心配されてもいい

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心配されてもいい

その日は結局、営業をかけていた指名客も数名訪れ、ブログを見たと言う新規の客も少人数来店してくれて、それなりには卓を埋めることが出来た。 はじめて私のことを指名してくれた客には、無理なことは言わずに、一生懸命でひたむきに、新しく良い関係を築いていけるような接客を試み、卓を盛り上げる。 オーダーは控えめにして、名刺を渡してラインを交換したり、ブログを教えたり、明るくて元気なキャスト、もしくは疲れを癒してくれるキャスト、と言う印象を持ってもらえるように頑張る。 聞いて欲しそうな話を聞き出して、頷いて相槌を打って、時には大袈裟な身振り手振りで感情表現をする。 そしてまたある時には、大人しく静々と清楚に振る舞う。 どの客にも出来るだけ気に入ってもらえるよう、指名として返せるようにと、様々な手を使い、誠心誠意尽くし、やれるだけのことはやる。 そんな私は、キヨシくんの卓ではまるで別人のよう。 エンジェルのロゼのボトルを二本入れてもらって、一個ずつ持って帰ろう!二人のお揃いの記念!なんて言って、ご機嫌を取っていい気分にさせる。 もちろん、キヨシくんにも、エンジェルのボトルを持って帰っても良いようにマネージャーに掛け合い、同意してもらう。 そうしてお互い酔いが回ってくると、キヨシくんはやはり、私に過剰なスキンシップを期待しはじめる。 一緒に乾杯をして飲み干して、それでも自分からはお強請りの言葉は口にしないように気をつける。 ただ、テーブルの上に置かれたメニュー表はずっと開かれていて、見た目が気に入ったものを「コレ、素敵だね。飲んだことないなあ」なんて、言うだけは言ってみる。 腕を絡め、甘え、時には熱い視線で見つめて甘言を紡ぎ、言うだけならタダだから。 これをブログに載せたら映えるよね。キヨシくんの凄さが。キヨシくんと言う人が。私の一番大切な人だって。他の皆に知ってもらえるね。それを証明することが出来そうだね。なんてね。そんなの。なくってもね。私。ちゃんと。キヨシくんのことを。想ってるよ。 あったまオカシイみたいに、真実おかしいんだけど、あんまりにも分かりやすい、向かい合った鏡の向こう側の言葉ばっかを、ペラペラと。 そして、和田さんが訪れたり、ヨシキくんがやって来たり、花束を抱えた木村さんまでもが来店してくれた。 彼らは、この三日間、残り二日の意味を多分知っていた。 木村さんは、私の脚の傷の多さに目を潜め、私の頭を撫でる。 自分の卓ではせめて休憩することが出来るようにと、今回もビップルームでの接客を求め、相も変わらずに愛の歌や、愛の言葉を沢山伝えてくれる。 長居は出来ないが、その分私のことを笑顔にすると言ってシャンパンを何本か入れてくれた。 その度に私は、感謝の気持ちでいっぱいです、と微笑み、申し訳なさとか有り難さとか思いつきとかに任せて、彼に抱き着いては、その大きな背中に腕を回してギュウギュウと抱きしめた。 結構酔っぱらってしまって、楽しくて愉快な気持ちで22時を迎える頃には、あの例の毎回私を指名するとソファで眠ってしまう精神科医だと言う指名客も来店してくれた。 連絡先を知らないこの客に、私は営業をかけることは出来ないが、そのかわり必ずと言って良いほど彼は、毎週平日の内のどこか一日だけはやって来る。 それがたまたま、運よくこの日だっただけの話だ。 私ははじめて、彼が眠ってしまう前に、素直に「今日だけは、いつもよりもワガママな私を許してくれませんか」と、そう言って頭を下げた。 彼は「別に気にしないから、好きなものを好きなだけ頼めばいい」と答え、ニコリともせずにさっそく眠る体勢に入ろうとした。 一瞬、横に座る私の膝小僧をチラリと見たけれど、その後は毎度お馴染みのそっけない態度を取る。 すぐにうつらうつらとし出し、その内静かに寝息を立てはじめる。 私は、遠慮なく受け取った返答通り、「いつもよりワガママ」なオーダーをするつもりだった。 でもダメなのだ。 考えてしまうのだ。 自分なりに、彼に負担がかかりすぎない程度のものはどれだろう、と一人でしばらく考え込む。 支払いをする相手、相談するべき相手が寝ていて、起こしてはいけないと言うのも不便なものだ、などと贅沢な悩みに思わず口元が緩んだ。 精神科医と言う仕事をしている男性は、一体どのくらいの金額だったならば遊びに使うことが出来るのだろうか。 全くわからないので、山口さんが入れてくれたことのある、高価な方であると言えるシャンパンを何本か入れることに決める。 ぐっすりと休んでいる客とは乾杯することは出来ないし、二人で分けることも出来ない。 と、言うことは、ひたすら新しいものをオーダーする為にどうすれば良いのか。 そんなことはわかっている。 せめて、目覚めたこの客が少しでも満足して再び微笑んでくれたらいいなと、一人でそれらを飲み干し続ける。 どの卓でも、酒をいっぱい飲んだ。 当たり前のことだが、はじめて訪れてくれた客にシャンパンをお願いをすることはない。 私のブログを見たのだから、シャンパンを入れた方が良いのだろうと、そう想定して来店してくれた客なんかは、気にしないで下さいと断っても、それなりのシャンパンを入れてくれたりもした。 何せ平日なので、和田さんやヨシキくんは二時間程度で延長をせずにチェックしたが、それでもモエシャンのロゼや、ヴーヴのロゼなんかを二本ばかり入れてくれた。 もちろんブログを教えて、シャンパンと写メを撮り、和田さんにもヨシキくんにもULRをラインで送ると、暇な時にでも見てもらえたら嬉しいです、と言っておく。 みんな私のことを、私の怪我を心配してくれた。 和田さんなんかは「おまえはドジだから、早く学校を卒業して俺と結婚しろ、家庭に入って落ち着けば慌て者なとこも多少は良くなる」と言って酒を煽った。 それが和田さんにとっての、優しい言葉、なのだ。 それを私はちゃんと知っている。 「料理で指を切ったり、フライパンで火傷をするかもしれませんよー?」と悪戯っぽく返す私に「そんなのは、俺といれば自然としっかりしてくる」なんて、自信に満ちた顔をするから、私はつい笑ってしまった。 ヨシキくんは私の手をずっと握っていたけれど、心から怪我を気にかけてくれた。 私は怪我をこのまま放置して、自己治癒力に任せようと考えていた。 面倒くさかったからだ。 それを、ヨシキくんはちゃんと外科か皮膚科に行って、痕が残らないように薬をもらった方がいい、と説得してくれる。 痣だらけの脚を見る瞳にすら色は感じられたけれど、怪我が治るまでは店以外ではハイヒールは履かない方が良い、と言って、今度スニーカーを買ってあげるからね、なんて、まるで転んだ幼い子を慰めるようにして甘やかす。 それぞれの客が、それぞれ私の怪我に顔を顰め、優しい言葉をかけてくれて、時にはドジなんだなと笑い、自分はもっと酷い大怪我をしたことがあるぞ、などと話を膨らませて、笑い話やいい雰囲気に持って行ってくれる。 何かとこの脚のみっともない様は話の種となり、役に立ってくれたので、結果は「上手く行った」のではないかと思う。 そうか、なんだ、私はこんなに大切に想われているではないか。 こんなに心配をしてくれて、わざわざ金銭を支払ってまで、怪我をした私の様子を見に来てくれる人がいるではないか。 それが「キャバクラ嬢のうたこ」に対してだけのものだったとしても、何か下心があって、それが動機で、優しさは嘘で、隠してる方が本心なのだとしても。 それでも私にとってはありがたくて、なんだか酔いもあってか泣き出してしまいそうな気持ちになる。 私って、大切なんだね。 この人たちにとっては、少しくらいは気にかけてもらえるような存在で、優しくされてもいい人間なのかもしれないだなんて、そんな幻想を抱いた。 精神科医の客は偶然来店しただけだったが、それでもこの日の売り上げに多大に貢献してくれた。 私は、オーダーしたことのないシャンパンを頼む際には、念の為に彼へと一言声をかけ、値段もしっかり伝えた。 もちろん半分、いやほぼ眠っているので、その精神科医は迷惑そうに手を肘からあげて、いいよいいよ、と、あっちへ行け、の仕草をする。 「おねがいしまーす!!」 今日も、私のその声は何度も何度もフロアに響いた。 沢山のシャンパンを入れて、行ったり来たりして、フラフラになって行く脚に力を込めて、背筋を伸ばせ!と自分に喝を入れる。 そんなことをずっとずっとやっていたけれど、気を許せる指名客と、座って飲んでいるだけで良い眠っている指名客と、まだ親しくはなり過ぎていない初見の指名客たちが相手だと言うことで、昨日よりはだいぶ気が楽だった。 フロアを横切って通路の方へ向かって歩いていると、ミズキさんが彼女の指名客と共に卓についているのが目に入った。 それは丁度、木村さんについていた時で、私は酔い過ぎないように、いやもうだいぶ酔ってはいたが、とにかく酒を少しでも吐こうとトイレに向かっている最中だった。 ほんの少しだけ立ち止まってしまった私の姿に、彼女は気づいた。 目が合う。 微笑んだら良いのか、困った顔をしたら良いのか迷って、それから私はパッとその真っ直ぐに見据えてくる視線から逃げた。 しまった、あまり遅くなると木村さんが帰ってしまうかもしれない。 もう既に、彼が来店してから二本もそこそこ高価なシャンパンを入れてもらった後だった。 それでもまだ後一本くらいだったら飲めるかもしれないし、もっともっと感謝の気持ちを伝えなければならないと思っていた。 急ごう、と、フロアに背を向け、トイレへと続く通路を進む。 体を折って、指を喉に突っ込んで、便座を上げてあるその中に向かって嘔吐し、出せるだけは出せたはず、と、とりあえず流す。 便座を下げてから、トイレットペーパーで手のひらや指や口周りを拭って、化粧ポーチから出した清涼菓子を口の中に放り込んで奥歯で噛んだ。 水洗トイレの手洗い吐水口の部分から出て来る水で手を洗うと、ハンカチで拭いて、トイレのドアを開ける。 「大丈夫?具合が悪いならば、無理をして飲むことないのよ」 「…ミズキさん」 何も考えていなかった。 具合が悪いわけでもなかった。 ただ、もっと沢山の量の酒を飲まなければならないから、胃のスペースを広げようと、それだけの為に自分から吐いただけだった。 何を考えているのか、ミズキさんの素の表情からは何も読み取れない。 「一度、水をもらって飲むといいわ」 「え、でも、お客さんが待ってるんじゃないんですか?」 「待たせておけばいいのよ。いらっしゃい」 ミズキさんは、私がついて来るのは当然、と言った感じでトイレを出て通路へ出る。 そして、トイレのすぐ横にある厨房へと入って行った。 私は慌ててその後を追う。 ミズキさんが、事前に厨房のスタッフに言って用意させていたらしい、氷とミネラルウォーターの注がれたグラスを私に手渡してくれる。 条件反射で「すみません」と言ってから受け取ると、口をつけて一気に飲み干す。 「…あの、ミズキさん、帰りなんですけど…」 「ええ、一緒に行きましょう。今日も貴女は写真を撮るのでしょう。待っていてあげるから、急いでね」 「すみません…でも、えっと、写真は別に、どっちでも…よくて…」 「営業の為にやっているのならいいことよ。私は怒っているわけじゃないわ。怪我は、痛むの?」 「いいえ、痛くないです。ありがとう、ございます」 「じゃあ、また帰りにね」 「…はい、わかりました!」 ミズキさんは、苦笑いをしていた。 怖い人ではなかった、と、思う。 いや、わかんないけど。 でも水くれたし、帰り一緒に帰ろうって言う為に、待っててくれたし。 怪我のことにだって、触れてくれた。 ああ、そうだ、今日はミズキさんと店を出るのだ。 そのことを、ミズキさんと一緒にミサに会う予定だと言うことを、マネージャーに伝えた方が良いのだろうか? あんな、わけわかんない人に? でも、ミサの様子が変だったら教えろと言われていた。 私は化粧ポーチの中からスマホを取り出すと、マネージャーのライン画面を開いて、急いで文章を打つ。 どのみち、店が終わってマネージャーが部屋へと帰り着いた時、そこに私がいなかったら連絡が来るだろう。 ついでなので、酔いに任せて怒りもぶつけておく。 『店が終わったら、ミサに会って来ます。ミズキさんも一緒です。あと、さっきの一体なんなんですか。あんまり私、頭良くないので、ああいうのマジでやめて下さい!!』
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