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重なって行く罪
だって私はちっとも正しくないし、まともなんかじゃないのだ。
自分は失敗作で欠陥品であると言うことは既にバレているだろうし、彼女の口から出て来る言葉を聞いていたら、私は困惑してしまうのではないだろうか。
良くない部分を指摘されて責められているような気分になって、逃げ出したくなってしまうのではないだろうか。
「うたこさん、お願い致します」
「…え、…あ、誰?ですか?」
「うたこさんです」
「す、すみません、はい…!」
完璧に、考える人モードに陥っていた私の名を、マネージャーが呼んだらしい。
慌てて待機席を立つと、化粧ポーチにスマホを仕舞って、「前、失礼します」と断りを入れつつ、他のキャストのお姉さんたちとテーブルの隙間を横向きで通り抜けてフロアへと出る。
まだ20時になって少ししか経っていないし、今から行くね、と言った内容のラインも指名客からは来ていなかった。
深く深く考え込み過ぎていて、フロアへ行くには必ず通る、待機席の目の前の通路を全く見ていなかった。
きっと他のキャストのお姉さんたちは、いらっしゃいませ、と声をかけたに違いない。
しまったな、私ってばずっと、無言で俯いてしまっていた。
とにかく、まだ出勤していないキャストのお姉さんのヘルプか、フリー客に付け回しをされるだけかもしれない。
だったら、一生懸命場内をとれるように、頑張らなければならない。
マネージャーの元へ辿り着くと、彼は私の耳元へ顔を寄せて、小声で言う。
「今日も来たけど、どうする。昨日、おまえが選んだ方でいいの」
「…ありがとうございます、気遣って頂いて。大丈夫です」
「そうか」
いつの日か、もしかしたら後悔をするかもしれない選択を、改めて今回は素面の状態で迫られた。
これから先の、ずっと先の人生の向こう側で、もしもまともになれていたなら。
その時は、もしかしたら自責の念に駆られることもあるかもしれない。
でも、そんなことは今はどうでうだっていい。
むしろ、マネージャーの方こそどうした?と言う感じだった。
変じゃない?
彼は、こんな風に私の心情を気遣う必要はないはずだ。
わざわざ私の心配をして、訊ねてくれるような人だっただろうか?
仕事をさせる為、店に貢献させる為、その為のただのコマだったはずの私に。
こんなこと、言うわけない。
未来で、過去の愚行を後悔をしているオトナになった私。
そんな、あなたの操り人形じゃなくなってるはずの、もう側にいないかもしれない、いつかの私のことなんて、大事っぽくしないでよ。
「……あの、どうしたんですか?」
「行くぞ。待たせてるからな」
「…わかりました」
答えてくれるはずなんてない。
今は勤務中で、彼はこの店のマネージャーで、私はキャストなのだから。
でも、そうじゃないことを先に私にしたのはマネージャーの方ではないか。
何、何、何なの、何か変わってしまったの、それとも他に何か新しい思惑でも浮かんだの。
違うやり方でも試してるの?私に何をするの?もういいよ、これ以上欲しがったりしないよ、だからお願いだから頭の良くない私のことを困らせないでよ。
私のことを慰めてくれない、私のことを労わってくれない、私のことを休ませてくれない、私のことを、私が渇望している場所へは置いてくれない、そんな人なんじゃないの?
余計な期待をさせないで欲しい。
見限られた時に、奈落の底に落ちるのは嫌なんだって、何度も何度も自分に言い聞かせてるのに。
私が選んであげた、どれも同じにしか見えない、昨日と同じものにしか見えない、黒いスーツの背中について行く。
まだ、たった一人しか客のいないフロアを進むと、思った通りキヨシくんがいた。
また借りて来たの、借金を重ねて来たの、昨日も来たのに、多分寝不足だろうに、ラインの返信も適当にしかしなかった私に会う為に。
「お待たせ致しました、うたこさんです」
「こんばんは、キヨシくん。朝、ちゃんと起きれた?」
「うたこちゃん!脚、大丈夫?俺、ブログ見て、びっくりして…もう痛くない?」
「ううん…、痛いの…。でも良かったな、今日、ちゃんと店に来て。だって、キヨシくんに会えたもん」
元々霞程度しか持っていない平常心を増し増しにして、ニコっと微笑むと、キヨシくんの隣へと座る。
やばい、わけわかんない、私は仕事をしなければならないのに、精神状態がぐらっぐらになってしまっている。
こんな状態で酒を飲み、媚びを売り、上手く客に対応しなければならないだなんて。
いい、違う、たまたまだ、きっと、ただの気まぐれで、深い意味など何もないはず。
そう言うことにしておかなければ、私は接客に集中出来ないのだから、それでいい、後だ、後にしよう、私は勤務中のキャストで、今はキャバ嬢なのだから。
…ああもう、バカ!徹底して下さいよ!キャラブレないで!もっとちゃんと操ってよ!!
勘違いしたくないんです、こう言う風に、キヨシくんみたいに、なりたくない!!
全然ダメ、もうなってるって、わかってますけど!!
「元気出して、うたこちゃん。俺もね、今日は寝坊しちゃって、職場で怒られたよ。でも、うたこちゃんの顔見たら元気でたよ」
「ふふ、嬉しいなあ。そんなこと言ってくれるの、キヨシくんだけだよ」
「何か飲む?あ!朝のブログも見たよ、ありがとう!あんなに喜んでくれて、本当に嬉しかった」
「ありがとう。私ね、エンジェル、本当に気に入って、ボトルもすっごく可愛いし、大好き!店に頼んで持って帰ったんだよ。部屋に飾ってるからね!」
しまった、飾るの忘れた。
そのまんま、彼の、マネージャーの部屋のフローリングの床に、袋ごと放置したままだった。
でも、気に入ったのも、可愛いのも、大好きなのも、全て事実だ。
あれって、度数はどのくらいなのだろうか、今日もオーダーして大丈夫なのだろうか、キヨシくんは一体どのくらいの金額を借りて来ているのだろうか、だけど、そんなことを訊ねるわけにはいかない。
私はキヨシくんのことを、もうどうでもいいと思ってはいたけれど、それでもこのままだと、自分指名の客に無茶をさせ続けるキャストになってしまう。
どうしようかな、私、そんなキャストになってもいいの?
そう躊躇うのと同時に、どす黒い残酷な気持ちも襲って来る。
私に何をしたか、私を泣かせたんだから、たったそれくらいのことで、堕ちるならどこまでも堕ちろ、とも思っていた。
自分のことを泣かせたやつがひどい目に合えば良いと言う考えならば、マネージャーだって私のことを泣かせたと言うのに。
違うから、キヨシくんとマネージャーは。
ただ、その相手が好きな人だ、と言うだけで、こんなに抱く感情に差がある。
わけわからない、どうしよう、でも私は待つ、せめて、自分からは強請らない、それでも多分大丈夫。
キヨシくんが次に発するであろうセリフを、知っているから。
「そんなに気に入ったんだ!じゃあ、今日もそれにしようよ!俺も、同じのが欲しいな。もらえるのかな?」
「えー!!ありがとう!!嬉しいな!!美味しかったよね、あれ。もちろん、無理だって言われても、私が店に頼み込んであげる!キヨシくんにも、お揃いのやつ、飾って欲しいなあ!」
もし他に誰も指名客が来店しなかったら、今キヨシくんの手元にある分、全部を使ってもらうことになるかもしれない。
それでも足りない、多分足りないと思う、出来る限りの営業はかけた、努力した、後はもう祈ることしか出来ない。
私はオーダーの為に片腕を上げて、「お願いします!」と弾んだ声を上げる。
キヨシくんの方に体を寄せて、肩に頭を傾けて乗せると、本当に幸せだなあ、なんて嘘をつく。
もちろん、キヨシくんも同じように自分のこめかみを私の頭へコツンとくっつける。
そうやって、マネージャーに向かってやりたいことを、言いたい言葉を、この客に向かって捧げるのが、今日の私の精一杯の仕事なのだと思った。
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