっとした感覚に一瞬だけ浸る。 指名客とのやりとりの合間を見て、ナナさんのブログを覗いて、思わず笑みが零れる。 ナナさんってば、そんなに嬉しかったんだ。 だったら良かった、私、頑張って良かったよ。 一人のキャストのお姉さんのことを喜ばせることが出来たのだったら、ちょっとはあの時間にも意味はあった。 そんな気がした。 自分の為に入れられたはじめてのシャンパンのボトル。 笑顔でそのボトルと共に写っている写メが、びっしりと沢山載っていた。 それから、最後まで画面をスクロールすると、そこには、店上がり直前に、マネージャーにお願いして撮影してもらった、私と二人で映っている写メが数枚貼られていた。 最後の一文に、胸がキュウッとする。 『ありがとうございました、うたこさん。大好きな店の先輩です!』 やだ、もう、なんだか照れてしまう。 これが演技だとしたら、いや別に演技でも全然良いのだが、それでも私の胸はほんわかと温かくなった。 この日の彼女のブログのタイトルは「最高の日でした!!」であった。 私にとって最低で最悪でどん底な日であっても、他の誰かにとっては最高の日だったりするのだ。 当たり前のことなのだが、その「最高」の要素の中に、微量でも私のことが含まれていることが、素直に喜ばしい。 私はナナさんのブログに、コメントをしてみた。 誰かのブログに何か言葉をかける、と言う経験が今まで一度もなかったので、当たり障りのないものにしておいた。 何か、彼女の感情に過剰に作用してしまうような、そう言った文章を書いてしまうのは怖かった。 今日の仕事に影響が出てしまったら申し訳ないし、「今日も、お互い頑張りましょうね」と言う簡単でありきたりな一言と、笑顔の絵文字にハートマークをつけた文章を書き込んだ。 ミサからは連絡がないし、まだミズキさんからは返信が来ていないと言うことなのだろうか。 ミズキさんか…、ミズキさんだったら、ミサの今の状況を知ったらどのような言葉をかけるのだろう。 自分の身に置き換えて相談に乗るタイプなのか、自分の価値観や信条に基づいて語るタイプなのか、どちらなのだろう。 後者なような気がしなくもない。 私のように、感情移入をし過ぎてしまうような人にも思えないし。 一通り営業をかけ終わり、返信が来た相手とだけやりとりをしながら、私は部屋の真ん中に置かれた段ボールへと近づく。 しゃがみ込んで、中のミニワンピやドレスたちを一着一着手に取って、それぞれどんな感じなのか確認してみる。 しっかりと私が代金を支払うことが出来たことにはホッとしたけれど、選んだのは中村さんだ。 私に合うと思ったものを見繕ってくれたのだろうとは思うが、私自身はあまり派手過ぎるデザインのものは好みではない。 それに、これらは全て彼自身が私に着て欲しいと思っている服装と言うわけではないのだ。 あくまでも、私の指名客たちが喜ぶであろうと思われる、そう言った視点で選ばれたものばかりのはずだ。 一つずつ透明なビニール袋を破いて、中身を取り出すと床に並べて行く。 今日を乗り越える為に着用するのであれば、どのドレスが相応しいのだろう。 清楚そうな印象のものから、少し露出の多いもの、フリルやレースが過剰にではなくほど良くあしらわれているもの、様々な種類のものがあった。 どれも、肌色の透けるレースの長袖がついているか、グローブをはめていてもおかしくない、手首から肘の内側の傷痕を隠すには適しているデザインのものばかりだったが、脚の傷は隠してはくれない。 コレにしようかな、と一着の膝丈のドレスに手を伸ばした時、ラインではなく電話の着信音が鳴った。 私は顔を上げ、急いでスマホを取って相手を確認する。 時間はまだある、16時になったばかりだし、19時半に店に行けばヘアメは間に合う。 もし、今から来て欲しいと言われたら、少しの時間だったら行くことだって不可能ではない。 通話をタップして、スマホを耳にあてると、思わず気が急いて捲くし立ててしまう。 「…ミサ!!…大丈夫!?何かあった?ミズキさんから、返事は来たの?」 『うたちゃん!ミズキさんね、ちゃんと返事くれたの…!』 「良かった!!今は部屋?ユウくんと一緒?」 『ううん、ユウくんは朝から出掛けてる…。昼に、ミズキさんから返事来て…相談の内容聞かれたから全部教えたら、…今日、店上がりに会ってくれるって…』 「そうなの!?ミズキさん、ミサのこと心配してくれたんじゃん!!嫌われてるわけじゃないのかも!!」 『…そうなの、かなあ…。バカなことやって、何してるの、って、怒られないかなあ…』 「…それはわかんない。ごめん。ミズキさんがどんな人なのか、私は知らないから…」 会話に間があいてしまう。 ミサが黙ってしまって、私もの方も、それ以上は何も答えることが出来ない。 私はミズキさんとろくに喋ったこともないし、同じ卓についたこともない。 けれど、ミサが新人の頃に良くしてくれたキャストのお姉さんなのだと言う話だし、指名客を奪われたことはもう気にしていないのかもしれない。 もしくは、そんなことをイチイチ気にとめるような性格でもない、だとか。 ただたんに、自分から離れて行った客に、興味がないだけなのではないだろうか、とも思える。 『……私、終電で新宿行って、どこかでラストまで待ってようと思うんだけど…』 「いいと思うよ。一人で大丈夫?二時間、待てる?」 『それは平気。でも、えっとお…うたちゃんも、…一緒に来てくれないかな…?』 「…ええええ!!!!うーん…それは、ミズキさんが嫌なんじゃ…?だって私、全然喋ったことないし…」 『お願い、ごめん。一人だと、きっと私…上手く自分のこと、説明出来ない気がして…』 よりにもよって何故今日なのだろう。 私は多分、ちゃんと指名客が訪れてくれたとしたら、物凄く飲むのではないだろうかと思う。 一生懸命、持っている拙い手練手管を全て使って、オーダーを取ることに必死になって、ドリンクやシャンパンを入れてもらえるように尽力することだろう。 けれどもし、誰も来店してくれなかったら? そうしたら私は、- なんたって平日の火曜日だ、店は混まないだろうし、- 早上がりを、お願い出来るのではないだろうか。 そうしたら、そうだ、すぐにミサのところへ行ってあげることが出来る。 「…じゃあ、ちゃんとミズキさんに断りを入れておいてもらえるかな?」 『う、ん…うん!ありがとう!!』 「ミサ、ミズキさんは、本当はどんな人なの?」 『私にもよくわかんない。でも、昔はね、すごく優しくしてくれたんだよ』 「そっか…。どこで落ち合うとか、店はもう、決まってるの?後でラインに入れておいてくれるかな」 『うん、決まったら、そうするね。…うたちゃん、…ミズキさんは、きっと別れろって言うよね』 「…ごめん、それもわかんない。私の予想ってね、ことごとく外れてて…、ほんと、もう自信失ってるとこなの」 そう私が答えると、見えているわけではないけれど、ミサの顔が少しだけ微笑みの形に変わったような気がした。
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